第十二話 姉
「……君の姉について教えてほしい」
「え?」
沈黙を破ったのはルーノの意外な言葉だった。シアルにとってそれは予想外で、思わず困惑の声が漏れる。
「君がそうまでして姉を救いたいと言うのなら、私にその覚悟を見せてほしい。もし君を連れていくとなれば、君が命をかけるのと同じように私たちも大きなリスクを背負うことになる。それだけの価値があるか、見定めさせて」
一見冷酷に聞こえるルーノの言葉だが、もっともだとシアルは思う。むしろ真摯に話を聞いてくれているだけありがたいと思えるほどだ。
「分かった。まずは機会をくれたこと、感謝する。そうだな、何から話そうか」
シアルは夜空の星を見上げる。それは姉と一緒に見たかった、見ることは叶わなかった景色。今頃姉は夜空を見れる自由を与えられているのだろうか。いや、きっと……。感傷に浸りそうになるが今はルーノの信頼を勝ち取るのが先決だ。意を決してぽつぽつと語り始める。
「姉は、とても優しい人だった。幼い頃の我は泣き虫で、気に入らないことがあるとすぐに泣き喚いたものだ。だが姉はその度に我をなだめてくれた。決まって本を読み聞かせてくれたあの時間は、何より幸せだった」
紡がれた言葉は微笑ましい姉弟愛。泣き虫の弟としっかり者の姉、シアルが育った環境がありありと想像できる。彼は姉と言う言葉を出す時、今度は微笑んでいた。彼はきっと愛されて育ったのだろう。
「姉は博識で、外のことをたくさん知っていた。きっと優秀だったから外の人間と触れ合うことも多かったのだろう。外に出ることのできない我らきょうだいは姉の語る外の話に夢中だった。海や空、草原や砂漠。何ひとつとして実際に見ることは叶わなかったが、我らは姉の話すそれらに心から焦がれた」
施設から出ることのできない生活、それでも小さな幸せを胸に彼らは生きていた。それだけきょうだい達にとって姉という存在は大きく、拠り所になっていたようだとルーノは推察する。
「きょうだいの中で最年少だった我は、特に姉の世話になっていた。辛い検査や実験の後は決まって姉の膝枕で眠ったものだ。ほかのきょうだいも姉に甘えたかっただろうに、一番近い場所を我に譲ってくれていた。優しいきょうだいに恵まれていた」
箱庭の中で過ごす、たくさんの苦痛と小さな幸せによって成り立つ日々。皆が心の均衡を保っていたことから、きょうだいたちの絆の強さが窺える。
「そういえば、姉には甘やかしてもらったがその分叱られもしたな。決まって尻を叩かれた。きょうだいたちはそれを見て大笑いしていたものだ」
しかし、そんな平和な日々はもう戻らない。先ほど彼は言っていた。自分は姉を除いて唯一生き残ったと。つまり、他のきょうだいたちはもう。
「研究所が襲われた時、姉は真っ先に我の元へやってきて安全を確保してくれた。そして脱出経路を素早く組み立て、きょうだい全員を案内してくれた。それでも帝国の人間は数が多く、不完全な異能しか持たないきょうだいたちは一人、また一人と倒れていった。それでも悲しむこと、立ち止まることはできなかった」
絶望の中走り続ける子供たち。シアルも姉もきょうだいも、皆が必死だったのだろう。似た感情に覚えがあるルーノは、シアルの話を他人事として処理できなかった。ギリ、と掌をきつく握りしめる音が鳴る。
「最後の最後、研究所の出口に命からがら辿り着いた時、生き残っていたのは我と姉の二人だけだった。だが絶望はそれだけではない。出口には、帝国の司令官が百人余りの兵士を引き連れて待ち構えていた。鼠一匹逃がさない構えだった。全てを悟った姉は、自分から実験体になることを申し出、代わりに我の助命を願った。そしてそれは承認された。我一人にできることはないと判断されたのだろう。それがとても……悔しい」
大切な人を失う時に何もできなかった屈辱は一生消えないもの。当時幼かったシアルの心にも大きな傷が残ったのだろう。見れば彼も掌を強く握りしめていた。強く握りすぎてもはや手が白くなっている。
