第2話 ホット缶コーヒーの奇跡 - 15
ふぅむ、と。
ここで彼女は一際大きなため息を吐いた。
眉間には微かにシワが寄り始めている。
いきなりの体調不良というわけではないだろうが、そこそこに辛そうに見えてしまった。
いったい全体どうしたことだろうか。
「タイムリミット、だよ。大変恐縮なんだけれども……一つだけキミに頼み事があるんだ。
気が付いているかな? そろそろ……規定の三十分が、経とうとしていることに、ね……っ。
つまりは……私の活動限界が……近付いている、ということ……に、なる……わけ、だ」
「あ、おい!」
テーブルに勢いよく倒れ込もうとしていたところを、腕を突っ込んで支えさせていただいた。
よかった。ギリギリで間に合った。
顔面にダメージはなかったらしい。
俺の腕に全体重を預けるようにして、ぐったりと突っ伏していらっしゃる。
髪のサラサラ感と頬のぷにぷに感がダイレクトに伝わってきているのはここだけの内緒だ。
「……ヨウ。大変、すまないんだが……私を、教室まで……運ん……で、くれな……ぃ……」
そのまま、カクン、と。
全てを言い切る前に、彼女はまるで背骨を丸ごと抜き取ったかのように、チカラなく倒れ込みなさったのである。
俺まで椅子から転げ落ちそうになったんだぜ?
鍋の中のしらたきの方がまだしっかりしていると思うくらいだ。
完全に意識を失っていると言ってもいいだろう。
試しに小突いてみたが全く反応がない。
どうやら既に寝息を立て始めているらしい。
誠にいきなりではあるが、この秘密の会合場所に俺一人だけが取り残されてしまったような気分である。
なるほどきっかり三十分、か。
ストップウォッチもビックリな体質だな。
昼休みの終わりに合わせて眠るとは相当な策士だと思うよ。
いや、そうじゃない、か。
今日は単に時間を忘れて話し込んでしまっただけなのかもしれんな。ずっと、楽しそうだったからさ。
初めて学内で会話ができて嬉しかったのかもしれないな。そう思えば尾行した甲斐があったと言えよう。
そう納得させてもらいたいところだったのだが。
……いや? ちょっとだけ待ってほしい。
さっき私を運んでくれって言ったよな?
お一つ、確認してもよろしいだろうか。
ご多分に漏れずココは地上である。
対するウチのHRは四階に位置している。
どうやってそこまで彼女を運べ、と?
まさか背負って向かってくれ、と?
そりゃあこんな細っこい女子一人を運ぶくらいは非力な俺にだって容易いことだろうよ。
けれどな。
学校には人の目というモノがあるわけで。
ただの男子学生が女子学生を背に運んでいる光景って実際どうなのよ、と。
我に返って思ってしまったのである。
まして背負われるのは学校内でも注目の的である孤高の眠り姫サマご当人なんだ。
そりゃあ目立たないわけがあるまいて。
奇異の目に晒されないわけがあるまいて。
はっはーん、ようやく分かっちまったぜ。
これが姫の言っていた巻き込まれてしまうコトの一つってヤツなのだろう。
確かに一筋縄でいけるほど簡単なモノではなさそうだ。
俺の覚悟が試されているまである。
けれども、まぁ。
「……しゃーねぇか。乗りかかっちまった船だもんな、畜生め」
彼女に背中を預けても構わないヤツだと判断してもらえたのなら、そりゃあ嬉しくならないわけもないだろうよ。
それにさ、美人さんに頼まれてノータイムで是と言えない男は男じゃないだろ?
今この状況で数多の言い訳を並べたところで、彼女をここに放置していい理由にはならないわけだろ?
そもそもの話、俺には運ぶ以外の選択肢は残されていないのである。
仕方ねぇのさ。行くしかねぇさ。
少なくともいつもの移動よりは時間が掛かってしまうことだろう。チャイムが鳴り響くより前に動かねば間に合いそうもない。
さぁ、善は急げだぜ、俺。
と、ここで先に俺の腹が鳴ってしまった。
……そういや昼メシ、結局食えなかったな。
彼女を背負ったまま購買に並べるほど鋼のメンタルを有しているわけではない。
まして寄り道している時間などないだろう。
今日くらいは我慢してくれよ、俺の空腹感よ。
ぐぎゅるるぅと今まさに情けない音を奏でてしまっている。
まさか空腹のまま背負う彼女の身体がほんの少しだけ重く感じる――なんてことも、口が裂けても言えるはずがなかろうて。
この胃に突き刺さるような痛みは空腹のためか、それとも道行く生徒方の視線のためか。
空の上の太陽が微かに嘲笑っているような気がする。
春の陽気は暖かくも、まだほんの少しだけ肌寒い。
そう思い込むしかない俺は将来詩人にでもなっているであろうか。
神のみぞ知ると言わせていただきたい。
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