EP.2 旅立ちの日(2)
日が沈みかけた頃、時計塔前の広場には小さな雑踏が出来上がっていた。
そこにいる者は、誰もが鎧を身にまとい、剣を携えた騎士達だった。
彼らがここに集まった理由は一つ。
蒼の旅団に対抗すべく、自ら調査隊の一人に名乗りを上げたからだ。
クリスはその雑踏の中にいた。
しかし、周囲の騎士達から見ればその姿はひどく浮いていた。
無理もないだろう、外見だけ見ればクリスはまだ子供に過ぎず、騎士としてはあまりにも若すぎたのだ。
「すごいな。これ全部、調査隊の人達なのか……」
思った以上の人数に、クリスは目を丸くする。
辺りを見渡して見たが、やはり自分と同年代の騎士の姿というのは見当たらなかった。
ほとんどが自分よりも一回りかそれ以上は年上で、それだけに風貌や仕草にも年季のようなものが見て取れる。
彼らから見れば、自分はひどく場違いな存在なのかもしれない。
しかし、クリスはそれを劣等感とは思わなかった。
どんな理由があろうと、こうして一人の騎士としてこの場にやってきたその意志は、間違いなく自分自身のものだ。
たとえどんな見方をされようと、引け目を感じる必要などないはずだ。
「…………」
そうだ。
こんな程度で引け目を感じてどうする。
幼い頃からずっと憧れていた騎士という存在は、もっと大きかったもののはずだ。
その剣は、守るべき誰かのために。
その剣は、貫くべき己が正義のために。
あの日の誓いは、変わらず今もここにある。
だから、胸を張れ。
騎士として、恥じないために。
ほどなくして、雑踏のざわめきが静かに引いた。
「皆、忙しいところ集まってくれたようで礼を言おう」
その声の方向に全員の視線が集中する。
見れば、そこにはやや初老の入った中年の男が立っていた。
白銀の鎧に身をまとい、その背には騎士団長である証の真紅のマントがたなびいていた。
その男こそ、今は亡き城の主の代わってこのリンガードの街を治める者。
名を、グランツ・フラムヴァージュという。
思っても見なかった人物の登場に、その場に集まった騎士達はにわかに騒ぎ始める。
が、そんな様子には一瞥もくれず、グランツは言葉を続ける。
「改めて問うまでもないことだが、こうしてこの場に集ってくれたということは、それだけで諸君らの意志を示しているものと考える。が、今からでも遅くはない。この任務は強制ではない。去る者を引き止めるつもりはない」
それはつまり、今ならまだ引き返すことができるぞという最終通告。
しかし、その言葉を耳にしても立ち去ろうとする騎士は一人としていなかった。
それを認め、グランツはどこか満足したように小さく頷いた。
「諸君らの勇気と敬意に、改めて感謝しよう。さて、それでは早速で申し訳ないが、本題に入らせてもらうとする」
騎士達のざわめきが消える。
それを確認し、グランツは言葉を続けた。
「知っての通り、昨夜この街は蒼の旅団なる集団に襲撃を受けている。幸運にも死者は一人も出さずに住んだが、大聖堂は火の被害を受けてしまった。だがそれ以上に深刻な問題は、言うまでもないが街そのものへの侵入を容易く許してしまった部分にある」
真紅のマントを翻し、グランツは続ける。
「断っておくが、それは我々の警備体制に不備があったというばかりではない。確かに警備は以前に比べれば手薄になった部分はある。その部分は素直に反省しよう。だがここで問題とするのは、警備の置かれた状況であるにもかかわらず、蒼の旅団はいとも容易く街の内部へと侵入してきた。言い換えれば、そうできるだけの組織的な行動であったということだ」
グランツは一度言葉を区切り、側近の騎士の一人から一枚の紙を受け取った。
「報告によれば、街の外まで連なる外壁の一部が人為的に破壊されていたということだ。これは十中八九蒼の旅団によって空けられたものだろう。連中はその入り口から侵入し、大聖堂の襲撃を行ったと思われる」
手にした紙を側近の騎士に戻し、グランツは続けた。
「この街はかつて一つの国家だった。だが、今は王族の血筋は絶え、王城はあれど王はいない。ゆえにここは国ではなく、街となった。だが、かつての誇りまで失ったわけではない」
グランツは自らの胸の前で拳を握り
