第三話 赤い眼
落ち着いた色の調度品で構成された部屋の中央、こちらを振り向いた姿勢で立つのは領主の娘、サラ。振り向いた拍子にラベンダーのポニーテールがゆらゆらと揺れている。眠いのか元々そうなのかは不明だが、とても気だるそうな目つきをしている。その目の色は、とても目を引く赤だった。
「サラ・トリオーテよ。十一歳。見ての通り『赤眼』。と言っても、少し耳がいい、くらいの力しか持っていないけれど。父様とあなたたちの話も聞いていたわ。あなたたちも親獣人派なのね。変わり者だこと」
「何枚も壁を挟んでも聞こえるとは、驚きました。私も耳はいい方だと思っていたのですが、比べ物になりませんね」
先ほどノレスと話した以外で公にしていない親獣人派だという事実に触れられ、やはり『赤眼』は人智を超えた存在だとルーノは感じた。耳がいい、という次元ではない。
『赤眼』とは、いわゆる異能力者、超能力者の通称だ。既存の文明では解明できない理屈をもって魔法にも似た現象を起こす力を持った者たちがそう呼ばれている。通常赤い眼の人間は存在しないのだが、異能を持って生まれた者は例外なく赤い眼をしており、その特異な身体的特徴がそのまま通称となったのだ。
「この家の中くらいならどこで何があっても聞こえるわ。私の陰口なんて言えると思わないことね」
じとりと二人を睨みつけるサラ。トリオーテ辺境伯邸は一つのフロアに十を超える部屋数を持つかなりの大きさなのだが、その全域の音が聞こえるというのは凄まじいこと。十分に特異な力だ。
「言いませんよ!ところで、疑問に思ったんですが。その異能は常に発動するものなのですか?なのであれば、それは……」
しかし、そのような力を身に宿すのは大変生きづらいことだろうなとヴィクターは想像する。家の中で起こる出来事全ての音が絶えず耳に入るのは、読書家のヴィクターからすれば、いや読書家でなくとも拷問に等しい。そんな宿命を幼い少女が背負っていると思うと胸が痛くなる子供好きのヴィクターだった。
「ええ、そうよ。私の世界にはいつも音が溢れている。でももう、慣れたわ。それにこの屋敷には普段、この無口な執事しかいない。お父様は多忙でよく家を空けるから。だから私は静かに暮らせている。心配はいらないわ」
それでもサラの言葉に悲観した様子は見受けられない。仄暗い雰囲気を纏ってはいるが、芯のある少女なんだなとヴィクターは感心した。自分より九つも下だとは思えないほど大人びている。自分は九年前こんな風だっただろうか。いや、そもそもどこで何をしていただろうか。
「お強いのですね、サラ様は。ですがこのヴィクターはそそっかしく、よく物にぶつかったり転けたりして大きな音を立てるので気をつけるよう言っておきます」
ヴィクターの思考はルーノの辛辣な言葉によって中断された。初対面の相手の前で自分の名誉が大きく傷つけられたような気がして、しかし否定できる内容でもなかったのでがっくりと肩を落とすに留める。
「私に気を遣う必要はないけれど、怪我をしてはいけないから気をつけるべきね、ヴィクター」
「は、はい。気をつけます!」
歳下に注意され思わず顔が赤くなる。少なくともここに滞在している間はいつも以上に気をつけて動こうと決意したヴィクターだった。そんな彼を横目にルーノは話を切り替える。
「では、今後の予定について私からお伝えさせていただきます。私がサラ様の護衛。そしてヴィクターは領内の不可解な出来事の調査。二人でそれぞれことに当たります」
その言葉にサラは意外そうな顔をする。まさかルーノ一人で自分の護衛を務めるとは思っていなかったのだろう。まさか、と顔に出ていた。
「失礼かもしれないけれど、女性一人でならず者に襲われた時に対抗できるの?二人で護衛に回った方がいいと思うのだけれど」
「いえ、お任せ下さい。腕には少々覚えがありますので。それに、情報の扱いはヴィクターの方が長けています」
疑わしそうなサラを納得させようとルーノは腰に下げた二振りの剣に手をやり、少し剣気を放ってみせる。武芸には疎いサラだが、ぞわりと鳥肌が立ったのを感じ、同時にルーノの言葉を信じようという気になった。素人の自分ですら本能的に察知できるほどなのだ、ルーノのそれは相当なのだろう。
