行く宛などない
「……?」
「あ、起きたか!?」
「!?…………キリル」
「はぁ良かった。このまま死んだらどうしようかと思った」
「ここは?」
「転移したんだ。あの場所からは3キロ位しか離れてないけど、とりあえず今のところ大丈夫だ」
「転移……魔法」
「それよりも聞いてくれ。擦り傷がほぼ治った!レイニアの言う通りに水で洗ったら早く治る。すげぇな」
そんな馬鹿な。水で洗っただけで一瞬で治るわけがない。
と思ったら、なんと私は丸2日も眠っていたらしい。どうりで打撲で全身痛かったのがマシになってるはずだ。
「あの実も加熱して食べたら腹壊さなかったし。レイニアって、何者だ?もっと色んな知恵を知ってるのか?」
「何者って言われても。一応薬屋を営んでいたけど」
「なるほどな。ならそういう事知ってても不思議じゃないか。なぁ、レイニアはこれからどうするんだ?」
「―――…どうしよう」
今自分がいる場所さえ分かっていないのにどうしたら良いのか。
行く宛などない。住んでた村はあるけど、あそこは故郷でも何でもない。
薬屋として薬師として生計を立てていたけど、村人からは魔女様と呼ばれて遠巻きにされていた。必要に迫られて薬を買いに来る人は少なくなかったけど、薬を売るのに必要な会話しかしなかった。私たちの事を村人が少し畏れていたから。
帰るならあの村しかないけど、好んであそこへ帰りたいと思わない。 師匠であるダリアさんとの思い出はあるけど、それ以外に私があの村に帰らなければいけない理由がない。
でも行きたいところもない。
私が言葉に詰まっていると、キリルがジッとこちらを見てくる。
前世の記憶を取り戻した今、キリルの黒髪は見慣れたものでなんだか落ち着くけど、今世でもあまりいない紫の瞳に見られるとソワソワする。
「行く宛がないなら、とりあえず俺と来るか?ここからちょっと遠い国だけど。戻ればまたあの変な奴らが来るかもしれないだろ?」
「いいの?足手まといになるかも」
「良いぞ。そのかわり、レイニアの役立つ知識を教えてくれ」
「そんなことで良いなら。よろしくお願いします」
―――こうして、2人旅が始まることになった。
「とりあえず、ほら。水飲め」
「ありがとう」
革袋に口をつけようとして、手が止まる。
「この水って、煮沸してある?」
「しゃふつってなんだ?」
「火にかけて沸かしてある?」
「んなことしてないぞ。綺麗な川だったから大丈夫だ」
「水をくれるのはとても有難いんだけど、あのね、川や池、その他湧水なんかも、一度沸騰させてから飲んだ方が安全なの」
「そうなのか?」
「目に見えない位に小さな虫とか雑菌って言って体の中で悪さする奴が水の中にいる場合があるから。そのままだとお腹壊す事もあるの」
「あー……―――」
キリルは心当たりがあるのか、納得した様子だった。
今までにない衛生知識を言われても普通は信じられないと思うけど、オレンジ色の実や擦り傷の治りの早さを体感して貰えたから、信憑性を感じてもらえているのだろう。
信頼を得るには何事もはじめが肝心という事だ。
「ちょっと待て」と言うと、キリルが手を翳し、革袋の中から水が空中に浮かび上がる。丸い水の玉がふよふよ浮いているのはとても幻想的な光景だ。その水の玉に気泡が現れ、すぐにボコボコ言い出した。空中で水が沸騰している。
(すごい……)
