幕間ー業火
幕間―業火
帝の邸宅がある湖畔を囲む華都。その一角に位置するヒノ一族本邸の隠し間にて。
鮮やかな紅髪の男は爆発寸前の怒りを灼眼に湛えながら椅子に腰掛けている。
ヒノ家次期当主、ヒノ・エンシュウ。
彼は苛立ちで渦巻く魔力を身に秘めたまま、眼前で跪く部下に口頭を許した。
「――報告を聞こうか」
「は……」
手駒の男――アカヒトはある意味幸運であった。
怒りの矛先が向けられていたのが自分であったなら今頃ここにいる人間はエンシュウ一人だったろう。
しかしアカヒトは失態を犯しおめおめと顔を出した身、何かの気まぐれで灰にされる可能性が常に付きまとうのは事実。
彼の主は現当主以上に苛烈だ。
その在り方は家の名を体現し、燃え盛る炎そのものといっていい。
只人が不用意に触れれば跡形も残らない、選び抜かれし至極の業火だ。
額に浮かぶ汗を感じながらアカヒトは調査の結果を述べた。
「カガヒサの行方は都市ホンカイ近郊の農村から依然途絶えたままです。追跡術はその先の森までで止まっております」
「愚弟の足取りは掴めたのか?」
「はい。現在は影伏の者二人に後を追わせております。痕跡はホンカイへ続いているとのことです」
「奴は他国へ逃げる気だろう。アカヒト、定期船の出航までに追い付き、消せ。出来るか?」
アカヒトは顔を顰めた。
カガヒサの失踪報告が来たのは送り出してから三日後。既に時間が経ちすぎている。
それに跡形もなく術が消し飛ばされていた不可解な現象、追跡術も完全ではない。
イブキに残された微かな痕跡を辿っている状態だ。
船に乗られ、砂海を越えられてはもう届かないだろう。
チャンスはイブキが船に乗るまでの間しかなく、二週に一度の定期便まで残り二日しかない。
時間はかなり切迫していた。
「それは……難しいでしょう。しかし弟君は長年外へ出られずに籠られておりました。世俗に疎いはず、痕跡が残っている限り影伏の――ぅうっ!?」
「アァカァァヒィトォォォオッ!!」
断言を躊躇ったアカヒトの喉元に赤熱した主の手が食い込んだ。
握りつぶす勢いで圧力を加えられ、熱と痛みに苦悶するアカヒト。彼の首を掴みあげながらエンシュウが顔を近づける。
「俺は出来るのか、出来ぬのか聞いたのだ」
エンシュウは曖昧な判断を殊更に嫌う。
そもそも……彼を苛立たせる原因のひとつはアカヒトにある。
当初イブキ殺害に踏み切った際、確実な案として計画したのがアカヒトだ。
収束に長け殺傷力の高い魔法を操るカガヒサを側に付け保険とし、そして万が一の事態が起こりえないように他家の目が通りにくいヒノ家の遠戚が治める外交都市付近で計画を遂行。
イブキはエンシュウを警戒しているだろうと、当主の通達と偽った。
通達内容を知るのは限られた者たちのみ。
対外的には魔獣征伐に赴いた魔法士二人のうち片方が殉職で終わりだ。
直系としての地位を失い、存在を秘匿されていたイブキ相手だからこそ可能であるとアカヒトは豪語してしまい――最悪の可能性を引き当ててしまった。
まず、計画に狂いが起きた場合の処理を行うカガヒサが音沙汰も無く消えた。
携帯させていた追い札が消滅し、最後に反応を残した場所に訪れてみれば周囲が不自然に平らとなった異様な空間が出来ていたのだ。
アカヒトは焦った。
難しい仕事では無かったはずだと。魔法の修練も積んでおらず身体も鍛えていない素人のイブキを連れ出し、用意した魔獣に当てるだけの簡単な役回り。
もしも、何かの間違いでイブキが魔獣を倒したとしても、その背後には暗殺者カガヒサがいる。
しかし現にカガヒサは消えイブキの痕跡は外交都市へ続いている。
本来なら都市にいる分家筋の人間に話を通し、イブキを捕えさせるのだがそれは出来ない。
当主を偽る策など後継のエンシュウの元であっても極刑ものだ。
故に動かせるのはヒノ家の中でもエンシュウに忠誠を捧げる者たちのみ。
秘密裏に暗殺計画を進めていたのが秘密だからこそ仇となった。
故に今回の結末はまだ当主の耳に入れていない。
エンシュウが自分の手の者だけで念入りに手立てを準備し進めたことであって、誰もが事は順当に済むと疑わなかった。
魔獣を誘導し、討伐の伴という名目でイブキを連れる。
表向きはこのまま腐りゆく弟を哀れんだエンシュウが再起の機会を与えたというもの。
しかし結果は事故によるイブキの死――に収まる筈が。
完全に予想外の出来事だったのだ。
故に計画の詳細を立案した責任者であるアカヒトは猛然と滾る怒りの全てを向けられてはいない。
想定外の失態から来る恐れがアカヒトから普段持っていた勢いを削いでいた。
しかしそれも命が掛かった状態であれば再燃する。
