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Oath of Sword  作者: やくも
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EP.3 聖女と聖杯(2)


「お、お見苦しいところを見せてしまって、本当にすいません!」

「……いや、えーと……はい……?」

 一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 いまひとつ釈然としないクリスだったが、何だかもう半ばどうでもいいような気もしてきた。

 ここは聖堂の中にある小さな個室だ。

 おそらく本来ならば、急病人などを扱うための場所なのだろう。

 部屋の中はこぎれいというよりもさっぱりしていて、一人分のベッドと椅子とテーブルが備え付けられているだけだ。

 どうしてそんな場所にクリスがいるのかというと、原因は目の前にいる少女にある。

 少女はクリスより一回りほど小柄な体格で、教会関係者と似たような感じの白い修道服のような身なりをしていた。

 少し違うのは、衣服のところどころに銀でできた装飾が散りばめられているところだ。

 そして一番の特徴は、背中まで伸びる金色の長い髪だ。

 一見して裕福な家庭のお嬢様のようにも見えるが、だとしたらなぜこんな山の中の教会などにいるのだろうか。

 もしかしたらとクリスが思った、そんなときだった。

「ルニア様! ご無事ですか!?」

 バタンと勢いよく扉を押し開ける音と共に、初老のヒゲを生やした男が部屋にやってきた。

「レ、レイモンド司教……?」

「ああ、よかった。ご無事でしたか。どこか痛むところはありませんか? 頭痛や吐き気などは?」

「い、いえ。私は全然大丈夫です。大丈夫、ですけど……」

 言いながら、ルニアと呼ばれた少女は静かに視線を移す。

「む? どうかしました」

 その視線を追ってレイモンドが視線を移すと、そこに

「な、なんと!?」

「…………」

 勢いよく開け放たれた扉に背中を強打し、そのまま床の上に前のめりに倒れているクリスの姿があった。

 しかしレイモンドは全く別の捉え方をしてしまったようで、うつ伏せに倒れるクリスを鋭い眼光で睨みつけると

「おのれ賊め。白昼堂々と教会の管理下である聖地で、よりにもよって聖女様に手を出すとは!」

「……え? あ、違うんですレイモンド司教! この方は」

「その腐りきった性根を叩き直してくれよう! まずはその身を聖油に一晩漬け、その後十字架に縛り付けて火あぶりにしてくれるわ!」

「だから違うんですって……って、そんなことしたら死んでしまいます!」

 制止の声を投げるルニアだが、頭に血が上っているせいか、レイモンドはまるで外の声が聞こえていないようだ。

「ははは、覚悟せよ! 貴様に主の鉄槌を食らわせてやるぞ!」

「だから違うんですってばー! いい加減に人の話を聞いてください!」

 珍しく大声で叫んだルニアの声に、ようやくレイモンドは我に返ったようだ。

 どうでもいいが、とりあえずどのタイミングで起き上がればいいか、真剣に悩むクリスだった。


「重ね重ね、本当にすいませんでした!」

「……いや、そんな。別に何ともないから……」

「いいえ、そういうわけにもいきません。人々を導くはずの教会が、このような無礼を働いたとあっては……」

 本当に大して気にはしていないのだが、当のルニアはよほど罪悪感があるのか、ただでさえ小柄な体を折り曲げて何度も頭を下げてくる。

「いや、本当に気にしてないからさ。そんなに謝らないでよ」

「……本当ですか?」

「うん。いやまぁ、茂みの中からいきなり女の子が飛び出してきたときはさすがに驚いたけどさ」

「あ、う……」

 指摘すると、ルニアは恥ずかしかったのだろうか、わずかに頬を赤らめて下を俯いてしまう。

 何だかんだで結局頭は下がってしまうようだ。

 ちなみに先ほどまで怒声を上げていたレイモンド司教は、これまた深々と謝罪をして早々に立ち去っていった。

 何だか謝られてばかりで調子が狂うクリスだった。

「あの、よろしいですか?」

「え?」

「今日はどのようなご用件でこちらへいらしたのですか? 見たところ、旅の方とお見受けしますが」

「まぁ、そんなとこ。ここに寄ったのは、ちょっと休憩のつもりだったんだ。夕方までに山道を下って、街道まで出るつもりだったから」

「そうだったんですか。となると、目的地はオージスの街ですか?」

「うん。本当なら別の街道を行くつもりだったんだけど、橋が崩れて使えないって聞いてさ。他に道もなかったから、この道をね」

「それは災難でしたね」

 そんな会話をしながら、クリスはふと気になったことを聞いてみた。

「あのさ。さっきの人も言ってたけど」

「はい。何でしょうか?」

「聖女って、君のことなの?」

「はい。あまり自覚はないんですけど、周囲からはそう呼ばれてます」

 自覚がないというルニアの言葉にやや引っ掛かりを覚え、クリスはさらに聞いていく。

「それって、周りが勝手に騒いではやし立ててるだけってこと?」

