6
ふと、物音で目が覚める。道の後ろから、馬の足音が聞こえたのだ。
――まさか。
「アメリア様、アメリア様!」
アメリア様を揺すって起こす。そうこうしているうちに馬の足音はすぐ近くまで来た。
「そこの馬車! 止まれ!」
その声に、寝ぼけ眼だったアメリア様の体が固まった。
止まった馬車の幌を開けて入ってきた人物を見て、私も固まる。
「……王太子殿下」
なんと、そこに立っていたのは、時の王太子殿下。アメリア様の婚約者だった。
「……ジオ、――どうして?」
震える声で尋ねるアメリア様に大股で近づくと、王太子殿下はアメリア様を抱きしめた。
「――心配した」
その声は、心から安心したような声で、王太子殿下がアメリア様のことをどれだけ大事に想っているかが伝わって来るようだった。
その様子を眺めていた私とアメリア様を離した王太子殿下との目がばっちりあった。
私はびくりと肩を震わせてしまった。
「セルマ嬢か」
「は、はい。ご、ご挨拶差し上げます。王太子殿下。このような格好で申し訳ございません」
本当に謝るべきは、そこではない気がしたが、恐ろしすぎてそれ以上はしゃべれなかった。
「外に出ろ」
「え?」
「外に出てみろと言っている」
私はすがるようにアメリア様をみた。アメリア様も、殿下の袖口を引っ張っている。
「ジオ、セルマは悪くないのよ。全部私が考えて、私が手配したの」
「アミイが考えたとは考えづらいくらい上手い逃走劇だったけどな。――それはいい。怒っているわけではないよ。いいから、外に」
アメリア様の言葉に、私が怖がっていることを察してくださったのか、今度は少し柔らかい口調だった。
「は、はい」
そこまで言われたら、出ないわけにいかない。
王太子殿下は怒っていなくても、外に出たら怒った公爵様がいて切られたりしないだろうか。
私は震える足で、馬車の外に出た。
「セルマ!」
私は目を見開いた。
「クレイグ!」
クレイグは私に近づいてくるとぎゅっと抱きしめた。汗のにおいがした。
「――心配した」
なんだか見たことのある光景だな、と思った。愛していなくても、こうするんだなとも思った。
そしてクレイグは何も聞いてこない。おそらく全てバレてしまっているんだろうと感じる。
「クレイグ。どうしてここに?」
「アメリア様に付き添っているのがセルマだとわかって、王太子殿下が護衛に俺を指名してくださったんだ。自分で見つけたいだろうと言ってね」
王太子殿下は私がクレイグの婚約者であることをご存知なの? アメリア様が伝えたのかしら。でもアメリア様は私との付き合いについて殿下にはお伝えしていないと言っていた。
それより。
「……私、陛下や公爵閣下に処刑されたりするのかしら」
「まさか! 公爵閣下もアメリアがすまないとおっしゃってくださっているし、殿下もアメリア様が無事ならセルマのことを責めたりしないだろう」
「……そう」
良かった。とりあえず命を取られることはなさそうだ。でも、おそらく捕まってしまった以上、もう修道院には行けないだろう。
幌を開ける音に振り向くと、王太子殿下とアメリア様が馬車から出てきた。
何故かアメリア様の顔が赤く、うつむいている。
「アメリアが変な頼みをして悪かったね。――何かお詫びをさせてくれ。望みはあるか」
穏やかに、殿下に言われて本当に切り捨てられることはないだろうとホッとする。
「セルマ。こんなことになってごめんなさいね」
俯いたまま、小さく謝るアメリア様に浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「いえ、あの。修道院はどうなるのでしょう」
「……お断りを入れるしかないでしょうね。寄付金は申し訳ないから、そのままにしていただくわ」
「なら、私だけでも、行くことはできないでしょうか」
私の言葉に、隣のクレイグが息を飲んだのが分かった。
「セルマ!」
肩を掴まれたが、クレイグではなく、私は王太子殿下に視線を向けた。
「殿下。直言をお許しください」
私の言葉に殿下は鷹揚に頷いた。
「許す。ここには我々しかいない。アメリアと話していたように話せばよい」
はい、と言って、一度クレイグを見る。王宮騎士の制服が本当によく似合っていた。
「クレイグは、騎士とはいっても近衛でもない子爵家の人間です。殿下が一人だけクレイグをお連れになったということは、腕は買ってくださっているのですよね」
「セルマ?」
呼びかけるクレイグを無視した。
「ああ。若手の騎士の中では、かなりの腕前だ」
いぶかしがるクレイグを横に、殿下は面白いものでも見るように口の端を上げた。それを見てこれなら私の願いを聞き入れてくださるかもしれないと、心を決めた。
