第7話 冷蔵庫の中身は缶コーヒー - 6
「簡単に言えば、寝ながらにして聞くことの出来る能力だよ。耳にしたことは必ず覚えているし、目覚めても忘れることはない。キミも聞いたことがないかな? 赤ん坊は起きているうちに〝見た・聴いた・触った〟感覚を寝ているうちに反芻することで成長する。考え方自体はコレの発展系とも言えるのだけれどね」
「なる、ほど……?」
さすがはノリノリのON姫だ。
口から出てくる一言一句がとにかく長い。
ついポカンとしてしまうのも仕方がなかろうて。
俺の顔を見ては、彼女はクスリと微笑みをこぼしていた。
どうやらこの反応も予想済みだったらしい。
「ふふ。戸惑うキミのために補足をしてあげよう。身体は寝ていながらも、脳は起きているという状態がヒトには存在するんだ。金縛りもこれに類するモノとされているね。人間はレム睡眠・ノンレム睡眠という浅い眠りと深い眠りを交互に迎えることで、記憶を整理していると言われている。
そしてどうやら私の場合はね。寝ているときに情報を整理しているだけでなく、寝ながらにして耳にしたことは、ほぼ正確に覚えていられる特異体質らしい」
「らしい?」
「実際にこの目で見ていたわけではないし、自ら覚えようと思って覚えた情報でもないからね。それらは私の経験とは紐付かない、あくまで記憶の中だけに存在する曖昧な情報の集合体でしかないんだ。知らないけど知っている、夢の中の記憶みたいなモノだとも言えるね。
……ああ、もちろん信頼に欠けるモノは後でキチンと裏を取るようにしているよ。正しいと分かればそのまま覚えておけばいいし、間違っていれば改めて自らインプットしたモノを記憶し直すだけだからね。
その観点から言えば、何度も刷り込む必要がないってのは時間効率が良くてありがたいね」
「……ほ、ほう。……ほう?」
たった今、チンプンにカンプンが追加されちまったぜ。これが漫画の世界なら、俺の頭の上には真っ赤なハテナマークが二、三個ほど素敵なタップダンスを踊っていることだろうよ。
申し訳ないが、そもそもの地頭のよい姫とちがって、平々凡々な俺に優れた情報処理能力とやらはないのだ。
パソコンのCPUで言うならせいぜいCore i 1。
鍵盤の発音数で言うなら当然モノフォニック。
捩れたティッシュの紙縒を一つ一つ丁寧に解いていくくらいの手間をかけねば、正確な理解には及べないのである。
ともかく、菩薩のように目を閉じて平手を前に向けては、無理やりに一度話を止めていただいた。
俺なりの言葉で整理をさせていただこう。
俺はぐっすりと眠っているときは、布団をはぐられたくらいでは目覚めることはないし、そうされたという過程さえも覚えていられるわけがない。
無論、耳元で愛の言葉を囁かれようが呪詛を吐き捨てられようが、全て馬の耳に念仏、犬に論語、兎に祭文だ。全て夜の微睡みに消えていくのみである。
しかしながら、姫はその点が異なるということなのだろうか。
寝ているときに耳に届いてきた音を、彼女の脳は何故か正確に記憶することができて、またラッキーなことに起きているときにもその記憶を自由に閲覧することができる、と。
何だよそれ、とんでもない特技じゃないか。
昨今流行りのチートと呼んでも相違ないと思うぞ。
むしろ俺が姫なら積極的に使用させていただきたいところだぜ、畜生め。
「ちなみに睡眠学習状態のときであれば、私は起きようと思えばすぐに目を覚ますこともできるんだ。常に半分寝ていて、常に半分起きているような状態だからね。しいていうならあまり寝た気になれないというのがこの体質のデメリットなのかな」
肩が凝るよ、非常にね、と溜め息を吐いている。
「……寝ているような起きているような、か」
「コレに関してはキミとの実例も交えて説明してあげたほうが、分かりやすいかな?」
姫はこたつの端でカランとコーヒーの缶を鳴らすと、唇を濡らす程度に口を付ける。
こくりと頷きを返すと、静かに微笑んでくれた。
黙っているだけで勝手に喋ってくれるからその辺は大変ありがたい。
「ついこの前、キミがテストの結果を私に問いただそうとしたことがあったと思う。廊下に張り出されていた内容を見にいく前と、見にいった直後のことだ。それぞれに対して改めて説明を加えてみよう」
……えっと、あぁ、あれか。
確かテストの結果が掲示された日の、姫に〝結果を見にいかなくてもいいのか?〟と聞いたときのことだったな。
あの日の姫は基本的に目を瞑っていた状態が長くて、むしろ日々姫を観察している姫マスターの俺から見ても、本当にずっと寝ているようにしか見えなかったはずだ。
だから俺の問いかけにそこまで間を開けずして答えたときには、コイツ寝たフリをしてやがったのか、とやんわりと憤慨した記憶もある。
まして、OFFモードの姫は俺のことをよくからかってくるからな。やられたぜと思ったものだが。
「あの日の私は確かにほとんど眠っていたんだよ。それこそ、体育館裏に移動するのもかったるいくらいでね。本当に体を動かしたくなかったんだ。
だから昼休みになっても教室の机に突っ伏していた。もはや気怠さの鬼だ。正直、教室の喧騒含めわヨウの声が地味に煩わしかった」
おい。
「……それでね。キミの執拗な問いかけが何度も耳に届いてきたときには、あまりに面倒すぎて完全無視を決め込もうかとも思ったんだが……」
いや、おいコラ。
「キミの強い語勢にも気になるところがあったからね。さすがに悪いかなと思って、仕方なく首だけを起こして返答をしたというわけだ。完全に眠り呆けていたのであれば、即座に的確な返事をするのは難しかったのではないかな?」
……確かに。わりと怒ってもいい内容だったことには目を瞑っておく。
「とまぁ、こんな感じだよ。私の睡眠学習については理解を深めてくれたかな?」
「あぁ、何となくだけどな。ついでに、姫の俺に対する対応とその心情についても、イヤというほど分かっちまったよ畜生め」
「あっはは、すまない。どうも私は缶コーヒーをキメていないと全てが面倒になる体質でね。悪気はないんだ許してほしい」
「ったく。調子がいいな」
ケラケラとからかうように笑う姫だったが、本当に悪いとは思っているようで、俺の目を見ながら申し訳なさそうに眉を下げている。
「ほら、普段の大雑把ぶりに反して、今の私はこんなにも紳士的――もとい淑女的に接しているだろう? さすがに帳消しにはならないと思うけど、少しは大目に見てほしいかな。キミには本当に感謝しているんだ。分け隔てなく接してもらえることがどんなに気が楽か」
「はっはは、どうだか」
睡眠学習、ねぇ。
たとえ授業中寝ていたとしても、耳に届いてくる教師の声は全て完全に記憶できているわけだから、わざわざ後でガッツリも復習をする必要も、暗記作業に頭に悩ませる必要もないってことだろう。
果てしなく便利だな。つまりはボイスレコーダーを常に起動しているようなものか。
案外いるんだな、そういう能力を持った人間が身近にさ。
俺的には羨ましい限りなんだが、彼女にとってはこれも悩みのタネの一つなんだろう。
「姫の体質のこと、羨ましいとは思ってるよ。そんである意味シンドそうだなぁとも」
その証拠に、である。
「無論、メリットばかりではないよ。私のこの体質をよく思わなかった人たちもいるからね。……前の学校の同級生たちはもちろんのこと……何より大変だったのは先生方のほうだったかな」
姫は、更に眉を下げながら言葉を続ける。