「いえ、そういうわけではないんですけど……」

 言いかけて、ルニアはふと何かを見つけたように視線を移した。

 クリスがそれを追うと、その先にあるのはクリスの左手だった。

 そこに、うっすらとではあるが血が滲んでいた。

「怪我をしてたんですか?」

「あれ、いつの間に。でも、別に痛みもないし放っておいても」

「いけません!」

 と、ルニアはやけに大げさな声を出して立ち上がる。

「あ、すいません……でも、小さな傷だからといって放っておいて、そこから感染でもしたら大変ですよ」

「あ、うん。確か、荷物の中に包帯か何かが……」

 ベッドの上に置いた荷物の中身を探そうとしたクリスだが、ふいにその手をルニアに掴まれる。

「大丈夫です。少しの間、ジッとしていてくださいね」

「え?」


 言うや否や、ルニアはクリスの左手を自分の両手で包むように重ね、静かに目を閉じた。

 次の瞬間、わずかに熱さがあった。

 熱源は左手の傷だが、そこは今ルニアの両手に包まれている。

 そこから、淡く白い光が生まれていた。

 生まれて初めて見るその光景の、クリスは思わず息を呑んだ。

 それは実に神秘的な光景だった。

 不思議と体全体が落ち着いて、体の重さがなくなったような感覚さえ覚える。

 やがて、白い光が音もなく静かに消えていく。

「……はい。これでもう大丈夫ですよ」

 言って、ルニアはクリスの手から両手を離す。

 すると、そこには先ほどまであったはずの傷がすっかり消えてなくなっていた。

 当然血の一滴も流れておらず、目を凝らしても傷跡さえ見当たらない。

「これは……」

「巷では、聖女の奇跡なんて呼ばれてます。私には生まれつき、不思議な力があるみたいで」

 言って、ルニアは小さく微笑んだ。

「すごい……俺、こんなの初めて見たよ」

 クリスは妙な興奮を隠し切れないでいた。

 今まで奇跡なんてものを一度として目の前で見たことはなかったし、そもそもそんなものはあるかどうかも分からないし、信じていたわけでもなかったからだ。

 だが、こうして目の前で実践されては信じないわけにはいかない。

「聖女の奇跡、か。すごいよ。本当にすごい」

「……そんなこと……」

「え?」

「あ、いえ。何でもないです」

 慌てて言葉を遮るように、ルニアは小さく笑った。

 その笑顔が先ほどとはどこか違うように見えて、クリスは少しだけ気になった。


 気が付けば大分時間が過ぎてしまっていた。

 太陽もいつの間にか高い位置を過ぎて再び落ち始め、もうあと数時間で夕暮れ時がやってくることを示している。

「もう行ってしまわれるのですか?」

「うん。ちょっと長居しすぎちゃったみたいだしね。それに、あんまり遅くなると日暮れまでに街に着けなくなっちゃうし」

「そう、ですね。ちょっぴり残念です」

「え?」

「あ、いえ。ここって、私と同年代くらいの人が全然いなくって。参拝にいらっしゃる人達も、高齢の方が多いので……」

 言われてクリスが周囲を見回して見ると、確かにその通りだった。

 聖女という肩書きを持つがゆえに、ルニアはそれなりに辛い思いもしているのかもしれない。

「……寂しい?」

「え……?」

 クリスのその問いかけに、ルニアはわずかに黙る。

 それだけで答えは想像できた。

「……俺、勘違いしてた。君みたいに誰かから必要とされることはいいことばかりだと思ってたけど……やっぱり、それだけじゃないよな」

「あ……」

「その、俺は何もできないけどさ。応援するよ。俺だって、ちゃんと君に助けられた人間の一人だからさ。だからその、うまく言えないけど……頑張って」

「……はい。ありがとうございます」

 そう言って微笑んでくれたルニアは、本当に嬉しそうに見えた。

「じゃ、俺はもう行くよ」

「はい。道中、お気をつけて。旅の無事を祈っています」

「……俺はクリス。クリス・アルベルト」

 言って、クリスは手を差し出す。

 その様子を見て、ルニアは一瞬だけ呆気に取られたようにしていたが、すぐに小さく微笑んで

「ルニアです。ルニア・メイエル」

 差し出されたその手を握り返す。

「それじゃ」

「はい」

 一言ずつ交わし、手が解ける。

「またね、ルニア」

「…………はい。また……」


 緩やかな下り坂が続く。

 クリスは山道を下り、街道へと続く道を急いだ。

 先ほどまでと違い、こちらの道では時々人とすれ違うことがあった。

 言うまでもなく、その人々の目的地はこの先にある教会だろう。

 こちらの道からやってくるということは、クリスがこれから向かうオージスの街からもやってきている人はいるのかもしれない。

 クリスはふと振り返り、今時分が下ってきた道の上を眺めた。

 そこにはまだ教会の建物の影が見え、場違いに思えるほどの十字架が天を仰いでいる。

「聖女の奇跡、か。あるんだな、あんな不思議なことって」

 呟き、クリスは傷の消えた左手を見る。

 確かに、これならこんなおかしなところに教会があっても、大陸中から人が詰め寄るのも無理もない。

 とはいえ、当のルニアはどういう気分なのか。

「…………」

