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言いたいことはひとつだけ  作者: 糸雫撚葉
第二章 双姫邂逅
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第十七話 お風呂に入ろう

 パラ、パラ、と小さな音が焚き火の弾ける音にまばらに混じる。それは焚き火の灯りを頼りに本を読むヴィクターがページをめくる音。彼の横には何冊も本が積まれており、一見すると見張りのことなど忘れて読書の世界に没頭しているようだ。

 

「邪魔しないでくれ。いいところなんだ」


 そんな折、なんの前触れもなくヴィクターは視線を本に落としたままぼそりと呟く。その彼の背後には、暗闇を照らす光る文字列―魔術式が無数に浮かび上がっていた。色とりどりのそれらはひときわ強く輝いたかと思うとふっと消える。ドサ、ドサリ、と何かが崩れ落ちる音がし、それ以降はずっと先ほどまでのようにページをめくる音と焚き火の音だけが、夜の静けさの中かすかに響いていた。


――――――――――――――――――――――――


「おはよう、ヴィクター」


 日が昇ってすぐ、ルーノがテントから出てきた。起きてすぐだろうに相変わらず深紅のフードを目深に被っている。フードから零れる銀の三つ編みは朝日を受けてキラキラと輝いていた。この時間からいつも通りの装いであるあたり、起きたのはもっと前なのだろう。

 

「ふわあああ……。おはよう、ルーノちゃん……。ふわあ」


 ヴィクターはルーノの方を眩しそうに目を細めて見つめ、挨拶を返しながら大あくびを二つ。その彼の横には、ルーノよりも高い彼の背丈を優に超える高さの本の山が築かれていた。最上段は彼が背伸びをしても届かなさそうだというのに、どのようにして積み上げたのだろう。


「見張りお疲れ様、ちゃんと起きててよかったよ。じゃないと余計な死体が一つできるところだった」


「おお、怖っ」


 恐ろしいことを表情ひとつ動かさずに言ってのけるルーノに対し、ヴィクターは大げさに身震いする。だがその顔は笑っており、心底怯えているわけではないことは明らかだった。二人にとっては日常的な会話なのかもしれない。


「朝から賑やかだな。まだ六時前だぞ?」


 二人の声で起きたのか、軽装に身を包んだシアルも眠そうに目を擦りつつテントから出てくる。周囲を見回し、ヴィクターの横の本の山に視線が吸い込まれた。一瞬ぎょっとした顔になり、次に呆れた顔をヴィクターへ向ける。その視線に気圧されたのか、ヴィクターは唾を飛ばす勢いで反論した。


「ひ、暇だったんだよ!」


「何も言っていないが。まあ、暇なら良かったではないか。何事もないのが一番だ」


 言い訳がましいヴィクターと、ヴィクターが思うよりもそもそもあまり気にしていない様子のシアル。昨日から思っていたが、この二人の性格はなかなかに対極的かもしれない。果たして上手くやっていけるのだろうか、先行きに若干の不安を覚えながらも、ルーノは二人に声をかける。


「二人とも、せっかく早起きしたんだからお風呂入ったら?というか、昨日入らなかったの?」


「あ、いけない。本読むのに夢中になっちゃってたや」


 実に彼らしい理由にルーノは蔑んだ表情をした。言わなければ自分で風呂にも入れないとは、赤子も驚きの自己管理能力である。しかし、しっかりしているように見えるシアルまで入っていないとは。意外な思いでシアルの方を見やると、シアルは事態に理解が追いついていないような顔をしている。


「え?我も入っていい、のか?」


 ようやくといった様子で、心底意外そうな表情を浮かべながらも言葉を紡いだシアル。そんなことは考えもしなかったという様子で、逆にルーノも彼の言葉に戸惑いを見せる。なぜ意外なのかが分からない、といった顔だ。


「何当然のこと聞いてるの?いいに決まってるでしょ」


「我は、奴隷だ。そのような待遇など」


 呟きはとても小さく、今が静かな早朝でなければ聞こえなかったかもしれないほど。ルーノは合点がいったと頷き、次いでたしなめるように、小さな子供を相手にするように優しい口調でシアルを諭す。


