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緑燐―異彩の炎使い―  作者: 天津麻羅
修羅の国《アスラ》編
2/5

蝕む炎、其の弐

蝕む炎、其ノ弐


日の下に巨躯を晒す魔獣の名をファグという。

しかし流石は巣窟(ネスト)から単独で流れ込んできた個体と言うべきか、そのファグは大人二人分の丈よりも更に大きい巨大個体(マグヌス)だった。

生命力(オド)に満ちた巣窟にて育まれた個体は、非常に屈強だ。


樹木の裏で身を震わせるイブキには森を悠々と闊歩するファグの姿が悪鬼に勝る恐怖の化身として映った。


あの鋭く捻れた二本の牙で、数多くの獲物を屠ってきたのだろう。

白い牙のは先端に近づくにつれ焦げ茶色に染まり、先は血のように赤い。

気性は荒いのか一抱えもある太い木が裂けて倒れていた。

野生の秘める恐ろしいまでの力強さ。

傍目に見ているだけでもファグに培われた生命力(オド)の息吹を感じるほどに。


(無理だっ!死にたくない……)


今からアレに挑めというのか。イブキは自分が物語の英傑のような非凡な才児ではないと自覚している。

生まれつき授かった緑炎の血統魔法は呪いのように身体を蝕み、試しの儀以降彼の体は貧弱のままだった。


一人でこっそりと炎を扱ったこともある。

緑炎を使って倒れたのは最初の一度のみでその後の使用において生命力の枯渇や身体に影響が出た試しはない。


彼の知る炎の魔法や魔術は爆発的な破壊力に長け、ほぼ全ての生物に対する天敵のような力である。

しかし、体から滲み出るように溢れた緑炎はただ闇雲に周囲を舐めるだけで何も燃やさなければ熱も無い。


無意味な炎、熱くもなく、冷たさも無い。

無為、自分の現状のようだと嘆いた。


ファグの視界から避けるように木に張り付くイブキ。ここまで近づけたのが奇跡的だった。

逆にそのせいで下手に動けなくなっているが。


(どうしよう)


間違えれば確実に死ぬ。

こんな自分でも上手くいく手はあるかと悩みに悩んだ。

腰の剣で切りつけるか?それは無理だ。力の弱いイブキに剣を振るう余裕はなく、技量の積まれていない非力な剣であの巨躯を倒せる道理は無い。


それ以外に魔獣を傷つける手立ては思い当たらず、イブキは絶望した。


最初から手詰まりだったのだ。

イブキを殺すために組まれた舞台に隙は無かった。

そして、彼が無惨にもファグから殺されたあとの処理をするのだろう。ヒノ家の兵士がイブキの更に後ろに潜み、目を光らせている。

前にも後ろにも退路はなく、イブキが生き残る道は閉ざされていた。


ファグはまだ呑気に日を浴びて、寝惚けた様子だった。そのまま寝入ってしまえば好機があるのではないか――祈りをもってファグを隠れ見ていたイブキの目の前で、信じられない事が起こる。


木々の合間をくぐり抜けて伸びた一条の赤い光。イブキを監視していた兵士の放った炎魔法がファグに直撃したのだ。

停滞した状況に痺れを切らしたのは兵士が先だった。


肩を掠めた熱線に驚き木陰から飛び出たイブキと、突然の攻撃に臨戦態勢になったファグの目が合った。


『ブギィイイィイイッ!!』


「えっ」


怒りに染まった獣の殺気がイブキを射抜く。

固まった身体は思うように動かず、ファグの突進は彼我の距離を瞬く間に零にした。


大地を捲り魔獣の牙が胸に迫り、そして――












また、つまらない仕事だ。


ヒノ家の傍系に生を受けて三十五年。今では一端の兵士となったカガヒサは主家に呼び出され、ひとつの命令を受ける。


一族を集めての任命式があったばかりだ。一体何某の用かと参上したカガヒサに下されたのはある意味予想通りの指示だった。


「魔獣を利用し、隠し子であるイブキの死を偽装せよ」と。


この場合の偽装は〝死んだように偽装する〟のではなく、死因を外的要因に擦り付けることだ。

この命を受けてカガヒサに浮かんだ感慨は……今更かというもの。


表で吹聴されることはなくともヒノ家の一族内では有名な話だ。


曰く、主家に血の穢れが生まれたと。


アスラ国は象徴を何よりも第一とする気風がある。それは国家の盟主である帝もそうであるし、統治を代行する四大貴族家もこの楔からは逃れられない。

否、力ある一族だからこそ象徴を保つ為、どんな手段にでも手を出す。


血統魔法という神秘性と貴族の力を示す為、主家の血筋の者は誰もが血統魔法を持って生まれると言われているように、表向きに定められた事実は絶対なのだ。

才無き者は闇に消えるか傍系と偽る。他の貴族家もやっている事だ。


カガヒサも何故イブキが生きているのか不思議な思いだった。

魔法の際に恵まれなければ分家に送られるだろうが、あまりに異質な炎ゆえか?

