第十五話 契約
「気になったことがあるんだけど、いい?」
沈黙を破ったのは意外なことに、先ほどからずっと黙り込んでいたヴィクターだった。こいつは何を言い出すのかと不安に駆られるルーノ、そして身構えるシアル。二人のヴィクターへの印象が見てとれる瞬間だった。
「そんなに警戒されると傷つくなあ。簡単な事だよ」
「なら言ってみて」
それでも彼を信じたのか喋るよう促すルーノ。それを受けたヴィクターは自信たっぷりに頷き口を開いた。
「シアル、君は元々帝国を敵に回すつもりだったんだよね」
「そうだが……。ああ、なるほど。貴様の言いたいことが分かったぞ」
最初こそ彼の発言の意図を汲みかねて困惑した様子のシアルだったが、すぐに合点がいったようで不敵に微笑んだ。それを受けヴィクターも満足そうに笑顔を浮かべる。先ほどから吹いていた冷たい風はいつの間にか止み、焚き火の温かさが辺りに満ちていた。
「そういうこと。僕たちは最終目標は違っても、そのためにとる手段は同じだ。だから今更考えることはないんじゃないかな?」
ヴィクターの言葉通り、帝国へ反旗を翻すシアルは同じく反逆者であるルーノたちと手を取るメリットが非常に多い。敵の敵は味方なのである。終着点は違えど、今見ている方向は同じだ。
「『剣姫』の気迫に飲まれていたようだ。恩に着る、元よりそのつもりだったが背を押されたな。そうだ、そもそも我に他の選択肢などなかった」
シアルはルーノへ向き直る。その表情には怯えも迷いもなく、むしろ凛としていた。その様子を見たヴィクターは満足気に頷き、続く二人の言葉を待つ。
「『剣姫』、いや、ルーノ。話を聞いた上で我は貴様と契約したい。改めて、お願いだ」
「意思は固いんだね。分かった。なら私から言いたいことはひとつだけだ。これからよろしくね、シアル」
マフラーを解いたシアルがルーノの方へ歩み寄る。炎よりも赤く眩しく輝く奴隷紋がシアルの頬を照らしていた。そしてルーノもシアルの首元へ手を伸ばす。まもなく手が触れるという所で、シアルの表情には隠しきれない緊張が浮かんでいることにルーノは気づいた。
「大丈夫」
にこりと優しく微笑むルーノ。その笑顔は普段無表情な彼女が浮かべたとは思えないほど自然で柔和なもので、シアルは自分の中の緊張がすっと解けていくのを感じる。そして、ルーノの細くしなやかな指先が奴隷紋へ触れた。瞬間、紋章は一際強い輝きを放ち、その眩さに三人は目を細める。再び目を開いた時にはシアルの首筋には奴隷紋どころか汚れのひとつも見当たらず、白い肌が覗くばかりだった。それは契約が成立したことを示している。
「ふう。私が奴隷の主人に、ねえ……」
感慨深そうにルーノがぽつりと呟いた。確かに親獣人派の彼女が奴隷と契約することになるなど、本人も想像すらしていなかっただろう。運命とは皮肉なものだ。
「我も研究所から逃げた時は、再び奴隷になる日が来るなど思いもしなかったな」
シアルも苦笑を浮かべて同意を示す。二人の間になんとも言い難い空気が流れていることを感じたヴィクターは慌てた様子で口を開いた。
「まあまあ、形式上みたいなものだから!気にすることないよ、二人とも。ね?」
二人を慰めにかかるヴィクターだったが、どちらも口ぶりほどは気にしていなかったようで、その後特に行動も起こすこともなく席に戻った。それを見て安心し、ヴィクターも自分の席に戻る。またしても三人でテーブルを囲む形になった。
「夜も更けてきたけど、これからどうする?特にすることがないなら紅茶でも振る舞おうか」
「やった!ルーノちゃんの紅茶飲みたいな!」
ルーノの提案にヴィクターは座っているにもかかわらず小躍りしそうなほど喜んだ。実際に足はバタバタと落ち着きなく揺れている。子供じゃあるまいしとシアルは呆れるが、同時に彼をここまで喜ばせるルーノの紅茶に興味が湧いた。
「シアルは紅茶は飲む?」
「恥ずかしながら一度も経験がなくてな。試させてもらってもいいだろうか」
恐る恐る、といった様子でシアルは申し出る。施設にいた頃はそんな嗜好品は姉の話す物語の中だけのものだったし、施設を出てからも日々を生きることに精一杯で試そうという発想も浮かばなかった。
「初めてがルーノちゃんの淹れた紅茶だなんて贅沢だねえ。きっとほかで飲めなくなるよ」