「望みをお伝えしてもよろしいですか」
「もちろん。できる限り応えよう」
「お許しいただけるなら私はこのまま修道院へ行きます。アメリア様のような待遇は求めませんので、最低限生活できる環境にしていただければ構いません。婚約は解消となりますので、クレイグに出世の足掛かりとなるようなご令嬢をご紹介いただけますでしょうか」
「うーん。なるほど。まあ、紹介できないこともないが……」
アメリアが世話になったしなと、殿下が顎に手を当てて考える。
すっと、クレイグが一歩進み出た。片足をついて臣下の礼をとる。
「殿下。恐れながら、しばしお側を離れても」
「よい。我々は馬車の中にいよう。おいでアミイ」
「え、あの、殿下……」
護衛中にとんでもないことを言い出したクレイグにあっさり頷くと、王太子殿下は馬車に戻ってしまわれた。アメリア様も抵抗せずに一緒に戻る。後ろから見ても耳が赤かった。
二人きりになるとクレイグは私の前に回った。肩を掴まれ、顔をのぞき込まれる。
「セルマ。なんで俺との婚約を解消したいんだ」
「……」
「――セルマ」
黙って俯いてしまった私を宥めるように、クレイグは静かに名前を呼んだ。
「……私と結婚したらクレイグが出世できないから」
「――覚えてるのか」
驚いたように言うが、覚えているに決まってる。目を上げると今度はクレイグが俯いていた。
一度、はあっと息をついて、再び私と目を合わせた。真剣な目だった。
「俺がそう言っていた頃、俺も婚約とか結婚とかの意味が分かってなかったんだ。――親父に高位貴族の令嬢と婚約したらセルマとは一緒になれないって知らされた時は青くなったよ」
慌てて、父親を通してセルマとの婚約を打診してもらった。
喜んで受けてくれたと聞いた時は安心したよ。
「え?」
待って。お父様たちが言い出したのを私が喜んだから不本意にも婚約になったんじゃないの?
「――そんなわけない。親父たちがそんな夢みがちなこと言うわけないだろう。俺は、小さい頃から、セルマを幸せにしたいってずっと思っていた。「こんやく」とやらをして、偉くなれたらセルマを幸せにできると思っていたんだ」
はあ。
とクレイグはもう一度息をついた。
「セルマがいなくなったと知ったときはショックだった。父さんに婚約の解消を申し出てたなんて知らなかったんだ」
おじさま、クレイグには言わなかったんだ。
「でも」
反論しようとした私の言葉はクレイグの力強い目にかき消された。
「俺はずっとセルマを愛している。婚約は解消しない。俺はセルマがいい」
修道院へは行かないでくれ――。
クレイグの声が遠くに聞こえる。
「セルマ、返事は? おい、セルマ?!」
正面からクレイグに見つめられて、愛をささやかれた私は、足から力が抜けてずるずると座り込んでしまった。慌てて、クレイグに支えらる。
「……じゃあどうして? どうして誰にも婚約者だって紹介しなかったの?」
クレイグの顔がバツの悪そうなものになる。
「……自意識過剰だけど、俺の婚約者ってことでセルマが令嬢方から嫌がらせを受けるんじゃないかと思って。騎士たちは口が軽いし、俺のことをライバル視している奴もいるから、不埒なことを考える奴がいないとも限らないし」
だけど、この間の夜会で、ほかの騎士たちと話をしているセルマを見て焦った。
最近、様子がおかしいし、突然いなくなるし、親父とおじさんを問い詰めれば、婚約の解消を願っていたって言うじゃないか。
「修道院はなしだ。俺は実力で行けるところまで行く。そんなに贅沢はさせられないけれど、今だってそれなりに稼いではいるんだ」
だから安心して嫁いで来い。
「ふ」
「ふ? ……おい!」
気がつくと、私の目から大粒の涙がぼとぼとと落ちていた。
泣いている、と気づくとダメだった。
クレイグが慌てているのはわかったけれど、道中ずっと気が張っていたのが、緩んでしまったのか、私はいつまでも泣き止めなかった。
背中に置かれたクレイグの手の温もりを感じながら、私は泣き続けた。
結局その後、私とアメリア様は馬車に戻り、時の王太子殿下に先導されるというありえない状態で、来た道を引き返すことになった。御者の人は震えてた、ごめんなさい。
元の町まで戻った私たちは、もともとの宿に迎えに来ていた公爵家と王家の馬車で王都に戻った。
帰りの馬車の中で、アメリア様は終始赤い顔でおとなしく、どうなさったのですか、ときいても、消え入るような声で「なんでもないの……」と答えるのみだった。
読んでいただいてありがとうございます。
今日中にエピローグを投稿して完結です!