第38話 カレン戦
「来たわね」
たどり着いたアタシへ駆けられた最初の言葉はそれだった。
まるで、アタシが来るのを心待ちしていたかのような、待ち人の雰囲気は謎めいて、怨霊のような奇妙で悪意満点の笑みで告げる。鎌を持ったカレンは臨戦態勢そのものだった。
そんなカレンに警戒しながらも、アタシも立ち止まって氷の鎌をここに顕現させる。
「さあ、殺り合いましょう?」
甘く誘われるように言われる言葉に、戦う前にアタシはまずやらなければならないことを実行する。
このまま戦えば確実にアタシは勝てない。
ゆえに揺さぶらなければいけない。探り、観察し、カレンの攻略法を見出せなければ勝機は皆無。
まったく、そんな状況でありながらどうしてここへ来たのか。自ら猛獣の住処に迷い込んだ小動物同然で食い殺されに行くようなものなのに。
けれど、それでも、それゆえにこなければいけなかった。
この街のどこにいたとしても、きっとカレン達には関係はない。
最初の試練で発揮された街の三分の一を消し飛ばす破壊力。それは恐らく手を抜いて、あの破壊力であり、それに対抗できる力を少なくともアタシは持ち合わせてない。それに、隠れたってアタシ達の場所は筒抜けなんだろう。
だから、待つのに痺れを切らされる前にどうにかするほかないし、待っていたって状況は変わらない。
けれど、そんなややこしいこと、アタシはどうだっていい。
アタシはミカエやリアを守る。
ここへ来た理由なんてただ、それだけでいい。無謀なことなど百も承知。
それでも、ただで負けるなんて考えちゃいない。
「まあ待ってよ」
「待つ? この場所へ来て、まさか命乞いでもする気?」
挑発するように、薄く笑い言ったアタシに、抑えられた猛獣のようにカレンは歯を剥きだして、奇怪な笑みのまま怪訝な反応を返して来る。
「アタシさ、ここに来る前にエリーゼって子にリアの絵本読ませてもらったんだ。
アンタとアタシのことが分かるって、その本にアンタのことが書いてあるって」
「へえ、それで?」
それを言った瞬間に、カレンは睨み聞かせた。
「アンタ、ずっとアタシのこと気にしてただろう。それがようやく分かったよ」
氷の鎌を左手で持ち、開けた右手に力を集中させる。
そして、そこに白銀の光の粒子が集まるとクマのぬいぐるみは顕現させた。
顕現したクマのぬいぐるみはアタシの聖器本体。それをカレンへと見せるように抱きかかえ、話を続ける。
「これがアンタとアタシの繋がりだ。アンタはこのぬいぐるみを友達から譲り受けた、けどなんでかそれがアタシの聖器になっている。
それをアンタは取り返したいんだろう」
結局、結論から言えば絵本を読んでもアタシの頭じゃ詳しいことは深いところまで読めなかった。
それでもこれだけは分かる。
カレンのこのぬいぐるみへの執着がアタシを気にする理由だと。
その問いに死神はどう答えるのか。
「ふふふっ、あははっ、あははは――」
問いに返っていた反応は動揺でも同意でも無かった。
ただ笑った。最初は小さく、けれど次第に大きくなって頭を抱えて今までの薄ら笑いとは違う、破顔するほどの大きな笑で。
そうして笑いは収まると破顔した顔を元のニヤついた顔に戻し、熟れた真っ赤な悪魔のような瞳がじっとりと細舞って、舐めるような視線を指の間から飛ばしてカレンはただ一言。
「違うわ」
冷たく切り捨てた。
「なにをどんな話を読んだのか知らないけど、ここまで的外れだなんてエリーゼも滑稽ねぇ。しっかり記録できていなかったのかしら?」
エリーゼを知っている?
いや、それよりも違うのか?
このぬいぐるみをカレンと関係ない?