「明らかな敵意を持って侵入した輩を見過ごすことなどはできぬ。とはいえ、敵の勢力も未だ未知数。加えて情報量もあまりに少なすぎるこの状況では、無闇に全軍をあげて捜索をするのは得策ではないと判断した。蒼の旅団はここ数年で大陸全土にその名を轟かせるほど巨大な組織に成長していると考えられる。正面からぶつかったところで、こちらの不利は明らかだろう。以上の理由から、まずは情報収集を含めた調査隊という形で国内のあちこちに少数の部隊を派兵することとする。諸君らには、そのためにこうして集まってもらったわけだ」
集まった騎士達はグランツの話を真剣に聞いていた。
一見すれば敵に恐れを抱いているような口ぶりだが、実際はそうではない。
敵の輪郭があまりにも不確かな現状では、慎重すぎるくらいに行動するのがちょうどいいのだ。
これが盗賊の一団程度であれば、それこそ数に任せた人海戦術でも行えばすむだろう。
街や村を襲撃する盗賊など、近隣の山奥や谷など、人の寄り付かないところに拠点を置くというのはもはや常識なのだから。
「説明は以上だ。異論がなければ、こちらで用意した食料や資金を受け取り、各々行動を開始して欲しい。無論、単独で動くか複数で動くかは諸君らに一任する。調査地域についても同様だ。情報を掴んだらどんな些細なことでも構わない。手紙で連絡しても、直接こちらに戻ってきてもらっても構わない。ただ、私から一つだけ我侭を言わせてもらいたい。決して死ぬな。以上だ!」
その一言に、騎士達は誰からでもなく深く頭を下げた。
支給された食料や資金を手荷物の中にしまいこむと、クリスは広場から離れた。
すでに何人かの騎士達は街の東西にある出入り口へと歩いている。
しっかりと身支度を整え、クリスもまたその後に続く。
すっかり日は沈み、夕焼け色の空は遥か遠くへいってしまった。
もうしばらくすれば夜の帳は落ち、辺りも暗闇に包まれるだろう。
落ち着いて考えるのなら、一晩休んで明朝に街を出るほうが得策だろう。
しかし、クリスはその選択を選ばなかった。
そうしてしまうと、自分の中の決心が鈍ってしまいそうな、そんな感じがしたからだ。
夜になってまた少し賑やかになった街の中心をクリスは歩く。
行き交う人々の間をすり抜けて、そのまま待ちの西側の出入り口までやってきた。
そこで一度だけ、足を止める。
百八十度振り返り、今歩いてきた街並みを確かめるように眺めた。
「……この景色とも、しばらくお別れかな」
小声で呟き、クリスは少しだけ強く拳を握る。
次にこの街に戻ってくるのはいつになるのか。
答えは分からない。
決して楽な任務ではない。
むしろ逆に、いつどこで命を落としてしまっても不思議はない。
だが、それでも。
引き返そうという気持ちは、これっぽっちも浮かぶことはなかった。
今日から、今から始まるのだ。
騎士としての、最初の旅が。
「……行ってきます!」
誰に言うわけでもなく、それでもクリスは力強く叫んだ。
そして、走り出す。
夜の街道に人気はなく、目印になるものもほとんどない。
ただ真っ直ぐな道がどこまでも続いているだけだった。
だが、足元は月明かりのおかげでまだ十分すぎるほどに明るい。
それがこの旅路の祝福か、それとも多難な前途のせめてもの慰めなのか。
その答えも、この道の先にあるはずだから。
だから、進め。
ただ、真っ直ぐに。
道はどこまでも続いていた。
とりあえずはこの道に沿って歩くことにしたクリスだが、目的地らしいものは定まってはいない。
荷物の中から地図を取り出し、月明かりを頼りに確認する。
「えっと、今いるのがこの街道だから、こう真っ直ぐ行けば……」
地図を見るからに、どうやらこの道は途中で二手に分かれるようだ。
片方はそのままもうしばらく街道が続くもの。
もう片方は最寄のカルネアという小さな村に続いているらしい。
クリスはどちらの道を行くか少し悩んだが、カルネアへと続く道を進むことにした。
理由としては、このまま街道を歩き続けていても確実に野宿することになってしまうからだ。
カルネアの村へ向かえば、地図上の距離さえ正しければ今夜中に辿り着くことができそうだったからだ。
