第七話 二つ名
『剣姫』。それは当代最強の双剣士と名高い少女の二つ名である。彼女は二つ名という傭兵組合が与える最高位の称号を史上最年少にして手にした。その二つ名は彼女の鮮烈な剣技と、まるでおとぎ話の姫であるかのような端正な顔立ち、そして気高さに由来している。彼女を前にした者はその圧倒的な気迫と美貌に、口を開くことすら出来なくなるというのが通説だ。その二つ名持ちが今、目の前にいる。
「ぅ、あ」
ふくよかな男は無意識に上ずった声を出し後ずさった。そもそも二つ名とは傭兵組合の出す最高難度の依頼、通称『師団級』を達成したものに与えられるものである。『師団級』の依頼は名高い傭兵パーティ複数がかりでも全滅の危険があるとされているのだが、ルーノはそれをわずか十四歳にしてたった二人のパーティで達成した人物だ。
「どうしたの?来ないならこっちから行くけど」
ふくよかな男にとってそれは死の宣告そのもの。先ほどルーノに襲いかかろうとした男は、ルーノから距離にして十歩分は離れていたというのに、彼の目の前で真っ二つにされた。それは彼女が『師団級』の依頼を達成するに至った理由の一つである、彼女の手に握られた暗赤色の光を放つ魔剣の能力によるものだと彼は記憶の奥底から情報を呼び起こした。
「うわあああ!!!」
叫び、その体躯に似合わない速度で駆け出すふくよかな男。眼前で息絶えた男や隣に立つもう一人の仲間のこと、ましてや達成しなければならない依頼のことなど頭から抜けていた。今はただ、自分が生き残ることだけを考える。ルーノが手にする魔剣、ヴォーティガンという銘を持つそれに込められた魔法は『遠隔攻撃』。およそ十メートルの範囲であれば斬撃を飛ばすことができる。そして今彼とルーノの距離は、ちょうど十メートルほど離れていた。不意をつき駆け出すことに成功さえすれば逃げ切れる。そのはずだった。
「逃がすわけないでしょ」
冷酷な声が耳元で聞こえた。その意味を頭が理解するよりも早く、ふくよかな男の背中に灼熱のごとき痛みが走る。痛みに思考が支配される中ほとんど反射で振り返ると、剣を振り切った姿勢のルーノが背後に立っていた。その後ろにはつい先ほどまで生きていたはずのもう一人の仲間が倒れ伏している。自分が駆け出すと同時にルーノも駆け出し、駆け抜けざまに仲間を斬り捨てた上で自分にも追いついて斬撃を放ったのだ。一瞬の出来事に理解が追いつく頃にはもう意識が薄れ始めている。
「サラ様、お待たせ致しました。もう大丈夫です」
ルーノはもうこちらを見もせずに路地の奥へと向かう。男は最期に、簡単なはずだった仕事に二つ名持ちが介入してくるという自らの運の無さを呪うのだった。
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『透魔』。それは『剣姫』と共にたった二人で『師団級』の依頼を達成した青年の二つ名である。彼もまた当代最強の呼び声高い魔術師だ。その二つ名は、彼の特殊な魔術属性の適正に由来している。火、水、風、土の四つからなる四大属性。人は原則としてこの四つの属性のどれか一つに適性を持つのだが、彼はそのどれにも属さない第五の属性、『無』に適性があるのだ。それは大陸で唯一無二のものであり、彼の絶対性を裏付けるものである。
「僕をそう呼んでいいのは師匠だけだ」
冷たい眼差しで両腕を失い転がる襲撃者を見下ろすヴィクター。男から両腕を奪った『無』の魔術とは、彼曰く『何色でもないが故に何色にでもなれるもの』。事実として、彼は四大属性全ての魔術を実質全て扱うことが出来る。
「『一斉風靡』」