「沸騰したら冷ましても良いのか?熱いままじゃないと駄目なのか?」
「一度沸騰させれば冷めても大丈夫だよ」
「そうか」
ボコボコしていたのがおさまると、水が革袋の中に吸い込まれていく。
「ほらよ。これでもう飲めるだろ?」
「あ、ありがとう」
恐る恐る一口飲んでみると、ひんやりと程よく冷たい水が喉を潤す。
革袋を持った時点で熱くない事は気付いていたけど、こんなに一瞬で冷たくできるなんて。
魔法ってなんて便利なんだろう。
「具合はもう大丈夫か?」
「うん。打撲の痛みもマシになったから動けるよ」
「じゃあそろそろ行くぞ。この2日は大丈夫だったけど、あいつらがまだ探してる可能性もあるからな」
「分かった。私はどうしたら良い?」
「うん?普通に歩いて後ろからついてくれば良いぞ」
「歩くの?」
「歩くしかないだろ」
転移魔法が使えるらしいので、てっきり魔法で移動するのかと思っていたら違うらしい。
「だって疲れるんだよ。転移魔法って魔力使うから。今は急いでるわけでもないし。緊急事態でもなければ俺は歩いて移動する派だ」
「そっか。てことは、転移魔法使わせちゃって疲れたよね。ごめんなさい。でも助けてくれてありがとう」
「ああ、3キロ位なら平気だから気にすんな。それ以上になると疲れるからできれば使いたくないけど」
「そうなんだ」
時々振り返って私がちゃんと付いてきているか確かめてくれる。口は悪いけど優しい人なんだろう。
打撲の痛みは大分マシになったとはいえ、まだ本調子ではない。スタスタ歩く事ができずキリルに申し訳ない。
「なぁ、ペース早かったら言えよ?」
「あ、うん。大丈夫…ありがと。……はぁ」
「いや、息上がってんじゃねぇか!言えよもっと早く。別に俺は急いで帰る必要もないんだからゆっくり行こうぜ」
「ごめん」
「謝らなくて良い。そのかわり、ちゃんと言えよ。無理した方がいざと言う時足手まといになる事もあるんだから」
「はい。はぁ…ふぅ」
「よし。じゃあ休憩な。レイニアはその幹んところに座って待ってろ」
優しい人なんだろうなと思った側から、キリルは私を座らせて自分が動いてくれた。
だろうではなく、確実に優しい人だ。
同情かも知れないけど、そもそも見ず知らずの人を助けてその後も一緒に行動する事を誘ってくれる時点で良い人だよね。
「これは生で食べられるか?」
「うん。これは大丈夫」
「よし。ほらよ」
戻ってきたキリルから小さな赤い果実がコロコロと手の上に数粒乗せられた。
「いいの?ありがとう」
「おう、食え食え」
口に含むと甘酸っぱい香りと味が口の中に広がる。前世で言えば野いちごのようなものだ。
「ところで、キリルはどうしてあそこにいたの?」
「俺は仕事を終えて帰るところだったんだ」
「仕事?」
魔導士の仕事とは一体どんな仕事なのだろう?
お互いの事さえも全然知らないのに仕事の事はあまり聞かない方が良いのかもしれないが、興味が勝った。
「もっと東にある国へ嫁ぐ貴族のお嬢様の護衛。ギルドで募集してた仕事だ」
「へぇ。ギルドって?」
「ギルド知らないか?この辺でもあるはずだけどな。ギルドって所に労働者として登録して、そこに依頼が来た仕事の中から自分の希望する仕事をやって、依頼を達成できたら報酬を貰うんだ。俺はギルドに魔導士として登録して金を稼いで暮らしてる」
前世でいう派遣会社みたいなものかな?