「なら、何だっていうんだよっ。アタシの聖器は関係ないって言うの」
「ふふっ――
ええ確かに。アナタとカレンの関係性はソレよ。
でも、それは譲り受けた? 違うわ。それは元々カレンの物よ。だから取り返すなにもない。前に壊しそびれたゴミにすぎない。ただの過去の汚点。
カレンは記憶と共に消えるべきだった。
だから消すの。今更取り返そうなんて考えてない。
ゆえにここでその記憶(魂)を消去する」
緩んでいた口元が引き締まり、初めて嘲笑のないカレンの表情がアタシを睨みつけた。
瞬間、火蓋は強制的に落とされた。
「黄泉下りて千人絞め殺しいむ――形色せよ降臨、無忌無残ノ黄泉惨首」
「これは……」
放たれた言葉と共に周囲の空間が歪見始めると、広場全体を灰色の煙のカーテンで覆うように濃い霧が包み視界は悪くなりカレンの姿は見えなくなる。
そして――
「あぐっ――」
右肩を切り裂かれた衝撃と共に痛みが襲い掛かった。
無論のこと霧により周囲の状況は見えず、どうやって切り裂かれたのかも分からない。
斬られた。けれど、何故だか傷はなく以前のような血が吹き出ていない。
それはまるでレアから受けた治しても消えない痛みに酷似していたが、それとは違う。痛みは感じたが、その痛みは肉体的というより精神的というか感覚に直接かんじるような。
とにかく、体の芯にキーンと響くようなもので、同じ痛みでも受けた効果はレアと明らかに異なることは確かであった。
「っ――」
聖器本体であるクマのぬいぐるみを銀の露と消し、体制を立て直して慌てて氷の鎌を構え直して辺りを見張る。
だが、警戒するも濃い霧で辺りは一寸先は灰色で、既に1メートル先も見えない状況である。
これがカレンの降臨? 濃い霧で姿は見えず、それどころか先ほどまでの向けられた視線や圧力すら感じられない。
むしろすべてが虚無なんだ。霧に覆われて平衡感覚が鈍ったのか、全身に掛かっていた空気感すら透明度を増して透き通って体が軽くなったような錯覚がする。
霧で目くらましするだけならばさほど問題ないが、この感覚、本当にそれだけなのだろうか。
「ああ――ぐっ!」
正体不明の斬撃がアタシを数度切り裂いて、痛みが真髄へと響かせる。
「どこにいるか分からない……でも…」
姿を隠しても無駄だ。
場所が分からないのなら全て凍らせればいいだけだから。
「くあっ――」
刃が嵐のように走る。
走る刃は数百。まるでまとわりつく霧が刃のようで全身の肉が斬られ、体ではなく魂が引き裂かれ体の芯へと響く。
「まさか、させると思う?」
「っ――何を……」
カレンの能力は不明で、精神的に負荷をかけるような物だというのは分かる。けれど、大したことない。
この霧だって、だって……。
「………」
あれ、アタシは……。
「………」
何をしようとしていたんだっけ。
「ああっ――」
切り裂く刃が止まらない、腕、足、腹、頬、胸、あらゆる場所にまとわりつく霧は刃となってアタシを切り裂いていく。
その攻撃に痛みはあっても、傷はない。
けれど、なんだこの違和感。なぜ、カレンはこんな無駄なことを繰り返しているのか。
アタシを倒すなら素直に切り裂けばいいのに。
何故っ。
「っ――くそっ、考えがまとまんない」
今はこの攻撃を何とかしないと。
けれど、どうすればいいのか。考えるも、不思議と次の瞬間には思いついたことがなんなのか覚えていない。
考え至ったことが片っ端からど忘れしていくような謎の感覚。別に頭が重いとかではない。
むしろ、心身ともにこの霧の中で晴れて、軽いぐらいだ。
なのに、考えだけは何故かまとまらない。
■
さあ、消えろ消えろ消えろ。
消えてしまえ。
振りかざす霧の刃は幾数千。
すべては記憶(魂)を切り裂く能力を帯びており、それに一たび触れれば並みの相手ならば瞬時に魂を消滅させる。
触れる刃一つ一つにその効果を帯びており、その力は魂と言う名の記憶を切り裂き消去する無限の刃に他ならない。
そう、それこそがカレンの降臨の正体であり彼女の勇者以外に願う唯一の願いだった。
「さあ、消え去りなさい」
「うああっーー」
ただ消え去れ、消去されろ。
アンタとカレンの繋がりなど必要ない。その記録はあってならないのだと、過去も現在も区別なく、記憶という記憶を片っ端から切り裂いて、ロプトルの記憶を消し去ってゆく。
なぜ、アナタなんかがいる。それは絶対に残してはいけないもの。だからアナタの存在と共に消え去れ。
楽しかった記憶も辛かった記憶も何もかも。そこに居止めはつけない全て等しく合ってはいけない。消えなければいけない。
「あああああああああっ!」
感情が吐露し始めるほど、その斬撃の練度は練りあがっていく。切り裂く速度は数百倍に、切れ味も同じく触れれば空気すら裂く蜃気楼へとへと嵐の如く荒れ狂う。
「このっ」
切り裂かれた体を立て直し、最後に斬られた方向へむやみやたらとロプトルは氷の鎌を振る。
無論、それは空を切りカレンには辺りはしない。
しかし何故? とカレンは同時に疑問を持った。
能力に手は抜いていない。無数の刃は間違いなくロプトルの記憶(魂)を刈り取って、着実にその記憶ごと存在を減らしているハズ。
であるのに、まだカレンと戦っていることを覚えている。
いや、そもそも。
どうしてこれだけ切り裂いても、全ての記憶を失わない。
ロプトルがそれなりにカレンの力に何かしらの耐性があることは知っていた。けれどこれは異常だ。
既に通した斬撃は千は優に超えているにもかかわらず、まだ足りない。ロプトルの記憶をすべて消しきるのに至っていない。
並の者ならば一度裂かれれば全てを失うハズ。
リムだってそうだ。
アレは二度の斬撃でケリが付いた。
理由は分からない。だが、なるほど。
「存外、カレンのおまけだった癖に、固い密度を持っているらしいのね。ならばそれら全てをそぎ落とすまでよ」
切り裂く密度を上げていく。
記憶がそぎきれないというのならば、それらがすべて無くなるまでそぎ取ればいいこと。
どうせ、こいつは手出しなどできないのだから。
なんの問題もない。順次カレンの仕事に不手際なく、このまま順調にいけば普段と同じ通りの死神として役目を果たすだけに終わる。
「ああああああああっ」
「どう? そろそろ効いてきたではなないかしらぁ?」
既に通した斬撃は数千を超えている。
であるのに。
「まだまだ……。カレン……」
まだ覚えているとは、随分と往生際の悪い。
斬り損じたのか?
