第十四話 ルーノという人間
「まず、私たちが帝国と敵対することは知っているよね」
ルーノは椅子に腰を下ろし、シアルの方を向く。周囲はもうすっかり暗くなり、明かりらしい明かりといえば焚き火くらいのものだった。ぱちぱちと音を立て揺らめく炎が一行の横顔を照らす。
「ああ。届いた手紙にそう書いてあった。獣人の王女を救おうとしているということも」
視線を向けられたシアルは手紙に書かれた内容を思い出す。簡潔な文章で記されていたのはルーノとヴィクターが獣人の王女ソルマリアを救うため帝国に背くことと、二日後に指定の場所に現れるだろうということ。どこの誰が、どんな目的でこの手紙を自分によこしたのだろうか。
「手紙の出どころも気になるけれど一旦置いておこう。話しても答えが出るとは思えない。今大事なのは情報の共有だ」
「情報といえばアイザックだけど、あいつですら情報を掴んだのは今日なのに。一体どうやって」
ヴィクターがぶつぶつと呟き始める。目の前の謎にすぐに飛びつくのもまた彼の持つ悪癖だ。彼が会話から脱落したことを察したルーノは、自分一人でシアルに全て話すことを決意する。ため息が漏れそうになるが、今それは必要ではないとぐっと堪えた。
「ヴィクターは一旦放っておくね。それで、なぜ私たちがソルマリア、王女を救おうとしているかについて。これには私の過去が関係している。少し長くなるけど、知っておいてもらった方が都合がいいから話すね」
シアルはこくりと頷いた。ルーノが口を開くと周囲の空気が引き締まるような気がする。彼女には有無を言わせぬ何か、他の誰からも感じたことのないものがあるとこの短い交流でシアルは感じていた。
「私は十四年前に家族を失ったと言ったよね。それはあの戦争が関係している。私は四歳までフォーサイスに住んでいたんだ。当時は人間の国に獣人が住むことも、その逆も珍しくなかった。私たちは隣人だったからね」
ルーノが過去を懐かしむように語り始めた。表情こそ変わらないが口調が少し穏やかになり、雰囲気も柔らかくなる。人間離れした強さを誇る『剣姫』も、思い出を懐かしむことができる人間なのだなとシアルは今更気づいた。
「あの夜、フォーサイスと帝国の国境近くにある、私たち家族が住んでた小さな村は真っ先に帝国軍に蹂躙された。奴らはフォーサイスの民なら人間も獣人も関係なく襲った。私たちも含めて」
だがそれも一瞬のこと。ルーノの口から語られたのは当時たったの四歳だった少女が直面するには残酷すぎる現実だった。彼女が先ほど言っていたことから推測するに、彼女の家族は。
「襲撃の混乱で私は家族とはぐれ、それでも必死に逃げた。小さいのが幸いしたのか、運良く包囲網から抜けられてね。私だけは生き延びることができたんだ」
「それ、は」
シアルは言葉に詰まる。自分も似た境遇を持つからこそ何も言えない。生半可な同情などない方が余程いいことを知っているからだ。紡げなかった言葉は吐息となって夜の闇に解けていく。
「今でも思うことがある。どうして私だけ生き残ったんだろうって。私が死んで家族が生き返るなら喜んでそうする。でもそんなことは起こらない、なら私は今できることをする」
ルーノの口から紡がれたのは強い後悔と、それでもなお前を向く意志だった。その二つの感情が共存することが、ルーノを強者たらしめている要因の一つなのだろうとシアルは直感する。そしてそれは自分にはできなかったことだ。
「話を戻すね。生き残った私は、フォーサイスのはずれにある森の中をさまよっていた。そこである獣人と出会ったんだ。アレクス・カーライル。フォーサイスの騎士長を務めていた狼の獣人だ。彼は私と同じ、生き残ってしまったものだった」
夜の冷たい風が頬を撫で、シアルはぶるりと身震いした。それでもルーノの話に耳を傾ける。あまりにも悲痛で、今すぐにでも聞くのをやめて逃げ出してしまいたいような話に。
「彼は第一王女の護衛をしていたけれど、護りきることができずに第一王女は命を落としてしまった。王女の亡骸を抱えてフラフラと歩いていた彼と出会った時は幽霊かなにかかと思ったよ。でも、彼の心は死んでいなかった」
ルーノとアレクス、強い心を持つ二人が出会ったことが今この場にルーノがいる理由なのだろうなとシアルは思う。どれだけ絶望的な境遇に身を置いても意志を強く持ち続けることは並大抵のことではない。特に大切な人を失う悲しみは分かるつもりだからこそ、二人の意志の力に感服した。
「彼は私に手を差し伸べて、こう言ったんだ。『私たちの手で、フォーサイスを再建しないか』って。馬鹿げてるよね。病気と負傷で体が思うように動かなくなった彼は、たった四歳の少女に夢を託したんだ。でも、私には彼の手を取らない理由はなかった」
つまり、ルーノは四歳の時にはすでに世界を敵に回す覚悟をしたということ。幼い彼女がその決断をすることが並大抵のことではないということは誰でも分かる。その時彼女は何を思っていたのだろう。シアルには想像することもできなかった。
「アレクスは私に剣と生きる術を教えてくれた。森の奥に彼が建てた小屋で過ごした八年は、本当に辛い日々だった。だけど共通の目的を持つ私たちの間には確かな絆が生まれていた。私はアレクスを父さんと慕うようになっていったし、彼も私を実の子供のように思ってくれていた」
しかしそれについて考える暇もなくルーノの話は進んでいく。彼女は辛い過去を話す時も冷静で、表情も動かない。過去を乗り越えたのだろうか、それとも蓋をしているだけなのだろうか。たとえどれだけ近しい人間でも心の奥底は分からないというのに、今日彼女と出会ったシアルには尚更だった。
「父さんは六年前に永遠の眠りについた。病気が悪化してね。最期まで獣人の、フォーサイスのことを思っていたよ。そして、同じくらい私のことも案じてくれていた。俺がいなければルーノは平和に生きることができたのに、が口癖だった。でも、そんな平和を私は望んじゃいない。父さんに出会えたことを感謝しているよ」
アレクスの言葉は子を思う優しい父のそれだった。だが彼女が言う通り、何もせず仮初の平和を享受するのはルーノにとってむしろ苦痛だろう。これほどまでに強い意志を持つルーノのことだ、仮にアレクスと出会わなかったとしても今と同じ道を歩んでいたのではないかと思えるシアルだった。
「私はフォーサイスを再建する。そのために王女には絶対に生きていて貰わないと困るんだ。彼女は獣人の希望だから。希望を失った人々をまとめるのはとても難しいからね。それに父さんの遺志、生き残った獣人を護りたいって思いを継ぎたい。王女だろうと平民一人だろうと同じ命だ。喪わせるわけにはいかない」
ルーノの目的は護ること。そのために彼女はたった二人で世界を敵に回そうとしている。その道のりがどれだけ険しいかなど、考えるまでもなく明らだ。だが、どんな目的も達成できるのではないかとすら思えるだけの意志の強さを彼女からは感じる。シアルはもしかすると自分はとんでもない相手に取引を持ちかけたのかもしれないと、今更ながらに過去の自分の行動の恐ろしさに気づいた。
「これが私の戦う理由だ。私がフォーサイスを再建してみせる、そのためならなんだってする。ねえ、シアル。これでも君は私たちについてくる?」
ルーノが真っ直ぐにシアルの瞳を見つめて問うた。鋭い視線に射抜かれ、シアルはすぐに口を開くことが出来ない。数秒、沈黙が流れた。




