EP.2 旅立ちの日(1)
街中は噂話で溢れていた。
曰く、昨夜の大聖堂での火災は不審火が原因ではなく、教会に恨みを持つ誰かが火をつけたのではないかとか。
曰く、実際のところ火災が本当の目的ではなく、大聖堂内部にある管理室の金品が目当てだったのではないかとか。
曰く。
――蒼の旅団と称される暗殺集団が、とうとうここにまで勢力を伸ばしにきたのではないか、とか。
「右も左も、どこを見ても夕べの火事騒ぎでもちきり、か」
「何か、嫌だよね。こういうの……」
クリスとアベルは並んで歩きながらそんな言葉を交わす。
一夜明けた翌日の昼、まだまだ混乱は収まりきってはいないが、それでもとりあえずのいつもの風景が街の中には戻りつつあった。
おそらく、多くの住民は昨夜の大聖堂火災について疑問に思っていることだろう。
仮にも王都であるこの大きな街に、放火などという大それたことを起こす馬鹿がいるとは信じにくいのだ。
が、それでいて人々はその件に関して深く関わりたいとは思っていない。
理由は実に単純で、要するに巻き込まれたくないからだ。
それでいいと、アベルもクリスも思っている。
もともと無関係な人々を巻き込む理由もないし、何よりもまず相手が悪すぎる。
蒼の旅団は、その組織図全体が闇に包まれた正体不明の集団だ。
その規模も勢力も、どれだけの武器を所持しているのか、さらに後ろ盾となる存在があるのかどうか。
などといった情報は、今のところ一切明らかにされていないのだ。
極端な言い方をすると、蒼の旅団は一つの国家と真っ向から正面衝突して戦争を起こしたとしてもおかしくないほどの勢力を築き上げている可能性もあるということだ。
それだけで十分、相手にするには厄介なことこの上ない。
この王都……リンガードは、大陸の中でも過去にいくつもの戦いに加わり、そして勝利してきた経歴を持つ。
もっとも、そんな血生臭い戦争が日常のように行われていたのは、今から半世紀以上も昔のことだ。
今となってはその面影も薄れ、唯一残されたのは王のいない王城と騎士団くらいのものだ。
なので、実質この街を統治しているのは現在の騎士団の騎士団長ということになる。
とまぁ、それはさておき。
「…………」
クリスは横目でアベルの様子を伺う。
こうして並んで歩いてこそいるものの、アベルの体のあちこちには痛々しい包帯があちこちに巻きついている。
それでもこうして歩いていられるのは、ひとえに生まれ持った打たれ強さと豊富な体力のおかげと言えるだろう。
これが一般人なら、もう数日の間は寝たきりの状態を余儀なくされるだろうとは医者の弁。
「ん、どうした?」
と、クリスの視線に気づいたのか、アベルが聞き返す。
「あ、いや……別に。怪我、大丈夫なの?」
「ああ、これか。胸を張って問題ないとは言えないが……ま、どうってことはねーよ」
アベルは言いながら、包帯に包まれたその手を何度か握り直す。
「……情けねぇ。まるで歯が立たなかった」
「え?」
「あの男にだよ。黒い鎧の……って、お前は分からないか」
「いや、分かるよ。俺も挑んで見たけど……ダメだった」
「そっか……」
と、頷きかけてアベルは疑問に思う。
「おい、ちょっと待て。今お前、なんつった?」
「え?」
「俺も挑んだけどって、そう言ったのか?」
「うん」
「…………」
「…………」
あっさりと答えるクリスと、あっさりと答えられたアベル。
二人は足を止めてわずかに沈黙し
「ふん!」
「いだぁっ!?」
直後に、アベルの拳がクリスの脳天に直撃した。
「な、何すんだよ!?」
「この大馬鹿が! 何考えてんだお前は!」
周囲のざわめきさえ無視して、アベルは言葉を続ける。
「何でそんな無茶をやらかした!? 勝てる相手かそうでないかくらい、お前にも分かるだろうが!」
「そ、それは……」
「全く、何考えてやがんだ! こうして無事だったからよかったものの、一歩間違えれば確実に死んでたぞ! ったく、本当に何でそんな馬鹿げたことを」
言いかけて、アベルは一度言葉を区切る。
その馬鹿げた理由に、気づいてしまったからだ。
普段なら売り言葉に買い言葉で食いついてくるクリスが、やけにおとなしかった。
その目には、どこか反省の色のようなものさえ見て取れる。
「……ったく」
アベルはため息を一つこぼし、その手でクリスの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
「……もう、あんな無茶すんな」
「……お互い様、だろ」
「……だな」
それだけ言い合って、二人は雑踏の中へと紛れていく。
結局のところ、二人は似たもの同士だったという、ただそれだけのことだった。
昼過ぎになると、大聖堂の修復作業が早速始まっていた。
偶然近くを通りかかったクリスとアベルも、遠目にその光景を眺めている。
街のあらゆる大工や修理工が総出で集められ、一刻も早い修復を試みているとのことだ。
確かに救いの手を差し伸べるはずの大聖堂がこんな状態では、参拝などにやってきた人々は腰を抜かして絶望してしまうかもしれない。
幸いだったのは、焼け落ちてしまった部分は表面部分が大半だったので、内装に関しては大きな被害はなかったとのことだ。
なので、思っているよりも早く修復作業は終わりそうだとのことだ。
「ねぇ、兄貴」
「ん?」
修復の作業を傍らで眺めていたクリスは、隣のアベルに聞く。
「結局、蒼の旅団の連中は何が目的でこの街にやってきたのかな」
「……さぁな。俺にも分からん。ただ」
「ただ?」
一呼吸置き、アベルが続ける。