 正直、クリスにはルニアの境遇が決して恵まれているものとは思えなかった。

 それは極めて客観的な視点からの意見ではあるが、少なくとも自分が逆の立場だったらと思うと、やはりいい気分ではない。

 だがそれでも、ルニアはそういう諸々の事情を含めた上で、ああして聖女としてあの場所に留まっているのだろう。

 これから先、それが何年続くかは分からない。

 けど、ルニアならきっと、嫌な顔一つせずにその場に留まってしまいそうな気もする。

 彼女はきっと、他人の幸せのために自分の幸せを犠牲にできる人間だ。

 クリスにはそれが何となく分かる。

 先ほど触れた彼女の手は、きっと世界中の誰よりも暖かかった。

 だが、それは同時にどこか悲しい暖かさだった気がする。

 彼女の手を求めてやってくる手は数知れず。

 けれど、彼女の手を引く手はどこにあるのか。

 彼女は人々に頼られる。

 聖女として。

 では、彼女は誰を頼る?

 一人の、少女として。

「…………」

 気が付けばクリスの足取りはとまっていた。

 分かっている。

 どれだけ考えても、自分には他人の人生を示す権利も何もないことなど。

 それでも、クリスは胸のどこかに引っ掛かりを覚えていた。

 もしかしたらそれは、身寄りのなかった自分と彼女をどこかで照らし合わせているからなのかもしれない。

 しかしだからといって、やはり今のクリスに何をどうこうできるわけではない。

 結局、口から出たのは

「……頑張れ、ルニア」

 誰にでも言えるような、そんなありきたりなセリフでしかなかった。


 クリスは再び山道を下る。

 と、そこでまた参拝目的であろう二人組みが山道を登ってきていた。

 その二人組みは頭のてっぺんから足元までを茶色いローブに包んでおり、顔はおろか性別さえ分からなかった。

 わずかに人目を引く格好ではあるが、さほど気にすることはない。

 ……ない、はずだった。

 その二人組みと、すれ違うその瞬間までは。

「…………?」

 最初に気づいたのはクリスだった。

 対する二人組みは何事もなかったように道を登っていってしまう。

 その背中がやや小さくなったとき、クリスは足を止めた。

「……今のは」

 クリスは小声で呟く。

 すれ違った二人組みに見覚えがあったわけではない。

 そもそも顔を隠していたのだから、そんなことが分かるはずもない。

 感じたものは、匂いだった。

 その匂いの正体を、クリスはよく知っている。

「…………」

 どうしようもなく嫌な予感がした。

 根拠など何もなく、しかし胸の内側から滲み出てくるような不安が確かにあった。

 やがて、その不安は一つの可能性へと集束していく。




「ん?」

 教会へと続く石段の手前にいた教会関係者の男が気づく。

 見ると、そこには奇妙な二人組みがいた。

 頭のてっぺんから足元まで、その全てを茶色いローブに包んだ二人組みだ。

 顔も見えないので男か女か、子供か老人かさえ分からない。

 とはいえ、男はとりあえず声をかけることにした。

「参拝にいらした方ですか?」

「…………」

 二人組みは答えない。

 が、構わずに男は言葉をかける。

 人を選んでいるようでは信仰など広めることなどできはしないのだから。

「申し訳ありませんが、本日の参拝は終わっています。お手数ですが、また明日出直していただけますか?」

 男の言うように、すでに参拝客のほとんどが来た道を引き返していた。

 ちょうどそこに入れ替わるように、この二人組みはやってきていたのだ。

「…………」

 しかし、相変わらず二人組みは一言も発さない。

 フードの奥に隠された視線は、一体どこを見ているのだろうか。

「……あの、申し訳ないのですが」

 ここにきてさすがに異変を感じ取ったのか、男は二人組みへと歩み寄った。

 しかし、次の瞬間。

「え」

 男は間の抜けたような声を上げると同時、自分の視界を奪われた。

 二人組みのうちの片方が、身にまとっていたローブを翻して男の目の前にカーテンのように広げたからだ。

 そして

「……が、あ……っ」

 それだけの言葉を残し、男はその場に倒れた。

 その胸の中心には穴が空き、そこからは溢れんばかりの血が流れ出している。

 見る見るうちに血の水溜りは広がり、砂利でできた茶色い地面を黒く染めていく。

 目隠しの役割を終えたローブが落ちる。

 それはちょうど、死体となった男を隠すようにかぶさった。

 そこに立っていたのは、血に染まった短剣を握る一人の男。

 冷徹で黒い光を放つ目と、鼻先まで覆い尽くすグレーのマスク。

 機動性を重視して構成された衣服は、まさに暗殺者のそれだった。

 その衣服の色は、まるで夜空のような深い深い、限りなく黒に近い青色。

 右の二の腕には、同じ色のスカーフが縛り付けられていた。

「…………」

 男ともう一人は、無言のまま教会へと続く石段を眺める。

 そして声を出さずに互いに一つ頷いて、音もなく石段を登り始める。



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