「我の全ては姉でできている。姉は異能の使い方、外の世界での生き方、してはいけないこと、大切なこと。そして愛情を教えてくれた。姉を救えるのならこの命、惜しくはない。姉が外の世界で笑って生きることができるようになるなら、他に望むものは何もない」
強い意志を見せて言い切ったシアル。自分の話せることは全て話した。後はルーノの決断を待つのみ。心臓の音が聞こえる思いでシアルはルーノの言葉を待つ。それに対しルーノは即座に返事をした。
「話してくれてありがとう。よく分かった、私は今の君には力を貸せない」
「っ!?なぜだ、なぜ」
シアルが落胆し、徐々に顔を怒りに赤く染める。放っておけば飛びかかってきそうな形相だ。しかしルーノは冷静に手をかざしてシアルを制止する。彼女の放つプレッシャーはシアルの足を止めるのに十分だった。
「落ち着いて。今の君には、と言った。君は自分の命と代えてでも、と思っている。でも、もし仮にそうやって目的が達成された時、姉は笑えると思う?君がそれだけ姉のことを思っているように、姉も君のことを思っている」
「それ、は」
図星だった。考えないようにしていたが、心のどこかでずっとそう叫ぶ声が聞こえていた、いや今も聞こえる。しかし、不完全な異能しか持たない自分では命を賭けなければきっと姉は救えないと、叫ぶ声に蓋をしていた。シアルは自分が諦めていたのだと気づく。
「命を粗末にしちゃいけない。君には幸せになる権利があるし、幸せになってほしい。君が姉との幸せを望むのなら、私は君に力を貸すよ」
ルーノから感じるプレッシャーはいつの間にかなくなっていた。今目の前にいるのは最強の双剣士『剣姫』ではなく、心優しい少女に見える。シアルは彼女の姿を少し姉と重ねた。
「いい、のか。自分で言うのも変な話だが、初めて会った人間の言葉を信用して、余計な荷物まで抱えるなど」
「なに?私の言葉が信用できないの?」
少し不機嫌そうになってしまうルーノ。シアルは慌てて取り繕おうと両手をぶんぶんと振った。
「いや、そうではなくだな!」
どこか納得していない様子のシアルを前に、ルーノはため息を一つ吐く。そして大きく息を吸い込み、空を見上げてぽつりとこぼした。
「私にも大切な家族がいたんだよ。十四年前まではね。あの頃の私は何もできず、ただただ逃げ隠れて生き延びた。後から噂で家族の死を知ったよ」
冷静な様子で紡がれたルーノの言葉は、シアルの境遇と酷似していた。だからこそシアルはルーノが今何を思っているのか理解することができる。ルーノが自分に力を貸すと言ってくれた理由も。
「君にはまだ救える道がある。生き残った家族がいる。そんな君に、私と同じ思いを二度もさせたくない。君たちという家族の形を守りたいんだ。そんな理由じゃ不満かな?」
「不満なものか。……感謝する」
シアルは深々と頭を下げた。それを受けたルーノは満足気に頷き、そういえばヴィクターを長く待たせていることに気づく。そろそろお腹を空かした彼が癇癪を起こすかもしれない。早く戻らないと面倒なことになる。
「それならついてきて。契約は私たちの拠点でしよう。今することは、ご飯の準備だ。早速仕事だよ、シアル」
言下にルーノは一瞬で近くの牛の元へ。時を操るシアルですら彼女の時間が加速したのかと錯覚するほどの速度だ。一瞬遅れて牛の首が落ちる。
「運ぶの手伝ってくれない?一人じゃさすがに重くて」
「わ、分かった」
予想外の場所で『剣姫』の実力の片鱗を目にし、驚くと同時に心強さも覚えるシアルであった。これなら、姉を救えるかもしれないと。物思いにふけっていると、牛の死骸を背負ったルーノがこちらへ歩いてくる。本当に自分の力は必要なのか疑わしくなってしまうシアルであった。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
楽しんで頂けていれば作者冥利に尽きます。