「誰でもできるの?」
「んまぁ一応。魔導士以外にも剣士とか、傭兵とか登録してるやついるし。仕事の内容によって難易度が違うから、自分のランクにあった仕事しかできないけどな。報酬が良いからっつっても自分のランクと募集の適任ランクが合わなければ任せてもらえない」
「そうなんだ」
「最初は簡単な仕事から始めて成功していけばランクも上がる。ランクが高い奴は高ランクの仕事で高報酬を稼ぐ事もできるようになるんだ」
「キリルは?例えば、その今回の護衛って難しい仕事なの?」
「俺は適当に程々に稼げたら良い派だからな。今回の護衛の依頼は、初心者には無理だけどある程度のランク以上ならできるんじゃないか」
「へぇ。キリルの国に行ったら私もギルドに登録してみようかな」
「あぁ良いんじゃないか。初心者向けに迷子のペット探しとかもあったはずだし、薬屋だったなら薬草集めの仕事もできるだろ」
薬草集めは得意だ。薬屋だし。自分で材料集めに行くのは当たり前だったから。
その報酬がどれくらいなのか分からないけど、少しでもお金を稼げそうだと分かれば見知らぬ土地への不安も少し拭える。
そのうちまた薬屋として生計を立てて行けたら良いけど、知らない土地で元手もないのに店は始められないから。
その日はまた歩いて薄暗くなる前に見つけた洞穴で夜を明かす事にした。
キリルが魔法で枝を集めて火をつけてくれる。採ってきてくれた物をまた丸ごと火の中に放り込んで、良い頃合いで魔法で取り出す。それを2人で食べた。
私、今のところ何も役に立たない…………。
唯一の持ち物であるポシェットは成人祝いにダリアさんがくれたマジックバッグだけど、こんな野営に役立ちそうな物は何も入っていない。
夜は交代で見張らなければいけないだろうから、見張り位頑張ろうと思ったら「結界張るから寝るぞ」と言われた。
全てを弾く強力な結界だと疲れるから、その結界に引っかかる生き物がいたら分かる程度のものを張るらしい。それだと疲れないし眠れるし何かが結界内に入れば寝てても分かるらしい。
魔法って便利。
初日は本当に大丈夫なのかと落ち着かなくてあまり眠れなかったけど、次の日からは疲れていた事もあってぐっすり眠ってしまった。いまではすっかり慣れて、森のど真ん中でもよく眠れる。
今日もキリルが魔法で枝を集めて火をつけてくれた。後はいつも通り材料を丸投げするだけなんだけど、正直食材の丸焼きが5日も続くと飽きてきた。
「ねぇ、今日の晩ご飯は私に作らせてもらえない?」
「良いけど、鍋とかないぞ?」
「うん。多分大丈夫だと思う」
今日の野営地に来るまでにいくつか使えそうな葉や自生しているハーブを見つけては集めてマジックバッグに入れていた。それらを使えば少し料理らしくなるだろう。
表面がつるっとした大きな葉の上にキリルがとってきてくれた魚を乗せて、前世で言うレモンバームに似たレモンの香りがする自生のハーブを千切って乗せる。噛むと塩気を感じる不思議な草も手で千切ってまぶしたら、葉っぱで包み込んで小枝で葉が開かないように固定して、焚き火の端の方に置く。
長芋のような細長い芋を手で割ろうとしていたら、キリルが風でスパスパと切ってくれた。 お見事。
やっぱり魔法って便利。
こちらも表面がつるっとした大きな葉の上に乗せて、噛むと辛味を感じる葉を千切ってまぶした。
魚と同じように包んでから焚き火の端でゆっくり加熱する。
生の葉だから葉自体はすぐには燃えないし、二重にしたから多分蒸し焼きになって良いはず。中まで火が通る前に葉が焼けてしまわないか心配だったけど、水分量の多い葉で大丈夫だった。
良い頃合いでキリルが魔法で火から出してくれた。
葉を開いてみるとふんわり良い香りがする。
「おぉ!ちゃんとした料理になってる!すげぇな」
「味もちゃんとしてると良いんだけど」
「美味そうな匂いするし、大丈夫だろ。いただきます」
料理ができあがるまで暇だったらしいキリルが落ちていた木で即席のフォークを作ってくれた。先端が二股に分かれているピックのような簡素な物だけど、素手で食べるよりかなり良い。
「魚が爽やかな香りと良い塩気を感じる!なんだこれ、美味い!」
「そう?成功したなら良かった」
「芋もピリッとして美味いぞ」
丸焼き以外の料理を食べたのが久しぶりに感じる。2人であっという間に食べ終わった。
「レイニアは料理上手なんだな。よし、これからは料理当番な!」
「ふふ。分かった。任せて」
「よーし。美味い物食べれると思うとこの旅が益々楽しくなってきた」
キリルとの旅は私にとっては新鮮で面白いけど、益々と言う事は、キリルも楽しい旅だと思ってくれていたんだろうか。
料理担当になった事で少しは私も役に立てそうでほっとする。