「口だけね。それで、そのザマで。なにをなせるというの。
早く消えなさい。目障りよ」
そうだ早く忘れ、消えろ。
カレンの記憶から、カレンのことも忘れて、カレンとの繋がりなど消えてしまえ。
これでも消えないというのか。
いや、能力は絶対。聞いているはずだ。
試しにカマを欠けて、試してやろうか?
「ならこのあたりで少し遊びましょう」
「遊ぶ?」
「ええ――アナタ、自分の名前は覚えていて?」
「名前?」
その問いに、目の前で考えふける彼女は答えない。
「うふふ、そう」
やはり、記憶を失っているのか。
ならば迷うことはなにもない。
「うあああああああああっ!」
ただ消えろ。
それこそがアナタとカレンの幸福だ。
アナタとカレンは決して繋がりがこの世に残っていてはいけないのだと。
そう信じて、放つ刃の回転率を更に上げてゆく。
「さあ、ヨミ。すべて忘れなさい」
■
「あああああああああ――!」
なに? なにがおきてるの?
「っ――」
体中を端に抜ける刃が体の芯を削っていく。
その乱雑な勢いにアタシは、手を脱せないでいた。
いや、それよりも――
「っ、アタシの名前だって?」
「ええ」
見えぬ刃を霧の中で振り払い、体制を整えて身構え、そうしてカレンのふざけた質問に反射的に思考する。
だが、しかし。
「………っ」
なんで、分からない。
「おもい、だせない……」
まるで、そんなものなんて無かったかというように、思考は巡っても答え(アンサー)は返ってこない。
「ふふふっ――そうよねえ。そうよねえ。アナタは忘れる。これから何もかも。
まずは自分、それから、戦う理由。そしてカレンのことを。そうして最後には自分が存在すること自体忘れて消滅する。
さあ、消えなさい。そして、二度とカレンの前に現れないようにその魂を無に送ってあげ
る」
溢れんばかりのその渇望を高らかにカレンは謳いあげた。
吹き荒れる刃はその宣言と共に厚みを増してゆく。
「っ――そうか、アンタの降臨は……」
「ええ。繋がりの否定、願い現れたのは存在の抹消よ。
だからカレンに斬られた物は全て消える。アナタの記憶もカレンも記憶もそして存在そのものが消えるの」
語られた真実はなんということか。
元来、聖器の力とは言わば想いの力であり、その思いは他者との交わりがあるからこそ発生する。
それは絶対の真実だ。
そもそも何かが自分に対して良くも悪くも作用して、繋がりがあるからこそ感情は生まれるもの。どんな願いでも他者との関係性があるからこそ成立する。
であるのに、カレンは真っ向からそれを否定している。
他者との関係を持って重んじていながら、ならば不要と吐き捨てて、真っ向からなくそうとしているのだ。
そんな、矛盾した発想は最初から破綻している。
アタシ達の力は想いが力で、その想いは他者との関わりが濃いほどより強固なものになっていく。
あるにも関わらず、カレンは想いを強くしてより力を強くするわけではなく、相手も自分も例外なく繋がりを記憶と共に消し去るというもの。それでは力が作用しても感情は次第に薄れ、同時に力の強さは緩くなっていくことになる。
それは間違いない。そもそも互いに存在を認知しなくなるのだから、相手に対する想いなど湧きやしないことになる。
それでは原動力となる想いは対象を消した時に消え、同時に力は毎回消滅してしまう。
ロザリオ(聖器)の力、降臨とは想い。つまりは渇望なんだ。
その願いは自分が持っていないからこそ、憧れたり嫉妬したりするから生まれ、最終的には欲し手に入れるというところが着地地点であるはず。
なのに、それをはなから手放すことを前提にしている力などありえない。
相手を徹底的に排斥しようとしている半面、カレンは一体何を考えているのか。
不明であり、それゆえに詰んでいた。
「このッ」
勢いに任せて正面の地面を凍らせるものの、カレンの刃は止まらない。
カレンの力は間違いなくアタシの記憶が無くなるほどその威力は衰える。それは間違い。
