第十一話 訪問者
ルーノが野営の拠点から二分ほど歩くと、馬や牛、鳥などの野生動物の姿がまばらにだが確認できるようになってきた。ヴィクターは牛を所望していたが、運ぶ手間を考えると鳥も捨て難い。どれを今日の夕飯にしようか品定めしていると、突然背後から声が聞こえた。
「貴様、『剣姫』だな?」
驚き伸び退くルーノ。振り向くとそこにはまるで絵本の中から飛び出してきたかのような、大仰な装飾の施された衣服を着た少年の姿があった。まだ暖かいというのにマフラーを巻いていることも特徴的である。新緑のようなみずみずしい光を放つ翠緑の瞳が、この暗闇の中でもよく見えた。もう片方の目は長い黒の前髪に隠れてよく見えない。
「……そういう君は何者?」
剣に手をかけ、最大限の警戒姿勢をとったルーノが問うた。警戒の理由は二つある。一つはこんな辺鄙な場所で突然人間に声をかけられたから。そしてもう一つ。声をかけられる寸前までまるで気配を感じなかったからだ。人一倍気配には敏感な彼女が、である。
「よくぞ聞いてくれた!我が名はシアル。いずれ英雄になるものだ!」
ルーノの心境などお構い無しに眼前の少年は高らかに名乗る。シアルと名乗った少年の声は変声期特有のハスキーさを帯びていた。その名前にルーノは全く聞き覚えがない。響きすら馴染みのないものだった。
「えっと、シアル。私に何の用かな」
警戒は解かずルーノは問う。なぜこのような場所に幼い少年が。私のことを知っているということは帝国の人間?まさか、もう追っ手が来たというのか。だとすればなぜ襲ってこない?そこまで考えたところでルーノの思考はシアルの言葉により中断されることとなる。
「単刀直入に言おう。我は貴様の手を借りたい」
自身の考えた可能性のどれでもない言葉に拍子抜けしたルーノ。言葉通り敵対する意思はなさそうだ。それでも警戒心は解かず、ひとまず対話を試みることにする。襲ってこない以上は少なくとも今すぐにどうにかなることはないだろうと判断したからだ。
「手を借りたい?依頼ってことかな。だとすれば傭兵組合の窓口を通してもらえると助かるな」
「確かに手を借りたいと言ったが、依頼ではない。これは取引だ」
言下にシアルは季節外れのマフラーをほどいた。あらわになった首筋には、煌々と赤く輝く魔法陣が刻まれている。それは、帝国に生きるものなら誰もがめにしたことがあるものだ。
「我が差し出すのは我の全て。そして求めるのは、我が姉を救い出す事への協力だ」
「『奴隷紋』!?獣人じゃない君になぜそれが」
ルーノはシアルの言葉を思わず無視して叫んでしまう。それくらい眼前にある状況はありえないものだった。『奴隷紋』とは十四年前までは禁忌とされていた魔術で、今も人間に使用することは禁じられている。その使用用途は奴隷である獣人の支配のみだ。だがシアルの頭頂部に獣の耳が生えておらず、腰に尻尾も見当たらない。
「なぜ、か。実際に見てもらった方が早いだろう。そうだな、あそこにいる鳥の群れが見えるか?」
シアルが指した先、目算にして二十メートルは離れた場所にはルーノも先ほど確認した通り鳥の群れがいた。それは警戒心が強いことで有名な鳥で、これ以上近づくと飛び立ってしまうだろう。
「うん、でも」
見るって、何を。その言葉が口から出ることはなかった。先ほどまでと何かが違うと視界が違和感を訴える。すぐに違和感の正体に気づいたルーノだが、現実を受け入れることはできなかった。会話の最中目は逸らしていなかったはずなのに、突如として鳥がシアルの腕の中に現れたのである。それは間違いなく先ほどおよそ二十メートル先にいることを確認した鳥だった。抱えられた鳥自身も何が起きたか理解が追いついていなかったようで、数秒遅れて暴れ出す。鳥がいた場所を見やれば、群れが一匹数を減らしていた。
「……え?」
腕の中の鳥がバサバサと慌てて飛び立っていく。その場に残されたのは事態に理解が追いつかないルーノと、その事態を起こしたと考えられるシアルのみ。よく見れば息が切れている彼は、どのようにしてこの現象を引き起こしたのだろうか。
「魔術、ではないよね。詠唱はともかく、魔術式無しに魔術を使える人間なんていない。魔術に詳しい相棒が言っていた」
規格外に見えるあのヴィクターでさえ一応魔術の常識には縛られているようで、魔術を行使する時には必ず魔術式、光り輝く文字列が現れる。それは万人に共通なはずだ。
「なら異能?それこそありえない。だって君は、『赤眼』じゃない!」