「紅茶は飲んでおいて何言ってるの。そもそも、私は君のことを対等な仲間として見ているよ。奴隷って言葉も嫌いだしね」


 相変わらず無表情だったが、これがルーノという人間の最大限の優しさなのだろうとシアルは感じた。そして、思っていたよりもルーノはそういった優しい面がある人間だとも。昨日の紅茶も、今日のこの言葉も、シアルにとっては予想外だがたまらなく嬉しいものだったから。


「……そうか、そうか。我を仲間だと、そう言ってくれるのだな。ならば我も」


 シアルが何か言葉を紡ごうとした時、突風が吹いてヴィクターの積み上げた本の山がグラリと揺れた。揺れは徐々に大きくなり、ついに山は自らの形を維持できなくなり崩壊する。


「うわあああ!」


 情けない声を上げ本の下敷きになるヴィクター。全身が完全に本に埋もれ、突如として消えてしまったようにも見える。ルーノとシアルは先ほどまでヴィクターがいた場所に視線をやり、同時にため息を吐いた。


「この馬鹿」


「助けなくてもいいのではないか?」


 二人の意見は一致しているが、残念ながら放っておくわけにもいかない。分厚く重い本を一冊ずつどかしていくと、若草色のローブの一部が見えてきた。ピクリとも動かないそれをルーノが足でつつく。


「うぅ……。人を足蹴にしちゃ駄目なんだよ」


 ヴィクターはうめき声を上げる。こんな時でもマイペースに説教をしてくるのだからこの男は本当にタチが悪い。少しの怒りを覚えるシアルと、華麗に無視するルーノ。


「早く起きてお風呂の用意して。私のパーティにいるからには二日以上入らないのは許さないよ」


 辛辣で心配など欠片もしていなさそうな声。それは二人の間の信頼関係ゆえか、ヴィクターの愚かさゆえか。恐らく後者だろうとシアルは見切りをつけた。自分であればヴィクターを信頼することは難しそうだとさえ思う。


「少しくらい心配してくれたっていいじゃないか……」


「何か言った?」


 やはり信頼関係の線は考えなくてよさそうだ。ばっさり切り捨てられ、しくしくと泣き真似をしながらヴィクターは立ち上がる。歩きながら魔術式を起動、周囲に散らばった本が宙に浮き、自分の意志を持ったかのようにテントの中へと飛んで行った。それを見もせずにヴィクターはテントの横に作られた簡易的な浴場へ入っていき、数秒で出てくる。


「用意、できたよ。じゃあシアル、入ろうか」


「は?一緒に、か?」


 当然のように発せられた言葉にシアルは唖然とした。まだ自分とヴィクターは出会って一日だというのに、そのような誘いを受けるとは完全に予想外だったのだろう。もしくは、他の理由があるのか。


「あれ、嫌だった?傭兵やってたなら傭兵組合(ギルド)直営の銭湯とかで知らない人と一緒になる機会はあったろうに」


「いや、宿で済ませていた。浴槽に入った経験はない上に、銭湯は人目が気になってな」


 確かに銭湯だと、髪の毛が濡れて纏まった際に彼の特徴的な瞳が顕になってしまう。それを避けたかったのだろうか。だが、ヴィクターにとってはそれよりも聞き捨てならない言葉があった。


「浴槽に入ったことがない?それは人生の九割損してるよ!今すぐ入るよ、ほら服脱いで!『豪風祝福』!」


「ちょ、まっ、何をする!」


 ヴィクターがシアルの服を脱がそうと手をかけた。ゴツン!と、シアルがヴィクターの頭に拳骨を叩き込む。しかしヴィクターは謎の頑丈さを発揮し、シアルをそのまま浴場まで連れていくのだった。


「なんでお風呂に行くことすら静かにできないのかな」


 一人残されたルーノはため息を吐く。それは誰にも聞かれることなく、朝の冷たい風に溶け込んでいった。

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