第2話 ホット缶コーヒーの奇跡 - 2
いざ自動販売機の前に立ち、これまたいつもどおりの流れで、銀色のギザ硬貨を投入口へと摘み入れる。
割引き価格なのが地味にありがたい。
日本茶でもコーラでも乳酸菌飲料でも、軒並み同じ価格で取り扱ってくれているのである。
今日はストレートなティーを買うつもりだが、明日はスカッと爽快な暗色飲料を選ばせていただこう。
まだ四月も半ばということで自販機にはアイスとホットの両方が用意されているらしいのだが、この春の穏やかな陽気の真っ只中に、わざわざ赤のホットを選ぶ輩はいるのかね。
せっかくだからで選べるほど俺は寒がりではないつもりだ。
ゴクッと喉を潤すなら冷たい商品に限る。
そんな思いから『つめた~い』と書かれた水色のボタンを押そうと、スンと指を伸ばした一一ちょうどそのときだった。
「のぅおわっとぅ!?」
誰かが俺の背中にぶつかってきたのである。
まさかドリンクを買おうとしている際に、己の後方などを気にしているわけがあるまい。
ましていきなりタックルされてバランスを保っていられるほど、俺の体幹が優れているわけもあるまい。
稀代の帰宅部候補を舐めてもらっちゃ困る。
無論、足腰なんて人並みかそれ以下だ。
二度生まれ変わってもアメフト部にスカウトされる人生は来ないだろう。
そんなこんなでグラリと大きく傾いてしまった俺の身体は、目の前の自動販売機に斜めにぶつかってしまって。
狙いのボタンにまっすぐ向かってはずの指も、己の意思とはまったく予想外の方向へ進んでしまって……!?
……ポチっとな。
からの、ピピッ、ウィーン、ガコンッ。
悲しくも、気付けば俺の指先が触れていたのは、目的の商品よりも更に一段下の、いわゆる季節外れゾーンな赤色ボタンだったのであり。
それどころか、普段は決して選ぶことのない、糖分補給の足しにもならない完全ビターな大人向け商品がそこに配置されていたのであり。
俺が選択してしまったソイツは……いわゆる〝ホットブラック缶コーヒー〟と呼ばれるハズレ商品だったのである。
ちなみに誤解がないように補足させていただくが、もちろんハズレというのは今の俺にとっては、だ。
決してそのモノが悪いわけではない。
好きな奴も世の中に五万といることだろう。
だが、ついついしょんぼりしてしまう俺をどこの誰が責められようか。
「……あー……おい、マジかよ」
も、もちろん全く飲めないというわけではないぞ。
おそらく、頑張れば、飲めるだろう。
けれどもそれは他にチェイサーがあればのお話であり、単体で楽しめるだけの余裕さを持ち合わせているほど、俺の舌は大人びてはいないはずだ。
……畜生め。
まして今更見栄を張って何になる。
もはや覚悟を固めるしか選択肢はないのだから。
別の商品を買い直せるほどの余裕など、俺にあるわけがないだろう。
ただでさえなけなしの銀色硬貨だったんだぞ。
意を決して下方の取り出し口から缶を掴んでみる。
……くそっ。無駄に熱くなっていやがる。
俺の心はこんなにも冷め荒んじまってるというのにだ。
おい、つーか、誰だ。
俺の午後のストレートなティーという安らぎを、一瞬でホットブラック缶コーヒーとかいうビターかつチャレンジかつストレスな塊に変えやがったヤツは。
未だにやや冷静でいられる俺を褒めてもらってもいいところなんだぞ。
その面を拝まずに飲み干してなどやるものか。
自分でも眉間にシワを寄せてしまっているのが分かる。
だがそんなことは知ったこっちゃないさ。
俺の頭は酷く冷静だとしても、俺の腹の虫はこの春の陽気ほど気長で穏やかではないからな。
さっさと抗議の意を示してやろうと勢いよく振り向いたそのとき――また、俺は別の面を食らっちまったのである。
今度は呆然というより驚愕だった。
というより目に飛び込んできた光景を、すぐには信じられなかったのさ。
「……あー……いや……おい。マジかよ」
俺の視界に入ってきた〝ソイツ〟は一一それこそ今もなお教室でスヤスヤと眠り呆けていると思っていた――孤高の“眠り姫”様ご本人だったのである。
いやぁ、久しぶりに見ちまったかもしれん。
眠り姫の起きている姿ってヤツをさ。
しかもぱっちりお目々とはかけ離れた半開きな眼に、どこか申し訳なさそうに眉を落としていらっしゃる。
明らかに負の感情が見て取れる表情だ。
いつもの無機質と無愛想さは感じられない。
しかも、それだけでは終わらなかったのだ。
「………………すまない」
ボソリと小さく声まで発したのである。
おい何だどうした、いったい何が起こっている?
あの誰からのお声掛けも無視し続けた孤高の眠り姫が、自ら謝った、だと……!?
己の過失をキチンと認識していて、更には自らの意思でその声帯を震わせて、謝罪の言葉を紡ぎ出した、だと……!?
手元のホット缶コーヒーから伝わってくる熱が。
今この状況を確かな現実だと教えてくれている。
……なんつーか、奇跡だ。
これは間違いなく奇跡の瞬間だ。
ホット缶コーヒーの奇跡と呼ぶしかあるまい。