「『剣姫』よ。目に見えるものだけが全てではないぞ」
シアルは前髪をかきあげる。現れたのは左目と対照的な赤の輝きを放つ瞳。オッドアイと呼ばれる、左右で瞳の色が違う珍しい体質だ。だが、今重要なのはその珍しさではない。
「片方だけの、『赤眼』!?嘘でしょ……」
「現に目の前に存在しているぞ?」
不敵に微笑むシアルの言葉は実際その通りで、ルーノは今世界の常識を超えた存在と直面している。見てもらった方が早い、というのはこれの事だろうか。確かにこれは聞いただけでは信じられないなと思う。
「帝国にある実験場があった。時を操る異能を研究する施設、その実験体の一人がこの我だ。実験の結果、短時間だが時を止める異能をこの身に宿した」
時を止める異能と彼は言った。それは世界の理をねじ曲げるもの。おとぎ話の中だけの存在に思えたそれが存在すると仮定しなければ先ほどの現象には説明がつかなかった。それに、不可解な片方だけの『赤眼』や、人間だというのに刻まれた奴隷紋。彼の言葉を裏付けるものはいくつもあった。そして何より、ルーノの直感が彼の言葉に嘘はないと言っている。
「状況を整理したい。君が特殊な出身で、時を止める異能を持っていることはひとまず信じよう。だけど、姉を救い出したいって言ったよね?頷くには分からないことが多すぎる。君の姉は今どこで何をしているの?なぜ実験体のはずの君がこんなところにいるの?」
しかし、信じることと理解することは別物。歴戦の戦士であるルーノの思考力をもってしても、彼の言葉を全て飲み込み理解することは不可能だった。
「姉は今、帝国の秘匿された研究施設に収容されている。姉は我のいた研究所で一番優秀な実験体だった。だから帝国は姉を奪いにきた。研究者やきょうだいは皆殺しにされた。我はきょうだいの、姉の犠牲の上にここに立っている。我だけは生きてくれと、皆が」
シアルは苦悶に満ちた表情でルーノの疑問に答えようとしたが、その言葉は最後まで続かなかった。特に姉、きょうだいという言葉が出る度に彼の表情はひどく歪み、それだけ辛い思い出なのだと言うのが伝わってくる。
「……なるほど。君のその奴隷紋は施設に実験体として縛られていた時の名残。そして研究所にはたくさんの同じ境遇の子供たち、『きょうだい』がいた。ある日研究所は帝国に襲われ、姉以外のきょうだいは皆殺しにされた。生き残った唯一のきょうだいである姉を救い出したい。この認識でいいかな」
シアルは目をきつくつむり頷いた。彼の言葉から推測できた過去は壮絶なもので、さすがのルーノも同情を禁じ得なかった。だがシアルは脅威的な切り替えの速さを見せ、再び輝きに満ちた眼差しを向けてくる。
「そのために我は『剣姫』と『透魔』の力を借りたい。貴様たちしかいないと考えている」
「どうして?依頼ならもっと他に適任が」
いや、いない。帝国を敵に回そうとする傭兵など、帝国直属の傭兵組合に存在するはずがないのだ。だがシアルにとってその前提はルーノたちも同じはず。なのになぜ取引を持ちかけようと思ったのだろうか。
「先日、我の元に差出人不明の一通の手紙が届いた。そこには貴様たちが獣人の王女を救うため、帝国に反旗を翻すのだと記されていた。この場所が記された地図とともにな。怪しいとは思ったが、他に頼るあてもない我は藁にもすがる思いでここにやってきた。すると、本当に来たではないか!」
黙り込んだルーノの考えを察してか、シアルが状況を説明してくれる。しかしその言葉の中には聞き捨てならない情報が含まれていた。
「待って、その手紙が届いたのはいつ?私たちは今日ソルマリアの、王女の情報を手に入れた。なのになぜ先んじて私たちの動きを知っているやつがいる……?」
未来予知者、あるいは全ての事情を知る何者かが存在するとでもいうのだろうか。ここでシアルと出会うことも仕組まれていたことかもしれない。ルーノの思考は止まらない。あまりにも考えるべきことが多すぎた。
「手紙が届いたのは二日前だ。それは不可解だな……。だが、我にとっては好都合だ。頼む。我に力を貸してくれ。文字通り我の全てを差し出す。実験で得た異能で必ず戦力になること、そして奴隷として裏切らないことを誓う」
だがシアルにも退けない事情があった。黙り込むルーノにもう一度自らの願いを伝える。しばし、沈黙が平原を支配した。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
楽しんで頂けていれば作者冥利に尽きます。