さすがに夜通しで歩き続けるわけにも行かないし、それにもしかしたらリンガードから近いこの村でなら何か情報を集めることができるかもしれないと思ったからだ。
もっとも、そんなにうまく物事が進むとは思ってはいない。
どちらかといえばちゃんと屋根のある場所で眠りたいという気持ちの方が強い。
「よし。そうと決まれば、急がなくちゃな」
今はまだ日が暮れて間もない時間帯だが、あんまりのんびりとしているわけにもいかない。
頭上の月明かりも、いつ雲の合間に隠れてなくなってしまうとも限らない。
クリスは地図を荷物の中にしまうと、やや早足に歩き始めた。
およそ二時間後。
「……迷った」
どういうわけか、クリスは森の中にいた。
確かに道なりに真っ直ぐ進み、分かれ道をカルネアの村に続く方向に進んできたはずなのだが……。
「どうなってんだよ、これ。地図にはこんな森なんて載ってなかったぞ……」
それでもどうにか足元には道らしきものが続いていたので、それを頼りにここまでやってはきたのだが、どうやら思った以上に深い場所まで足を踏み入れてしまったようだ。
周囲に生い茂る木々はかなり高く、密集するそれらは頭上の月明かりを簡単に隠してしまっていた。
一応枝葉の隙間からおこぼれのような光の筋は差し込んではいるものの、夜の道標としてはとても頼りない。
慎重に歩を進めるクリスだが、足元では枯れ木や枯れ枝を踏み折る音がパキパキと連続するばかり。
道もだんだん平坦なものから緩やかな上り坂に変わってきているようで、体のあちこちに疲労が走り始めていた。
「ったく……一体ここは、どの辺りなんだ?」
立ち止まり、クリスは辺りを見回す。
が、やはりどこを見ても木ばかりで何も見えない。
せめてもう少しまともな道に出ることができれば話も変わってくるのだろうが……。
じんわりと汗の滲んできた額を拭う。
「っと、水は……」
ついでにのどの渇きを潤すために、荷物の水筒の水を一口含んだ。
それで少しは落ち着いてきたのか、クリスはもう一度改めて地図を確認して見る。
わずかに差し込む月明かりを頼りに、自分が歩いてきた道のりを振り返る。
「やっぱり、道は間違ってないよな。ちゃんと分かれ道はこっちの道を進んできたし……」
そのあとも道なりに進んできただけであって、そうであればこんな森の中に迷い込むことなどあり得ないはずだ。
とはいえ、こうして実際に森の中で立ち往生してしまっているのも事実。
そうなると、やはり気が付かないうちに道を間違ってしまったか、地図には記されてない別の道に迷い込んでしまったのかもしれない。
少し悩んだ末に、クリスは来た道を一度引き返すことにした。
今からでも急げば、真夜中になる前に分かれ道の辺りまでは戻れるはずだ。
無論そうすれば今夜は間違いなく野宿することになるが、こんな得体の知れない森の中で一晩を明かすよりはよっぽどマシだろう。
荷物をしまい、クリスはやや重い足取りで来た道を引き返そうとして
「……?」
その、物音を聞いた。
最初は風が森の中を吹き抜ける音かと思ったが、そうではない。
風が吹けばクリスも体のどこかでそれを感じ取ることができるはずだ。
それに、風が吹き抜けたくらいで今のような物音は立たないはずだ。
今の物音はそういうものではなくもっと別の……。
「…………」
そう、何かこう、枯葉の上を歩く足音のような……。
「…………っ!?」
瞬間、クリスは反射的に身構えた。
その手が懐の剣の柄へと伸びる。
そして、視線の先には。
「な、何だ、こいつ……?」
そこに、何かの影が浮かんでいた。
うっすらとその輪郭は見えるが、姿形までは明確ではない。
ちょうどそのとき、枝葉の隙間から漏れる月明かりがわずかに向きを変えた。
影の輪郭が浮き彫りになり、その姿が明らかになる。
「な……猪?」
そこに、一頭の大きな猪がいた。
しかもどういうわけか、やたらと気性が荒れているのか、激しい鼻息を何度も繰り返してクリスを威嚇しているようにも見える。
そのたびに鋭い二本の牙が上下に揺れ、その様子はまるで突進のタイミングを図っているかのようだった。
そして、ややあって
「な……!?」
猪はクリス目掛けて勢いよく突進してきた。
直線的に一気に駆け抜けるそれを、クリスはどうにか回避する。