実の所アカヒトの考えでは追いつくか否かはイブキ次第だ。
彼はイブキが長年引きこもり、外の事情にえらく疎いことを知っている。
随分と書物を読み漁ってはいたが根本的な常識に疎い人間が早急に外の世界に適応するとは考えられなかった。
国外逃亡以前に定期船の乗り方など知らないのでは――そうであれば追いつけるという願望に近い期待がアカヒトの中に強くあったのだ。
だがそれを抜きとするならば。
「ふ、不可能、です……」
爛れた首元を庇いながら朦朧とアカヒトは答えた。
今からイブキを追い、居場所を絞るには時間が足りなさすぎる。
このまま国を出られてしまえば秘密を知りながら失敗したアカヒトの首は飛ぶかもしれない。
今更誠実に答えたところで死ぬ時間が伸びるだけか、諦めを抱きながらアカヒトは項垂れた。
しかし続くエンシュウの言葉にアカヒトは耳を疑う。
「ではアカヒト。先に送り出した影伏二人を連れてお前も船に乗れ。絶対に逃すな……」
「エンシュウ様!?」
一瞬首の痛みすら忘れて目を剥いたアカヒトをエンシュウは一瞥して黙らせた。
しかしアカヒトにとってはこの命令はただ事では無い。
自身魔法士としても優秀な彼は、エンシュウ直属の部下として重宝されてきた……自負がアカヒトにはあったのだ。
だがアスラ国――それも四大貴族に縁する人間にとって国外任務の意味は重い。
国境は殆どが魑魅魍魎渦巻く魔境の海に囲まれ、唯一国交が繋がるトロッケンとの航路も砂上船という特殊な手法でなければ渡り切れないアスラの島国。
しかしそれすらも多くが事故で失われている。
まさに超自然が作り上げた要塞。
他国の介入など有り得ない、帝の神秘性を謳われる一端。
尋常な手段では決して攻めきれないアスラ国は他国に行くのも戻るのも困難である。
並の方法ではその命、散らすであろう。
(何故だ、弟君一人のために何故ここまでするのだ)
国外へ往くなど、戯れで命じられる内容ではない。
信じられない思いでアカヒトはエンシュウを見上げ、変わらず冷酷な瞳の中に欠片も冗談が含まれていないと理解した。
「承知致しました……必ずやあの者の首を取って御覧にいれましょう」
「期待している」
絞り出すような言葉で応じたアカヒトを感情の篭っていない声でエンシュウが送り出す。
アカヒトが消え、再び隠し間には静寂が戻った。
「アカヒト……貴様には理解出来んだろうよ」
部下の通った扉を見てエンシュウは呟く。
赤熱化した右手は周囲の空気を歪めるほどに唸っていた。まるで彼の怒りが全て注がれたかのように。
屋敷を後にしたアカヒトはすぐさま二人の手下へ意識を繋ぐ。
交差した掌から半透明の魔力線が伸び、数秒後に離れた外交都市近くで活動する二人の影伏と意識が繋がった。
限られた者同士が扱える以心伝心の秘術。アカヒトはこの距離と時間を超越する能力故に、エンシュウの元で立場を得た。
「私だ。キジマ、ハセ、現状を報告しろ」
唐突なアカヒトの要求へ間髪入れずに返答が返った。
『はい。アカヒト殿、キジマより報告致します……現状我々はハセの追跡術によりホンカイへ到着。やはり外交都市へ来ているようです。しかし人の気配が増えた分、痕跡を掴むのも困難となっております』
「そうか。そのまま追跡を続けておけ。
弟君の目的は国外逃亡だろう。砂上船を中心に改めろ。ホンカイで姿を掴めなかった場合……我々もトロッケンへ発つ」
繋がった意識から息を飲む気配が伝わってきた。
『なんと……』
「これはエンシュウ様からの命令である。お前たちはホンカイで追跡を続けながら待機しろ、私も直ぐに――」
追いつく。
アカヒトは意識の接続を切り、もうひとつの術を扱うべく精神を統一。
以心伝心の術で身を立てたのは事実だ。しかし彼が操る秘術はもうひとつ、ある。
彼の眼差しは術へ向ける集中だけではなく、自らの出世への道に傷をつけた男、イブキへ向ける憎悪が浮かんでいた。
主の前で失態を演じる不名誉は二度と、犯さない。
「絶対に、奴には死んでもらう」
魔力が渦巻きアカヒトの両手に火が灯った。それは彼が素早く腕を振ることで弾け、塵じりとなった燐片は大きな鳥の姿を象って具現化する。
具象化された火の鳥の化身が甲高く鳴いた。
「往くぞ緋緋鳥」
現れた深紅の大鳥の背中へアカヒトが飛び乗る。
これこそ以心伝心を操るアカヒトが体得せしもうひとつの秘術。
対象を象る事でその権能を発揮する呪法の秘技、ヒノ家でも片手で数えられるものしか使えない魔法生物の具象術により生み出された炎の鳥。
魔法の鳥は殺意を滾らせる造物主を背に大空へと舞い上がった。
次回、トロッケン編へ