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アメリア様は、やはりというかなんというか、とても大事に育てられたお嬢様だった。
修道院に行くことは内緒にしなくてはいけないことはわかっていたが、その計画は穴だらけだった。
まず、当日は、公爵家の馬車で迎えに来ると言う。その馬車でどこまで行くのですかと聞くと、どうやら当たり前のように修道院まで送らせるつもりだったようだ。
それではすぐばれてしまうのでは、と思ったが、とにかくアメリア様は公爵家から出かけるときは、ほかの手段だとかえって怪しまれるらしい。
それなら――。
「アメリア様。急いてはことをし損じます。すぐにでも修道院へ行きたいお気持ちはわかりますが、おそらくそれだとすぐばれるでしょう。失礼ながら、私と偶然親しくなって、足繁く我が家に通ったり、町に遊びに出たりしてください」
私が、考えた計画はこうだ。
アメリア様は、パーティーの帰り道に夜遅く帰る臨時メイドに興味を持たれる。(本当)
アメリア様は、私と知り合いたいと思って男爵家を訪問する。(まあ本当)
アメリア様と私は、意外と話が合い、身分を超えて親しくさせていただくことにする。(多分本当……?)
ある日、いつものように街へ出た私たちは、二人で秘密の話があると個室に籠る(レストランとか宿とかきっとアメリア様なら手配できるはず)
何時間経っても出てこない私たちを気にして様子を見にきたら忽然と消えている。
「いざ修道院へ向かうとなるまでは今まで通り生活してください。王太子殿下にも公爵閣下にも婚約破棄は諦めたと思っていただいた方がいいと思います」
「素晴らしいわ!」
アメリア様は手を叩いて感激してくれた。
そして私の手を両手で掴む。思わずときめいてしまう美しい笑顔だ。
「セルマがいてくれて心強いわ。これからよろしくね」
それから、アメリア様は本当に足繁く男爵家に通ってくださった。最初のうちは我が家でお茶を飲むだけ。
だんだん、アメリア様のお迎えで一緒に外出するようになった。
表向きは、両親の心が保たないから(!)と言う理由だったけれど、もちろん逃亡本番のための足慣らしだ。
アメリア様は、その身分と見た目に反してとても親しみやすい方だった。
最初の頃こそ高級店に連れて行かれては恐縮する私を見て、遠慮しなくていいのよと言ってくださっていたが、次第に私でも遠慮しない程度のお店に連れて行ってくださるようになった。時には、「社会勉強よ」と言って私が普段行くようなお店に付き合ってくださるようにもなった。
「見て、セルマ。このペンかわいいわね。お揃いで買いましょう」
街の文具店で、庶民でも買えるようなペンを喜んで一緒に買ってくれる。公爵令嬢と気付いて恐縮する店主に優しく声をかける。
アメリア様は未来の王妃として素晴らしい人だった。
こんな方の婚約破棄を手伝って、本当にいいのだろうか。
そろそろ、修道院への逃避行決行の日が迫っている。次の外出の際には、アメリア様が二人っきりで話したいと「わがまま」を通す予定だ。
だけど、ここに来て私に迷いが生じてしまった。
王太子様は本当にアメリア様との婚約を破棄してしまっていいのだろうか。
そう考えても、私では王太子殿下と直接口をきくことなんてできない。
「セルマ?」
「セルマ!」
考え込んでしまった私を気遣わしそうに呼ぶアメリア様の声に、聞き慣れた男性の声が重なった。
「……クレイグ」
なんと、そこには騎士服姿のクレイグがいた。私の後ろにアメリア様の姿を見つけて驚きの表情を浮かべた。
さっと騎士の礼をとる。
「失礼しました。ご一緒とは気付かず」
エメライン公爵令嬢とは言わなかった。状況からお忍びであることを察したのだろう。
「クレイグ。巡回かしら。ご苦労様。セルマのことご存じなのね。そう言えばあなたが送って差し上げていたんだったわね。あの日」
あの日。
クレイグに送ってもらっているところにアメリア様が通りかかったあの夜会の日だ。
「はい。あの……」
私は、口篭ってしまう。実は、これだけアメリア様と出かけていても婚約者がクレイグであることは伝えていなかった。親が決めた婚約者で、できれば、破棄したいと考えているということだけを伝えている。アメリア様も、それだけでないことは気づいていらっしゃる様子だが、踏み込んで聞かれないことをいいことにそれ以上のことは言っていなかったのだ。
「セルマは、私の婚約者です。先日はきちんとご挨拶せず、大変ご無礼いたしました」
クレイグが、突然深々と頭を下げた。顔を上げたクレイグの目は、何故かアメリア様ではなく私を見ている。
「え?」
「まあ」
私とアメリア様の声が重なった。
なんで?
クレイグが私を婚約者と紹介することなんてこれまでなかったのに。
アメリア様は黙って、私とクレイグを見比べている。
「今日は、公爵家の馬車で?」
「ええ。そうよ。一応忍んできていることになっているから、そうとはわからないようにしてあるけれど」
「では、じきに日も暮れます。今日は、セルマはこのまま私の方で引き取らせていただいてもよろしいでしょうか」
「え?」
「え、ええ」
どうしよう。最後の打ち合わせを帰りの馬車の中でするつもりだったのに。
でも、婚約者であることを伝えたクレイグの申し出を断るのはこれ以上なく不自然だ。
「そうね。次回の約束は、手紙で知らせるわね」
「……はい」
そう答える私の腰にクレイグが手を添える。
「では。本日は失礼致します」
クレイグに促されて、私は礼をとって店を後にした。手を振るアメリア様が何故か小さく見えた。
「……エメライン公爵令嬢と親しいとは知らなかった」
店を出るとすぐ表に止めてあったクレイグの馬にあっという間に乗せられた。
馬で回っていたということは、町の巡回ではない。どこかからの帰りなのだろうか。
「クレイグはどこに行っていたの?」
質問には答えず、逆に質問で返す。
クレイグの顔は見えなかったが、「……近くの街だ」とだけ小さく答えた。
「こういうことは頻繁にあるのか」
「こういうことって?」
「エメライン公爵令嬢と街に出ることだ」
どうやら、アメリア様との関係については流してくれないようだ。
「時々ね。夜会の後、普段の夜会やお茶会では知り合えない友人が欲しいとおっしゃってくださって。訪ねてくださったの。それから」
「……そうか」
納得したのかどうかわからないけれど、クレイグはそれ以上聞かなかった。
今日も背中に温もりを感じる。
その温もりが思い出させる。私は、クレイグと婚約を解消しないといけない。そのためには、アメリア様と修道院に行かなくてはならないのだ。
アメリア様の事情は、アメリア様の事情。
もう迷っている場合ではない。
いつものように、私の頭を撫でて去っていくクレイグの後ろ姿を眺めながら、私は屋敷に入った。