第二話 辺境伯の秘密
「君たちが依頼を受けてくれた傭兵だな」
明くる日の十五時、トリオーテ辺境伯邸にて。決められた時間に辛うじて間に合った二人は、門の前で待っていた無愛想な執事に応接室まで案内された。扉が空けられるとそこには豪奢な椅子に腰かけた、座っていても分かるほどに背丈のある壮年の男性の姿がある。彼の眉間に刻まれた深いしわは、彼が気難しい人物であることを示す証。それは彼が依頼主のトリオーテ辺境伯であることを裏付けている。
「私はノレス・トリオーテ。ここトリオーテ領の統治をしている。ルーノとヴィクター、だったか。あまり時間がないゆえ、簡潔に済ませることを許してほしい」
ノレスは口調は丁寧なのだが、眉間のしわと低い声のせいでとてつもなく機嫌が悪いように見える。まるで世界そのものを憎んでいるかのような様相だ。歓迎されているはずなのに、ヴィクターは少しの緊張感を覚えた。
「早速だが、私が君たちに望むことは二つ。我が娘サラの安全の保証と、我が領で起こる不可解な出来事の原因の究明。これ以外、これ以上は望まない」
「娘さん、サラ様の件は依頼書の通りなので把握してますが、不可解な出来事っていうのは具体的にどのようなものなのでしょうか?」
ノレスが言葉少なに口にしたことに対しヴィクターが疑問を呈する。依頼書には『不可解なことが起き始めた』としか記されていなかった。確かに依頼文の内容が抽象的ということはよくある話である。しかし今回の場合、依頼を受ける条件は詳細に記されているのに、『不可解なこと』の内容が全く記されていなかった。まるで意図的に伏せたのかと思うくらいに。それゆえ、この依頼はきっと何か訳ありなのだろうとヴィクターは予想していた。
「……これは君たちが条件を満たしたから話す、ということを念頭に置いて聞いてほしい」
ノレスは前置きして、衝撃的な言葉を紡いだ。
「私は、親獣人派なのだ」
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獣人とは、人間とほとんど変わらない姿をしているが獣の特徴も併せ持つ、人のようで人でない存在。そして、ほんの十四年前までは人間の隣人だった存在だ。
十四年前のある日、トリオーテ領が属する大陸最大の帝国、アステリディアが獣人国家、フォーサイスをたった一夜にして壊滅させた。王族は当時産まれたばかりの第二王女を除いて全滅。数少ない生き残った国民たちも奴隷として帝国の支配下に置かれた。そして現在、獣人とは人間の奴隷でしかなく、肩を持つ、情を抱くなどありえないという意識が大陸全体に浸透している。そんな獣人を、帝国の貴族であるノレスが庇っている。その事実がもし国民に知れ渡ったら……。
「秘密厳守の条件はこのためにあったんですね。いや、それにしても……」
あまりの衝撃にヴィクターは最後まで言葉を続けられなかった。ルーノも随分と思いきった真似をするものだと感じる。ノレスがしたのは世界の常識に異を唱えることと同義。普通なら反感を買われて終わるだけだ。最悪の場合ノレスが帝国に反逆者として通報され処罰されかねない。しかし今回の場合、話を聞いたルーノたちもまた普通ではなかった。
「依頼を受けたのが私たちでよかったです。私たちも獣人を踏みにじる今の世界をよく思っていないのですから」
そう、ルーノたちも親獣人派。ノレスの蛮勇ともとれる行為は無駄ではなかったのだ。
「君たちも、同じなのか」
震えた声で呟き、天を仰いだノレスの目に涙が光った。続く言葉はほとんど声にならない声で、ここが静かな応接室でなければ耳のいいルーノはともかく、鈍感なヴィクターは聞き逃していただろう。
「なんという、奇跡だ」
気難しそうな表情こそ変わらなかったものの、ノレスの雰囲気が柔らかくなったことを二人は感じた。だからこそ彼の抱える問題は大きなものだろうということも予想できる。助け舟が現れるまで、ずっと張り詰めていたのだから。
「必ずや私たちが力になりましょう。ですから、何があったかお聞かせ願えないでしょうか?」
半ば放心状態のようになってしまったノレスにルーノが声をかける。その言葉にノレスは我を取り戻し、ハンカチで目元を拭ってルーノたちを再び見詰めてきた。