アタシの記憶がなくなるということは、カレンとの繋がりが薄れ存在が無くなりつつあるということ。無論完全に消されるまでカレンは特例としてアタシを認識し続けられるという可能性はあるが、その記憶は着実に互いから消えていくということになる。
だから、カレンの力は強まるのではなく間違いなく弱まっていくことになるはず。それは力の源が想いなのだからそれは間違いない。
何も感じない相手に感情を燃やすことなんてできないはずだから。
でも、それは逆に言えばカレンは間違いなく、最初こそ最強ということになる。
繋がりが、認識があればあるほどその威力は増す、であれば記憶を消す前が最も力が強いといえる。そのあとは段々と弱まるほかない。
だからカレンの力は最初が全力。欠点を知らない訳がないカレンがスキなど見せる可能性はない。完璧に確実に、自分の力が弱まってもいいように策略家であるカレンが策を講じるはず。アタシなんかがカレンの考えを上回ることなどできるはずないのだから。
ゆえにハマった時点で手遅れ。後は互いに衰退し続けるしかない。
詰んでいる。
だからといって諦める訳にはいかない。
アタシはミカエを守りたいから。
でも、この致命的状況を打破する方法があるとすればそれは――
「ミカエ……」
大丈夫、まだ覚えている。
アタシはアタシのことを確かに忘れつつあるけれども、関係ない。
ミカエを、ミカエさえ覚えていれば、彼女の為だという事実がある以上戦える。
「さあ、続けましょう。アナタが全てを忘れ切るまで」
挑発するカレンの声が濃い霧の中から、四方八方と空間を乱反射して何重にもなって聞こえ、近くにいるのか、遠くにいるのか、その場所すらも掴めなくなってくる。
「あぐうッ……」
続く斬撃はアタシの胸を穿つ。
「ほら、今ので何を忘れたの。名前も知らない誰かさん」
「なにも……。なにも忘れてなんかいないッ!」
虚勢を張って、カレンの刃へと抗いを見せる。
姿が見えない、反射して何処にいるかも予測できない。力の並を辿って居場所を突き止めようとも霧の効果なのかそれすらままならない。
けれど、まだアタシは、まだ……。
「はぁっ……⁉」
アタシは今まで何をしていた。
なぜ、こんな場所に立っている。この霧は……。
「っ……」
いや、カレンだ。カレンを倒すため。
でも、カレンは何処? この力は一体なんの力なのか。
「ああっ!?」
痛い、何今の。
周りを確認しても灰色の霧ばかり、何も見えない。
「カレンッ、これは何! 何処にいるんだッ!?」
「あははっ――フフッ」
不気味な笑いが返ってくる。それは無邪気で、子供が遊んでいるかのようなものだった。
今のはカレンの? ならこのどこかに。
「そう、ここに何故いるかも忘れたの」
「忘れた?」
「さて、ねぇ」
「はっ――っ~~」
見えない刃がアタシを無数に切り裂き、なすすべなく地に片膝を付く。
「ああ……」
アタシは、アタシは……。
「フフフッ」
この声は誰の? アタシは誰?
■■、■■、ミカエ……。何が起きているの?
「ミカエって……」
だめ、それだけは。思い出さなきゃ、消えちゃ。
「それだけは、やめて……」
「終わりね」
「ああああああああッ――――!!」
斬撃がアタシの首を切り裂いて、忘れる、消える、失う。
ダメ、やめて、それだけは……。
「ミカエ、ミカエ…ミカ。あっ……誰……」
思い出せない。
思い出せない。
大切なことなはずなのに、忘れちゃいけないはずなのに、忘れる? 何を? いや、一体今何が起きて、アタシは…、アタシは?
「ああッ!」
分からない! 分からない! 分からない!
私は誰で、ここはどこ?
「キャッ!?」
手にしている氷の鎌を見て、思わず投げ捨てた。
「何これ……」
それは光のしずくになって粉々に、解けとようにその光も消えていく。
「はあぁっ、あ……」
一寸先は灰色の霧。何も見えなくて、何もわからなくて。私がなんなのかも分からなくて……。
体は自然と震えて恐怖の余りに震える。
「ああ、その言動。不愉快よ」
乱反射して、冷徹な言葉が聞こえた気がする。
けれども、その言葉は私の耳には届いすら居なかった……。