そして、易々と処理できない直系の者故にここまで処分が伸びたのだろうか?


或いは当主の後継が決まったことも影響しているのか――深く考える必要は無い。カガヒサは疑念を捨てる。

自分はただ言われた通りに殺れば良いのだと。


「つまらねえな……」


カガヒサもまた象徴の固執の元に生まれた被害者だ。

現当主の従兄弟にあたる彼は魔法の才能に乏しく、兵士ではあるものの裏で手を汚す暗殺者のような扱いとなった。

不満も反抗心もとうに枯れている。機械的に命令を遂行するカガヒサは翌日、主家の召使いと共にイブキの姿を目にする。


彼は部屋の隅で本を読んでいた。


なんとも覇気のない、まるで瀕死のような青年だった。

暗色に淀んだ赤髪と悪魔のような緑色の瞳。運動はしていないのだろう、身体は細く肌は青白い。


枯れ木の風貌の中、瞳だけが爛々とぎらついていたのが印象的だった。


これは放っておいても勝手に死ぬのではないか?

カガヒサがそう思うほどにイブキの貧弱性はわかりやすい。


それでも命令を受けた以上は遂行するまで。

抵抗を見せないイブキを連れ出し形だけでも装いを整えさせた。

アスラ国の伝統品のひとつ戦装束だが、彼に着せたのは汎用品の粗末なものだけ。


同じく安物の刀剣を腰に付けさせ外交都市ホンカイへ連れ出す。

そこから国境沿いの森へ彼を連れ、目撃情報のあった主辺地帯を探り適当に見つけた魔獣とぶつける。


人里に出た魔獣など建前だ。

当てるのは何でもいいが、偶然見つけたのが巨大個体(マグヌス)だったのには驚く。とはいえカガヒサなら問題なく処理可能であり、寧ろ手間が省けた。


しかし。


(いつまでああやっているんだ)


ファグはうたた寝のままで、イブキは全く動こうとはしなかった。魔獣の間近に連れてくれば実戦経験の無い次男坊なぞ錯乱して相手を刺激するかと思ったがあてが外れた。


「仕方ない」


だからこちらから動く。

カガヒサが手を振るうと収束した炎が魔獣と彼の間に線を結ぶ。死なない程度の熱線がファグの前足を焼いた。

途中、炎に驚いたイブキが振り向くが知ったことではない。


案の定怒り狂ったファグにイブキは見つかる。こうなればあとの結果などわかり切っている。

ファグとイブキの姿が重なった。


死んだか。


またひとつ、汚れ仕事を終えた。


大樹に身を預けて事の末路を見届けるカガヒサ。


しかし。


「……?なんだ?」


次の瞬間ファグの全身を包む緑色の炎に目を丸くする。

あれが汚点と蔑まされた緑炎とやらか、話では何も燃やせない珍妙な魔法であると物笑いの種になっていたが――


『フゴッ!ブギギギィ……』


苦しげに鳴くファグが炎に呑まれる様を見て笑う気は欠片も起こらなかった。

そして炎はファグだけに収まらず周囲の木々を巻き込み急速に広がる。


カガヒサが事態を理解した時には既に緑炎は眼前だった。


「チッ!欠陥魔法じゃなかったのか!?」


焦りの言葉を上げながらも兵士として培った身体は冷静に動く。咄嗟の反応でカガヒサが防衛術を展開した。

一瞬遅れてカガヒサを取り囲む茜色の炎壁へ濁流の如く迫る緑炎が衝突する。


間一髪で防御が間に合ったかとカガヒサが安堵したと同時に悲劇が起こった。


魔法防御の粗からイブキの炎が入り込み、内部で炎上する。カガヒサもファグ同様に緑炎に包まれたのだ。


カガヒサは防衛術を不得意としていた。故に全方位を包む緑炎からの侵食を防ぎ切れなかった。


「あ゛?がああああああああぁぁぁっ!?」


絞り出すような悲鳴が喉から溢れた。

冷たい――炎とは思えない突き刺すような極寒の息吹。

身体からなにかがとめどめもなく抜け出していく危機感と、四肢が力を喪ってゆくのをカガヒサは感じていた。


どこも焼けてはいない。

しかしこれは、この炎は。


死の実感が音を立てて迫る。

暗殺者として過ごした一生が、これで終わるのか、


(く、くく。つ、まらな……い、じんせ――)


緑炎が通り過ぎる。


後に残ったのは色の薄くなった木々と、無傷のままに命を落としたカガヒサの姿だった。




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