「すまない。話をしなければな。問題というのは最近、我が領で保護している獣人が立て続けに姿を消すことだ。そして行方不明になった獣人には共通点がある。十二歳から十六歳の少女であること」
切り替えの速さはさすが人の上に立つ者というべきか。再び緊張した空気の中でノレスはトリオーテ領内で起こっている不可解なことについて説明する。それを聞いたルーノの顔が、フードの影に隠れているのにも関わらず分かるほど険しくなった。
「誘拐、でしょうか」
「その可能性が高いとみている。我が領では獣人たちは人間と変わらない暮らしを送っている。普通に働き、普通に食べ、普通に笑う。そんな平穏が何者かの手によって突如として崩れ去った。若い娘たちは明日は我が身かと。そうでないものも自分の家族がそんな目に遭ったらと、今は皆怯えて暮らしている」
ギリ、と何かが軋むような音。見れば、眉間のしわをより一層深くしたノレスは拳を強く握りしめていた。襲いかかった理不尽への心の底からの怒りが見て取れる。民を思う良い領主なのだな、とヴィクターはノレスの印象を一部上書きした。
「それだけではなく、時を同じくしてサラもつきまといの被害を訴え始めたのだ。私はこの二つの件に何か関係があるのではないかと見ている」
獣人を狙った卑劣な行為と、獣人を保護する領主の娘への陰湿な行為。二つの行為に関連性があり、なおかつ同じ目的があるとすれば。
「どちらも犯行声明などは届いていない、だが、これは私に向けた意思表示だと思っている。宣戦布告、とも取れるな」
反獣人派がノレスに敵意を向けている。そう判断するのが妥当だろう。
「だが、私は屈しない。屈するわけにはいかない。人間と獣人が再び平和に暮らせる世界を取り戻す、トリオーテ領をその架け橋にする。その夢を諦めるわけにはいかない」
「ノレス様。お時間です」
ノレスの口調に熱がこもる。だがその時、無愛想な執事が懐から時計を取り出し口を開く。気配が薄かったため彼がそこにいたことを完全に忘れていたヴィクターは、突然声がしたことにとてつもなく驚いている。
「そうか。長話になってしまったな、すまない。他に疑問はあるか?」
「いえ。問題ありません」
ノレスは頷き立ち上がる。背後のコートハンガーにかけられていた外套を手に取り歩き出した。立ち上がった彼はそれなりに背丈のあるヴィクターよりも頭一つ分ほど背が高い。先ほどの驚きがまだ覚めず息を荒くしているヴィクターを横目に、出口へと足早に向かっていった。扉のノブに手をかけた時、何か言い忘れていたことに気づいたのかこちらを振り返る。
「サラにも君たちが来ること、護衛のことは話してある。それとカムル、この執事を滞在中は頼るといい。無愛想だが腕はいい。サラの部屋までも彼が案内してくれる」
執事―カムルは相変わらず無表情だが少しだけ頭を下げる。なぜこの仕事を選んだのか疑問を覚えるほど、執事という仕事に向いていない男だ。普通執事はもっと愛想を振りまくものでは?と、ヴィクターの頭を疑念が支配する。
「では、私は数日家を空ける。留守を頼んだぞ、カムル。そして期待している、ルーノ、ヴィクター」
ノレスは部屋を出ていった。扉の向こうから駆け足の足音が聞こえ、やがて小さくなって最後には聞こえなくなる。
「ではお客様。サラ様の元へ案内致します。ついてこい」
「ついてこい?」
どうも口調が気になるが、指摘しても何も返答しなかったカムル。その彼に連れられて辿り着いたのは、サラと記されたシンプルなネームプレートが掛けられた扉の前。扉の向こうからは品のいい音楽が漏れ聞こえてきている。
「お嬢様。護衛を連れてきました。開けさせて頂きますね」
扉のノブに手をかけ、返事も待たずに扉を開け放ったカムル。その扉の向こうには、
「ふわぁ……。待ちくたびれたわ、あなたたちが私を守ってくれる傭兵?」
赤い眼を眠そうに擦る少女がいた。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
楽しんで頂けていれば作者冥利に尽きます。
物語が動き始めました。
扉の向こうにいたのは赤い眼の少女。
妖しく光るその眼は一体何を映すのか。