「ということで、僕は街の方に出かけさせていただきます。現場を自分の目で見てみたいので。あ、夜までには帰りますので!」
「お待ちを。自分の目でとは言いますが、事件の起こった場所や事件の詳細は分かるのですか?せめてこれを持っていけ、愚か者」
カムルが懐から分厚いメモの束を取り出してヴィクターに投げて寄こした。パラパラとめくって見てみると、それは不可解な出来事に関する調査資料だった。いつ、どこで、誰が、どのようにいなくなったかが丁寧に記されている。この執事、案外仕事ができるのだなと感心するが、どうしても気になることがひとつあった。
「敬語、最後まで貫けないものなの?まぁ、メモはありがとう。ありがたく受けとっておくよ」
「余計なお世話です。礼はいいから早く行け」
ぼやきながらも礼は言い、サラには一礼して部屋を出ていくヴィクター。動くと決めたら動き出しは早いのになぜ遅刻癖は治らないのか、ルーノは頭を悩ませる。しかし今、ヴィクターは自分の仕事に取り組み始めた。自身もやらなければと気合いを入れ直す。
「そういうわけで、私はサラ様と同行させていただきます。差し支えなければこの後のご予定を伺ってもよろしいでしょうか?」
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街に出て事件の起きた場所を巡りきったヴィクターは、獣人が当たり前のように人間と変わらない生活を送っている環境に目を丸くしていた。買い物をし、人間と雑談し、店で働いている。ノレスの言葉から想像はしていたのだが、実際に目の当たりにすると衝撃は大きい。しかしやはり、すれ違う人の数はとても少なく、街は明確に寂れていた。人混みが苦手なヴィクターは鼻歌交じりに広い道を歩いていく。
「よお兄ちゃん、見ない顔だな。珍しいな、こんな辺境に旅人が来るなんてよ。記念にこれ、やるよ!ここの名産なんだ」
そんな折。路肩にある屋台の中にいる大きな垂れ耳が特徴的な犬の獣人から、何かを投げてよこされた。慌てて受け取ってみれば、それは赤色の丸く甘い香りのする握り拳より少し大きいくらいのサイズの果物らしきもの。ヴィクターはそれになんの躊躇いもなくかぶりついた。食べてみればそれは甘みと酸味が調和した、どこか懐かしい味がする。シャリ、という歯ごたえが心地よい。
「もぐ。うん、美味しい!おじさん、これ五個ちょうだい!」
懐から銅貨を取り出し犬の獣人に渡す。彼はとびきりの笑顔を浮かべて受け取り、赤い果物を五つ紙袋に入れて渡してくれた。
「ありがとよ!そうだ、最近は物騒な噂もあるから観光するなら気をつけるんだぞ」
その言葉にヴィクターは内心ガッツポーズをとる。早速情報源に出会えるとは運がいい。現場は巡りきったが、手に入ったのはあと一歩決め手に欠ける情報ばかりだったからだ。
「物騒な噂?へぇ、僕噂が好きなんだ。もう少し果物買うからさ、詳しく教えてくれない?」
「聞いてて楽しいもんじゃねえぞ?けど、お客様には逆らえねえな!おすすめはこの房状に実ったやつだ。トリオーテ家の人々の髪と同じ色だから、あやかってオーティスって名前なんだ」
犬の獣人は一瞬顔をしかめたが、すぐに笑顔を浮かべ直して店先の商品を物色してくれた。相変わらず声が大きい、活気があっていいなあとヴィクターはその大声を楽しんでいた。
「へえ、故郷で見たことあるやつと似てるけど名前が違うんだ。同じ味なのか気になるな、買ってみよう!」
ヴィクターは三つのオーティスをカゴに入れる。それに対し犬の獣人が付けてくれた情報は、ヴィクターが手にしていないもので、核心に迫るものだった。
「毎度あり!おまけも付けなきゃな。最近の物騒な噂、どうも裏には帝国の闇ギルドが絡んでるらしい」
ここまでお読み下さりありがとうございます。
楽しんで頂けていれば作者冥利に尽きます。
「赤眼」を持ったサラという少女。
彼女が今回の依頼のキー。
また、街に出たヴィクターは気になる単語を耳にする。
「闇ギルド」。物騒な名前のそれは、物語にどのように絡んでくるのか。