熱砂のウォーロード、其の壱
再開でござる
熱砂のウォーロード、其の壱
「おぉ〜ぃ、樽の置き場はどこよ?」
「こっちだよ……ったくまた忘れてんのかおめえはよ」
「新しい船の中身なんて知らねえよ」
屈強な男達が大樽を担いで板橋を渡る。彼等は船乗りだ。しかし今回荷運びを行っている船は、一般の代物とは根本から造りが違っていた。
従来アスラで扱われた交易船は自走式の船であり、主流だった。
砂の海という特殊な条件で扱われるため海のものと比べると様々な制約が付いてくる。
その制限は船自体の大きさにも関わっており、最大のものでも中型船クラスだったのだが……トロッケン国からやってきた船は海用の大型船と比べても見劣りしない威容がある。
荷運びに従事する男のひとりが船を見て声を上げた。
「俺ぁ幾つも砂上船を扱ってきたがよう、あんな魔獣に引かせるなんざ黄沙人の奴らは正気なのか?」
「気持ち悪ぃ魔獣だな。ありゃ魚か?」
男が着目したのは船の大きさでは無かった。大型船など海の物で見慣れている。
この交易船は自走式ではなく、操獣術士が操る牽引船だったのだ。それゆえ男の興味を引いた。
何故なら船が大きすぎる。当然この規模の船を引っ張るなど、並大抵の生き物では不可能だろう。
それを可能とする希少で尋常ではない魔獣が男の目に映っていた。
トロッケンの最南端。砂上船ですら横断困難な魔境、深界砂流にのみ生息すると言われている大魔獣砂鯨。
小さな家屋程度なら丸呑みに出来そうな程の巨大獣が砂塵の中で身を休ませていた。
初見では腰を抜かしてもおかしくない。
実際男の声は若干震え混じりで、意地で虚勢を張っていた。
「お、俺に言われても知らねぇよ。あの国の奴らは〝砂まみれ〟だからなァ、頭まで砂が詰まってるかも知れんぞ」
確かになぁ!と空元気で魔獣に対する恐怖を押し込みながらも、男達は手慣れた様子で全ての荷物を船へ運び込んだ。
彼らの仕事はここで終わりだ。
両国を分ける砂海の渡航は過酷である。彼らも普段自走船で漁を行うことはあれど、向こう国へ好き好んで渡るのは商人と修行者くらいだった。
なので国を跨ぐ砂上船の殆どはトロッケン製であったりする。
物珍しげな目で幾度も砂鯨へ振り返りながらも男たちは次の仕事へ移り、船から遠ざかった。
騒がしげに去るその姿を忌々しげに見下ろす者がいる。
「私の可愛いシュミーちゃんに気持ち悪いだと?」
傍目から見れば楽しげに話していた男達。その声を偶然耳にしたのはトロッケン国の操獣術士ニコルで、砂鯨の契約者だ。
明るい黄色の瞳が鋭く研ぎ澄まされる。
淡い茶髪をフードに包む彼女は彼らの言い様に憤り睨み続けていた。
アスラ国と唯一繋がりのあるトロッケン国だが、先の言葉通り両国の人間の中は良いとは言えない。
「これだから〝首取り人間〟は、シュミーちゃんの愛嬌も理解できない馬鹿ばかり……」
ちなみに彼女が言うシュミーちゃんとは現在砂鯨船を牽引し休んでいるこの船の要、砂鯨のことだ。
彼女自身砂まみれ呼ばわりに怒っている訳ではなく、あくまでも契約魔獣に対する呼び名に拘っているようだった。
「いっそ港ごとシュミーちゃんに潰してもらおうかしら」
「いやいやニコルさん!それだけは辞めてもらおうか!」
次第に物騒な独り言になっていく彼女を後ろで困ったような表情をした男が静止した。
「何よバション。護衛が口出ししないでくれる?」
「えぇ……いきなり他国で暴れようとしたら止めるでしょ普通」
「冗談よ」
ただでさえ操獣術士は周りの目も厳しいので、あまり笑えない冗談は辞めてくださいよとバションは締めくくる。
返事はなかった。
本気と冗談の境が曖昧すぎて困る――まだ関わりの浅い相手にバションは精神的に疲弊していた。
「それに暴れさせたらシュミーちゃんの首取られちゃうかもしれませんよ?」
「シュミーちゃんは可愛いから大丈夫なの」
「か、可愛いから……?」
修羅人は敵の首を持ち帰り手柄としてきた大陸には無い独特の慣習がある。
ひとえに宗教観の相違から来る文化の異なりだが、人間の首だけを持ち去るなど、死者に敬意を払う黄沙人には不気味にしか映らない。
現在では廃れた風習でも時折修羅人は気に食わない相手に「首を取るぞ」と脅すことがあるため、他国にまで知られていた。
トロッケンの者から見れば首を切り落とすなどあまりにも異常な行為で、それを揶揄した上の〝首取り人間〟呼ばわりだった。
軽く脅したつもりが意味不明な論理で流されて逆に困惑するバション。
内心嘆息する。
(はぁ……また変なひとの護衛引いちゃったなぁ)
護衛のバションが翻弄されている頃。
同時に暗い心持ちで嘆く男がもうひとりいた。
「魔獣……もっと近くで見たかった……」
イブキだ。
緑色に照らされる空間は狭く、人ひとりが身体を丸めて漸く空きができるような場所である。
そこは先程船乗りの男達が運んだ荷物のひとつ、大樽の中身だった。
荷物に紛れ船へ隠れ入る姿はまるで密航者。いや実の所イブキは無断で船へ侵入しているので密航者で合っているが。
こうなった原因は知識の偏りにあった。
彼は確かに多くの書物に目を通している。文字の読み書きはほぼ完璧であり、他国の本を読む為に独力で外国語を会得してもいる。
ただしその勤勉さは創作で盛りに盛られた英雄譚や、歴史書に対してしか働かなかった。
外を知らないイブキがホンカイにたどり着けたのは単に道を覚えていたからで、都市の中に入れたのも幸運だった。
都市の守衛は都市内から出て行く者へは厳しく検閲を掛けていたが、入るだけならなんら咎められることは無かった。
そして魔石片手に意気揚々と駆け出したイブキは早速躓いた。
――はて、魔石は何処に行けば売れるのだろう?と。
答えは直ぐに見つかる。家の者以外と全く言葉を交わしたことの無いイブキが意を決して通行人へ話しかけると。
「魔石ぃ?ああ、それなら庁舎で引き取りしてるぞ」
「庁舎はどこにありますか?」
「ここからでも見えるぞ、ほら。あのでかい建物だよ。なんでも貴族様が最近建てたらしくてなぁ、今までは別々のところで捌いてたのが殆どあそこでやり取りできるようになった。便利になったもんだ」
「……貴族様って」
「おう、ヒノ家様のところらしい」
物語に現れるギルドとやらも、実はアスラ国には存在しないとイブキは知った。
大陸には、あるのだろうか?
結果として彼は樽の中、両足を畳み座りこんでいる。
部屋の隅で長年蹲った経験が生きたが彼は全く嬉しくなかった。
何度目かになるため息を吐いて、出航を待つ。あまりにも暗い雰囲気には旅立ちを決意した時の凛々しさが欠片もなかった。
心残りはひとつ。
「魔獣……船……見たかった……」