「なんだこいつ!? いきなり襲ってくるなんて……」
クリスは一瞬混乱したが、どうやら猪の方はそんなことなどお構いなしのようだった。
そもそも言葉が通じない以上、襲われたらできることなどたかが知れている。
すなわち、素直に餌食になってしまうか、返り討ちにするか。
もちろん、選択の余地はない。
「く、そ……!」
やむなくクリスは懐から剣を抜く。
だが。
「う、わ……重っ……!?」
剣が思うように振り回せない。
そこでクリスはアベルの言葉を思い出した。
その剣はアベルから選別として受け取った剣であって、昨日まで自分が振るっていた剣ではない。
剣が違えば当然、重さや扱い方も変わる。
しかし、今初めてこの剣を握ったクリスに、それを理解しろというのが無理な話だ。
そしてそんな事情などお構いなしに、猪は襲ってくるのだから。
「こ、の……っ!」
何とか力任せに剣を両手で持ち上げて構えるクリスだが、今度は背中に背負った荷物の重さに振り回されることになる。
一言で言ってしまえば体のバランスがうまく保てないのだ。
加えて、こんな森の中の地面はひどく不安定だ。
枯れ枝や枯れ葉の上ではうまく動けないし、積もったそれらのせいで木の太い根は隠れてしまっている。
当然、そんなものにつまずいてでもしまえば体は急激にバランスを失ってしまう。
「ぐ……!」
立ち回りだけで精一杯のクリスに、しかし猪は真っ直ぐに突っ込んでくる。
二度目のそれもどうにかして避けることができたが、こんな調子では時間の問題だ。
どうにかしてまともな足場を探そうにも、右も左も同じような景色ばかりで意味がない。
そうこうしている間に
「うわっ」
クリスは木の根に足を取られ、その場につまずいてしまう。
起き上がろうとするが、視線の先にはすでに猪が迫っていた。
撃退すべく、どうにかして無理な体勢から剣を振るおうとするが、どう考えても間に合わない。
たまらず頭を腕で庇うようにした、そのとき。
ドスンと音を立てて、何かが地面へと突き刺さった。
その音に驚いたのか、猪の足が止まる。
クリスがおそるおそる目を開けてみると、地面の上に刺さっていたのは一本の矢だった。
その矢がクリスと猪の間に割って入るように突き刺さり、猪の足止めをしていたのだ。
さらに同じ場所に二本三本と、次々と矢が突き刺さる。
ドスドスというその音に恐怖を覚えたのか、猪は踵を返すとそのまま森の奥へと走り去っていった。
「…………」
クリスはその光景を、しばらく呆然と眺めていた。
「助かった、のか……?」
確認するように呟いて、クリスは体を起こす。
「おいアンタ、大丈夫だったか?」
すると、ふいに背後からそんな声をかけられた。
振り返ってみると、そこには弓と矢筒を背負った狩人のような若い男が立っていた。
「怪我はないみたいだな、よかった。立てるか?」
「あ、ああ……」
差し伸べられた手を取り、クリスは立ち上がる。
「もしかして、さっきの矢は君が……?」
「ああ、気にしないでくれ。これも仕事みたいなもんだからさ。それより」
男は一度言葉を区切ると、クリスを見て再度聞く。
「こんな時間にこんな場所で、何をしてたんだ? 見たところ、旅の人って感じだけど」
「実は……」
クリスは事のあらましを男に説明した。
「なるほど、そういうことか。確かにこの森は、地図になくても無理はないかもな」
「それって、どういう……」
「いや、話は後にしよう。いつまでもこんな薄暗い場所にいるわけにもいかないだろ? 場所を変えよう」
「変えるって、どこに?」
「ああ、言い忘れてたね」
男は笑って続ける。
「アンタの探してるカルネアって村は、俺の住んでいる村のことさ。ここからそう遠くはないよ。さぁ、行こう」
そう言うと、男は一足先に歩き出す。
「ところでアンタ、名前は?」
と、男は振り返って聞いた。
「……クリス」
「クリス、か。俺はフラット。フラット・レーゼだ。よろしくな」
「よ、よろしく……」
差し出された手を、クリスは軽く握り返す。
何だかんだとあったが、とりあえずは当初の目的通りカルネアの村に辿り着くことはできそうだ。
クリスは先を歩くフラットに続き、森の中を歩き始めた。