ヴィクターがなぜか自慢げにシアルの方を見つめてくる。仮にそうなったとしても全くもって彼の手柄ではないのに、ルーノの手柄すら嬉しく感じるのだろうか。だとすれば彼は相当ルーノに心酔しているのだなとシアルは感じる。
「ほう、それほどまでとは。楽しみだな」
「あまり期待させないで。趣味程度のものだから」
褒められたというのに眉ひとつ動かさず、すっと立ち上がり自分のテントへ向かうルーノ。二十秒ほどすると、うっすらと薔薇の花の紋様の入った透明な茶器を携えて彼女はテントから出てきた。一目見て高価なものだとわかる存在感を放つそれは、丁寧に手入れされているようで傷一つない。
「カップは二人分しかないから君たちで飲んで。私はいつでも飲めるから」
ルーノはカップとソーサーを二人の前に並べる。机の中央には小さなティーポットとそれよりさらに小さな缶が置かれた。ソーサーの上にはティースプーンまで置かれ、食器の触れ合うカチャリという音が鳴る。よく見れば茶器の装飾には薔薇だけでなく月と太陽のモチーフまで刻まれていた。シアルの前に置かれたカップにはまだ何も注がれていないが、数分後にはいい香りの液体で満ちているのだと思うと期待が高まる。
「ありがとう、今度どこかでシアルの分のカップも買わなきゃね」
「そうだね。ヴィクター、お湯出して。沸騰寸前でお願い」
ルーノがヴィクターへずい、と手に持っていた大きなポットを差し出す。紅茶というものは淹れるのに多くの道具が必要なのだなとシアルは感嘆した。てっきりカップに直接茶葉を入れて、そこにお湯を注ぐだけだと思っていた自分の無知が恥ずかしい。そんなことを考えている間にヴィクターは魔術式を組み上げ、湯気の立つ水球をポットの上あたりに生成していた。
「ありがとう、魔術って本当に便利だね。じゃあ二人とも、もう五分くらい待ってて」
ルーノはポットから透明な湯をティーポットへ注ぐ。そこには何も入っていないのになぜだろう?シアルの疑問が氷解するより前にルーノはその湯を次は二人の前のカップへと注いだ。
「ティーポットとカップは温めておいた方がいいんだ」
口に出してもいないのにシアルの疑問に答えるようにルーノは呟き、机の上の小さな缶を開けて中から茶葉をティースプーン二すくい分ティーポットへと入れた。缶を開けただけで自分の席にまで茶葉の爽やかだが少し苦味を含んだ芳醇な香りが漂ってきたことに感動を覚えるシアル。
「今日はアールグレイかい?定番どころだから初めてのシアルも楽しみやすい、いいチョイスだ。さすがルーノちゃん」
「アールグレイ、というのか。これは……柑橘か?いい香りだ」
くんくんと鼻を鳴らすシアルが茶葉の匂いに言及する。ルーノは意外そうに目を見開いた。
「へえ、鼻がいいんだね。柑橘、特にベルガモットで香り付けした紅茶をアールグレイって言うんだよ」
説明をしながらもてきぱきと準備を進めるルーノはポットからティーポットへと勢いよく熱湯を注ぎ入れた。茶葉が勢いよく舞う様子はシアルの目を楽しませてくれる。注ぎ終わればさっと蓋をし、蒸らす工程へ。そのままルーノは微動だにせずティーポットを見つめていた。ちょうど三分が経過した頃、ルーノはティーポットを手に取る。そしてシアルのカップへ二割ほど茶を注いだかと思うとその手を止め、次はヴィクターのカップへ注ぎ始める。
「お、思ったよりも少ないのだな」
残念そうな顔でカップを手に取ろうとするシアルを見て、なぜかヴィクターは顔を赤くしていた。不思議に思い彼を見つめると、我慢の限界だと言わんばかりにヴィクターは吹き出す。
「ぶふっ!ち、違うよ。これも淹れ方のコツなんだって。濃さが均等になるように、シアル、僕、僕、シアル……の順番で注ぐんだよ」
その言葉の通り、ヴィクターのカップへ四割ほど茶を注ぐと次はシアルの方へ再び茶が注がれた。先ほどより少し色の濃いそれを見て、シアルらヴィクターの説明が正しいことを理解する。
「できたよ。熱いから気をつけて」
カップを三往復した時、ルーノが二人へ声をかけた。シアルの目の前には美しい赤褐色の液体が注がれたカップ。鼻腔をくすぐるのは先ほどの缶を開けた時とは比べ物にならないほどいい香り。その香りを言葉で表現することはシアルには叶わなかった。ごくりと生唾を飲み込み、手を合わせる。
「いただきます」




