第2話 ホット缶コーヒーの奇跡 - 16
羞恥に耐えて、何とか教室に戻った俺に待っていたのは、学友たちからの質問責めの嵐であった。
予想していた量よりも遥かに多かった。
残り僅かになってしまった昼休みだけでなく、まさかの授業中にも紙ヒコーキによって質問状が飛ばされてくるレベルだったのである。
男子女子問わずグイグイ来られて困っちまったよ。
……ふ、ふん。全部かわしてやったけどな。
もちろん何も無かったとはぐらかせるだけの度量も技量もない俺だが、かと言って姫との約束を反故にできるほど嘘つきや悪人でもないつもりだ。
適当にその辺で拾って偶然に頼まれてしまったということで、今回は事なきを得させていただいた。
幾人かは怪訝そうな顔をしたままだったが、人の噂も七十五分、授業の終わりを迎える頃にはいつも通りの時間の流れに戻っていったというわけである。
ほとぼりが冷めてしまえばこっちのものなのさ。
できる限りにはなってしまうが、今後とも下手なポーカーフェイスを貫かせていただこう。
比較的顔に出やすいと評判の俺にできる、最後の無駄な抵抗とも言えよう。
隣の席をチラ見してみる。
……ははっ。
ホントに気持ちよく寝ていらっしゃることで。
皆もそっと眠らせておいてやってくれよ。
当の本人もそれを望んでるんだからさ。
彼女は人よりほんの少し体質が特殊なだけで、別に時空改変能力もなければ超自然現象呼び起こし力があるわけでもないんだ。
そうサックリ適当に弁解しておきたかったが……その辺もガッツリと口止めされてしまっているからな。
適当に戯言やら狂言やらを並べ立てて必死に誤魔化しておくことくらいしか、俺にはできなかったわけで。
……ああ、皆よ。
俺の素晴らしき学友たちよ。
頼むから何も言わず、何も思わないでくれたまえ。
アンタらの言いたいことも分かるよ。
それこそ手に取るように分かるんだわ。
でも、やっぱり今は何も言わないでほしい。
実は俺と眠り姫の間に少なからず進展があったってことも、秘密の会合がスタートしてしまったってことも、今は内緒にしておくしかないんだからさ。
変な噂を立てられても姫が困ってしまうだけだろう。
〝火のない所に煙は立たぬ〟という言葉は存在するが、俺がヘマをして、知らず知らずのうちに着火マッチを紙やすりで擦っちまわないように気を付けておくしかできまい。
……あー、いや、もう手遅れかもしれんな。
存分に着火しちまっている気もしなくもない。
聞き耳を立てていればすぐに分かる。
今頃はもう、女性陣の井戸端会議のネタとして取り上げられちまってることだろう。
学生ライフ、これから大変になりそうだ。
そのうち俺にも二つ名が付いちまうかもしれん。
おそらくは〝眠り姫の話し相手〟とかだろうか。
いや、無難か非凡かイマイチ分かりにくいな。
誰か、もっとセンスのいい感じのモノを頼むぜ。
無意識にこぼれ落ちてしまう溜め息のおかげで、自ずと再自覚することができた。
俺と眠り姫の間に生まれた小さな関係は、あのブラック缶コーヒーの買い間違いによって、密かに、そして物静かに、幕を開けちまったんだなぁ、と。
プルトップの封を開けたのほうが缶コーヒーっぽくなるか? まぁこの際どちらでも構わない。
社会科の授業内容が少しも頭に入ってこなかったが、どうか今日くらいは許してほしい。
そしてまた、下手なモノローグに耽ってしまう俺をどうか今だけは黙認していただきたい。
隣でクゥクゥと気持ちよさそうに寝息を立てる彼女を眺めながら、俺は誰にも見られないように、静かにニンマリとしてしまうのであった。
仕方ないだろ、俺だって男なんだから。
空腹に心揺れる、平日の昼下がり。
少しも勉強が手につかない俺を、そして今後に飽くなき期待をしてしまう俺を、いったいどこの誰が責められようか。
いや、社会科の教員なら怒れるか。
だからチョークを投げようとしないでほしい。
ほ、ほら、今からちゃんと聞くからさ。
うん? いや、だが待てよ。
隣で居眠りをこいている眠り姫はOKで、軽ぅく他所見をしている俺はNGなのか?
なるほどやはり現実とは理不尽なモノである。
俺もブラック缶コーヒーを飲んだら授業に集中できるであろうか。
なーんてな。
そんなことをふらっと考えてしまうあたり、授業に全く集中できていないのが分かってしまう――やはり虚しさだけが胸いっぱいに溢れてしまっている俺なのである。
【第3話「図書室では缶コーヒーも含め、全面飲食禁止なんだが」に続く……】