第2話 ホット缶コーヒーの奇跡 - 8
空になった缶コーヒーを彼女がテーブルに置くと、周囲にはカコンというそれはもう気の抜ける金属音をスンと鳴り響いたのである。
ただでさえこの近辺には障害物がないからな。
おまけに今日は風もほとんどなくて穏やかだ。
下手したらお互いの呼吸や鼓動の音まで聞こえてしまうかもしれん。
そんな些細な物音が合図だったのか、それとも単なる偶然か。
再三にして眠り姫と目が合ってしまった。
いつになく目元がパッチリし始めているように見えるのは気のせいだろうか。
彼女はただ一言だけ、ぼそり、と。
「……そのまま一分間待ってて」
「一分間だって? やたら具体的だな」
「……大丈夫。すぐに分かる」
意味深なことをお呟きなさったのだ。
一見ではツンと突き返されてしまったようにも思えるが、あくまで待っててと言われただけであって、今回は無視をされたわけでもない。
いきなり訪れてしまった手持ち無沙汰である。
どうやら今はただ静かに目を閉じているようだが、そのまま観察を続けている間に、また「見るな寝にくい」というキツい牽制球を投げ返されてしまっても困る。
仕方なく視線を落とすと、先のブラック缶コーヒーが目に映った。
よくあるメーカーのよくある銘柄だ。
ゴシック体でデカデカとBLACKの文字が描かれているらしい。
ちなみにこれは余談だが、俺はブラックはあまり好きではない。
というより、高校生になったばかりの俺はまだ断然に子供舌なのであり、苦味を旨味と捉えられるほど大人びてはいないつもりだ。
ゆえに澄ました顔でサクッと一気飲みをして見せた彼女には、何というか、ある種のカッコ良さというか、若者特有のオトナへの憧れのような感情を抱いてしまったのだ。
うわ、なんか、すげぇー……と。
そこに痺れる憧れるゥ、と。
最近眺めた漫画の内容を思い出してしまった俺は、まだまだ子供なのかもしれんな。
そうこうしているうちに、早くも一分が経とうとしている。
ええい。眠り姫のアクションはまだか。
わりと素直に待っていたつもりだ。
せめて最低限の対価を要求させていただきたい。
こちとら成長期の腹の虫を治めるために必死なのである。
今にもグギュルとひと暴れしそうな、まして校歌斉唱を始めそうな勢いの腹の虫を必死に宥めようと、震える手で己のお腹を撫で始めた――次の瞬間のことであった。
彼女が、もう一度ゆっくりと目を開いて、そして。
ずっと閉ざしていたその口を開いたのである。
「――ふぅ、待たせて悪かったね。時間と手間をとらせてしまったことについては謝ろう。この通りだ。すまなかった。
覚醒作用のあるカフェインがこの脳と身体に行き渡るにはどうしても一分程度の時間を要してしまってね。そこそこ難儀な体質なんだ。
……おや? どうして君はそんな鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしているんだい?」
「え、あ、いや……はぁ?」
何だって? 今、豆鉄砲と言ったか?
ああ、実際、喰らっちまったね。
それも3点バースト発射を全弾急所にに命中レベルの大事件である。
むしろ鳩どころか鷹がモノホンの鉄砲を喰らっちまったくらいだと声を大して言わせていただきたい。
何だ、どうした、何が起こった?
この眠り姫にいったい何があったってんだ。
もう一度言う、もはや誰でもいい。
この際鳩でも鷹でもカラスでも構わん。
「は、はぁぁあぁあッ!?」
「なるほど驚愕しているようだね。まぁ無理もないか。この姿を学校内で人に見せたのはキミが初めてなんだから。
ああ、落ち着くまで存分に声を出して驚いてもらって構わないよ。ここは特に人通りが少ないからね。人目を気にせずに好きなに振る舞える、私のお気に入りの場所なんだ」
え、あ、マジでコレ、どういう状況なの?
どうして孤高の眠り姫様が、今俺のすぐ目の前で、最強レベルのパッチリお目々で饒舌に喋っていらっしゃるの?
正直、理解が全く追い付かんのである。
夢でも見ているのではあるまいか。
実はまだ早朝のベッドの上だとか?
もしくは現代国語の授業中かもしれん。
老教師の子守唄には勝てるわけがなかろうて。
しかしながら、だ。
「ああ、安心してほしい。これはキミの幻覚などではないよ。全て現実の出来事さ。受け入れ難い気持ちも充分に理解できる。
これでも人並みの感性は持ち得ているつもりだ。信じてもらえないかもしれないけれどね」
どうやら紛れもない現実らしいのである。
……な、なるほど。
もしや読心術でも扱えるのだろうか。
そしてまたビックリするくらいに表情豊かだ。
ほんのりハの字に眉を下げていらっしゃる。
こんな眠り姫、一度だって見たことないんだぜ。