第2話 ホット缶コーヒーの奇跡 - 11
さてさて。
あえて俺自身のモノローグ的な自己紹介は控えさせていただこうか。
こんな取るに足らない男子高校生のプロフィールを覚えるくらいなら、英単語帳の最後の数ページを丸暗記してもらったほうがずっと有意義な人生になるだろうさ。
もちろん俺に名前についても軽く割愛させていただきたい。
この調子なら放っておいても孤高の眠り姫サマ――改め、姫が好き勝手にお喋りしてくれるだろうからな。
とりあえずの目配せにて俺の口答ターンを終了した旨を示してみる。
彼女は一瞬だけ不思議そうな顔を向けてきたが、割とすぐに頷いてくださった。
なるほどなかなかの察しの良さである。
「ふむ。教室で耳にしたときにも思ったが、キミも相応に変わった名前をしているよね。
そしてまた、こういった珍しい名前には簡単なあだ名が付きやすいというのが世の常だ」
「確かにそのまま直で呼ばれるよりは気が楽かもしれん」
「案外、私とキミは似た者同士なのかもしれないね」
いやはや、よくぞ俺の心理状況をご存知で。
ナイス推察とでも言い表しておこうか。
別に俺の名前は昨今でいうキラキラネームに分類されるタイプではないと思うのだが、かといってソーシャルゲームのガチャで例えたら余裕でSRかSSRのレア度になってしまうモノではあると思われる。
病院で名前を呼ばれるときなんかは、必ずと言っていいほど両サイドに座るご老体患者が振り返ってこちらの顔を覗き込んでくるくらいだ。
確かにアンタらの世代にはいないだろうよ。
物心ついたときには名付けの由来を親に聞いていたくらいだ。今はもう理解も納得もしているが、ほんの少しだけ恥ずかしさが残っていることもまた事実である。
あまり口にしたくない理由。
少しは共感していただけたであろうか。
実際、親以外からはあだ名で呼ばれることのほうが圧倒的に多いのである。
「少々珍しげな名前はともかく、ニックネーム自体はとてもピッタリだと私は思うよ? もちろん忖度や共感の念を抜きにしてもね。
何よりまっすぐで呼びやすい上に、素朴な響きがとてもキミに似合っている」
「そりゃどうも」
「いやいやこちらこそ」
そう返答をすると彼女は再三に缶コーヒーを手に取って、口に運びつつも静かに目を閉じなさった。
やはり、とても絵になっていると思う。
もしも俺が写真部在籍の人間であったのなら、何も考えずについシャッターを下ろしてしまっていたことだろう。
昨日までの俺は眠り姫の眠り呆けている姿しか見ていなかった。ゆえに、その姿にはいつもどことない〝幼さ〟や〝あどけなさ〟を感じていたのだが。
今日のコーヒーを飲んだ後の彼女には、堂々たる〝気品さ〟や〝大人っぽさ〟をコレでもかと言わんばかりに感じさせられてしまっているのである。
雰囲気だけで人はここまで変わるものなのか。
まったく不思議な生き物だよな。
眼前に座す〝元〟眠り姫様がレアケースなのかもしれないが。
やがて彼女はゆっくりと目を開いて……。
俺に向けて軽く微笑みを見せて……。
そして。
「では、私もキミのことを〝ヨウ〟と呼ばせてもらっても構わないかな? ちょっとした親しみとほんの少しの敬意と、心ばかりの憐れみの念を込めて、ね」
「おうよ。好きにしてくれ」
「お言葉に甘えて是非そうさせていただこう」
さらっとオッケーの返答をしたわけではあるが。
内心では心臓バックバクの爆心地である。
というのもそれは彼女の破壊力抜群の仕草を見てしまったためである。
んな、ななな、なんだと!?
ただでさえ姫な見た目は大変よろしいというのに、微笑みだけでなく、トンデモなく整ったウィンクまで飛ばしてきやがっただと!?
今日はやたらと表情豊かだと感心していたものだったが、まさかウィンクなんていう超必殺技も併せ持っていらしたとは。
ち、畜生め。
……俺としたことが。
柄にもなくドキッとしちまったじゃないか。
今もまだ頬が火照っている気がするのは、この春の暖かな陽気のせいだと思いたい。
唐突ながらに誤魔化し用の咳払いをお一つ。
強制的に話を戻させていただこうか。
俺は周囲の人間からはヨウと呼ばれている。
そこそこ親しいヤツも別にそうでないヤツも、周りに合わせてなのかそう気軽に呼んでくれているらしい。
俺もまたありがたいと思っているわけだ。
できればこのままで進めさせていただきたい。
いいか? 大丈夫か?
さすがにもう覚えたか?
少なくとも英語の小テストにも期末テストにも出されないだろうが、お手持ちの英単語帳の最後の数ページを暗記するのが面倒なヤツは、是非ともこのあだ名だけでも覚えて帰ってくれたら嬉しく思うよ。
「ふぅ。それではお互いに自己紹介を終えたということで、そろそろキミの疑念を解消する時間に移らせてもらおうか。
キミをこの場に連れてきた……否、連れてきてしまった理を。そして、この缶コーヒーの秘密を知りたいのだろう?」
「ちなみに黙っていても教えてくれたりは?」
「さすがに相槌くらいは返してほしいかな。私もそこまでお喋りなお人好しではないつもりだからね。むしろその逆、内心では人並み以上に人見知りな人種だと自覚しているくらいさ。
ただ、普段の私の姿が仮初めなのか、それとも今の私の姿が興奮剤という名の偽りの仮面に力を借りているだけなのか、その答えは自分でもあまりよく分かっていないのだけれども。
……それでも、聞いてくれると嬉しいかな」
「ああ。元より乗りかかった船だ」
ぺこり、と。
素直に頭を下げさせていただいた。
真面目に、真摯に、そして真剣にだ。
今ここで中途半端な回答を返してしまったら、即座に適当にはぐらかされてしまうような気がしてしまうのだ。
誠実そうな彼女に限ってきっとそんなことはないのだろうけど。
俺の第六感が即座にそう警笛を鳴らしたのである。
「ありがとう。この際だ。私も正直に打ち明けさせてもらうよ。偶然と巡合とが折り重なって生まれた――この奇妙な時間も何かの縁だと思うからね。
多少は耳を疑うようなこともあるかもしれないが、まずは何も言わずに聞いてもらいたい。それでもいいかな?」
「ああ。よろしく頼む」
「改めて、こちらこそ」
姫もまた姫でぺこりと頭を下げてくださった。
俺だけが知れる眠り姫の秘密ってやつか。
なかなかに興味深い内容じゃないか。
少なくとも小テストの勉強よりはよっぽど興味あるぜ。
むしろ毎日でも聞いてやりたいくらいさ。
静かに目を閉じたまま、姫は言葉を続ける。