ヴィクターの周りに浮かび上がっている色とりどりの魔術式、その一つが一際強く輝いたと思うと、襲撃者目掛けて無数の小さな風の刃が飛来した。そもそも魔術とは魔術式によって成るものであり、魔術式とは数学における公式である。誰もが用いることができ、誰が用いても同じ結果を出せるものだ。先の時代の魔術師たちが編み出した魔術式は各属性毎に存在し、ヴィクターを除く全魔術師が同じものを共通して使用している。
「ぎゃあああ!!!」
全身を切り刻まれた襲撃者から断末魔の悲鳴が上がる。例えば今の魔術、『一斉風靡』を発動する時もヴィクターは一般的に出回っている魔術式を使用していない。更に言えば使用する必要が無いのである。なぜなら彼の持つ『無』という属性は、全ての属性の魔術を再現できるからだ。無から火を起こし、無から水を湧かせ、無から風を吹かせ、無から土を生み出す。
「はあ。興が冷めた」
ため息を吐くヴィクターが先ほど襲撃者に使用した魔術は二つ。腕を失った男へのとどめとなった『一斉風靡』、そして一瞬にして腕を切断した『虚空至鎌』。後者の『虚空至鎌』は、空間の一部から空気を奪い真空状態を作り出すことにより、かまいたちと呼ばれる現象を引き起こし物体を切り裂く魔術だ。一般的な風属性の魔術師がこの魔術を使う時は、空間に呼びかけ、範囲を指定し、空気を奪う三つの役割を果たす魔術式を構築する。それを彼はまず風という属性を選択し、次に直接空間に真空を生み出すという荒業を用いて再現しているのだ。
「終わりにしよう」
ヴィクターの背後にこれまでの全てと比べ物にならない規模の魔術式が現れる。『虚空至鎌』の魔術式が緑色に輝く二行の文字列だったのに対し、今回のそれの輝きは青色で、先ほどの何倍も眩い。式を構築する文字列も十五行に上った。そしてこれまでの魔術式と同じく、魔術に造詣が深い者が見れば卒倒するような、冒涜的とも言える荒業によって成立している。例えるなら、図形の面積を求める時に公式を使うのではなく、全てその場の思いつき、直感に基いた独自の方法で答えを導き出そうとしているようなもの。なのに答えは合っているのだからいよいよ理解ができない。
「『絶対氷域』」
ヴィクターがぼそりと呟くと、今まさにカムルへ剣を振り下ろそうとしていた襲撃者の動きがピタリと止まった。数秒経っても剣が振り下ろされず、何事かと防御の姿勢を解いて周囲を見渡せば、全ての襲撃者の動きが止まっている。更に、トリオーテ辺境伯邸を覆うように巨大な氷の壁がそびえ立っていた。
「まさか……。凍っている?」
ヴィクターは無表情にただ頷き、小さく息を吐いた。その息は白く、今更ながら周囲の気温が大幅に下がっていることにカムルは気づく。それでも襲撃者たちが瞬時に凍りつくほどの気温ではない。違和感を覚えた、その時。
「さっむい!ヴィクター、やり過ぎ!」
ルーノの声が氷の壁の向こうから聞こえた。途端にヴィクターに笑顔が戻り、慌てて魔術を解除する。壁の向こう側には寒そうに小さな体を縮めたサラと、心なしかいつもよりフードを深く被っているルーノがいた。
「ルーノちゃん!おかえり、無事だったんだね!」
「どちらかと言えばこの寒さの方が厄介だよ」
その言葉通り、ルーノとサラの姿はヴィクターが辺境伯邸を出る前と全く相違ない。強いて変化を挙げるならサラが耳あてを付けていることくらいか。
「それより、言いたいことって何?すぐ帰るようにって使い魔に伝えられたけど、そもそも使い魔で知らせてくれたらよかったんじゃない?」
使い魔とは、魔術師の使う伝令手段だ。ほんの少しではあるが情報を運ぶことのできる伝書鳩のような役割を果たす魔術。
「長くなるから直接言いたかったんだ。ルーノちゃん、もしかすると今回の件は思っているより闇が深いかもしれない」
ここまでお読み下さりありがとうございます。
楽しんで頂けていれば作者冥利に尽きます。
二つ名持ちとは規格外の存在。
今回の戦闘でルーノたちが見せた力も、ほんの一部に過ぎません。