「どうやら、金目のものが目当てってわけじゃないらしい。大聖堂の地下には宝物庫があるんだが、そこには誰も侵入した形跡はなかったそうだ。もちろん、そこにあるものも何一つとして盗まれちゃいない」
「じゃあ……」
一体何が目的だったのだろうか。
「連中は旅団を名乗っちゃいるが、別に盗賊ってわけじゃない。そりゃ、過去には色んなものを盗み出したって話もあるみたいだが、それは連中の側面の一つに過ぎない。噂に流れてるように、実態は暗殺集団さ。無法者の集まりとも言えるけどな。ただ、それだけじゃ組織的に動く理由としてはいくらか弱い。きっちり統制の取れた軍隊のように活動するってことは、やはり組織全体として何か大きな目的か何かがあるとは思うが……」
結局のところ、詳しいことは何一つ分かっていないということだった。
もしかしたら噂だけが一人歩きし、尾ひれがどんどんくっついてそんな話になっているだけかもしれない。
だが。
「……目的は、あると思う」
「あん?」
「……黒い鎧の男が、言ってたんだ。ここにはなかった、って」
「ここには、なかった……?」
クリスは頷く。
昨夜、クリスは確かにその言葉を聞いた。
あの黒い鎧の男が、部下のリーダー格の男に投げられた問いに対し、そう返したのだ。
「てことは、連中はその探し物を探してここまでやってきたってことか。もしかしたら、今までに他の街や村を襲撃したのも、その探し物があったからなんじゃ……」
「でも、その探し物って?」
「分からん。が、あんだけでかい勢力を誇る連中が、何年にも渡って血眼になって探してるものだとすると、ただの宝探しってわけでもなさそうだ……」
「…………」
会話はそこで途切れた。
二人は視線を戻し、修復中の大聖堂を眺める。
考えようにも、手がかりがあまりにも少なすぎた。
蒼の旅団の目的と、その探し物。
大きなキーワードは、間違いなくこの二つだろう。
それを手に入れて、連中は一体何をどうしようとしているのだろうか。
そんな風に物思いにふけっていると、向こうから一人の兵士が二人の近くへやってきた。
「失礼します。騎士団の関係者の方とお見受けしますが」
「ん? ああ、そうだが。どうかしたのか?」
アベルが答えると、兵士は懐から一枚の紙を取り出し、こちらに差し出した。
「もうご存知かもしれませんが、昨夜の蒼の旅団による襲撃により、この街も警備体制を厳重にすることが決定しました。それと同時に、騎士団内部で対旅団用の対策の手始めとして、調査隊を派遣することになったのです」
「調査隊だと?」
アベルは言いながら、手元の紙に目を通していく。
そこには今兵士が口にした内容と同じことが書き連ねてあった。
各地で被害の相次ぐ旅団を対処すべく、調査隊を編成して国内を探ること。
危険な任務であるゆえ、強制の徴兵ではなく自発的な募集であること。
その他、細かい規則や注意点がいくつか。
「詳しい書面は、本日中にそれぞれの家に配布されるとのことです。ご検討をよろしくお願いします」
それだけ告げると、兵士はもと来た方向へと去っていった。
「騎士団長も、思い切った選択をしたな。しかしまぁ、昨夜の出来事を考えれば無理もないか」
「兄貴、どうするの?」
「どうするって、そりゃお前……」
そこまで言いかけて、アベルはわずかに言葉に迷った。
「……この体で、そんな無茶できるかよ。しばらくは養生しながら様子を見るさ」
「…………」
「そろそろ戻るぞ」
「あ、うん……」
促され、クリスはアベルの後に続く。
兵士から受け取った紙。
その最後に記されていたのは、調査隊の第一部隊の募集と編成、その集合場所と日時。
時刻は本日の日暮れ。
場所は、時計塔前。
夕刻になった。
クリスは自室の扉を音を立てないように静かに開く。
「…………」
家の中は静かだった。
アベルは隣の部屋で眠っているはずだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
「ごめん、兄貴……」
聞き取れないくらいの小声で、クリスは言った。
準備はすでにできていた。
必要最低限のものは全て荷物の中にしまいこんだ。
剣は……昨夜の一戦でもう使い物にならないくらい壊れてしまったので、また新しいものを見繕わなくてはならない。
改めて見れば、ほとんど裸一貫のような状態だった。
けど、別にそれは大きな問題ではない。
元に戻っただけだ。
この家に引き取られる前……いや、もっと前。
ネイグという騎士に出会うよりもさらに過去の自分に戻るだけだ。
だからそれは、辛くはない。
悲しくはない。
……ただ、ほんの少しだけ、寂しかっただけだ。
「俺、行くよ」
「どこにだ」
独り言だったはずの言葉に返された言葉に、クリスは思わず後ろを振り返る。
そこに、なんとも呆れ返ったような表情のアベルが立っていた。
「兄貴……」
「……ったく、人がせっかくおとなしく養生してやるって言ってんのに、お前ときたら……」
「あ……」
そう。
全てはクリスを踏みとどまらせるための言葉だった。
だからアベルは、調査隊へは参加しないという意思表示をした。
アベルが参加するとなれば、クリスは否が応でもそれに同行すると言うだろう。
それを見越してのことだったのだが、どうやら無駄に終わってしまったらしい。
「ま、それでもこうなるんじゃないかとは、思ってたんだがな」
アベルはどこか諦めたような、そんな悲しそうな笑みでクリスを見ていた。
「……本当に行くのか?」
その問いに、クリスは言葉には出さずに一つだけ頷いた。
「……行かなきゃならない理由は、今のお前にはないんだぞ?」
「……そうかも、しれない。だけど……」
小さく息を吸い、クリスは続ける。
「……俺も、騎士を目指してるから。だから、逃げたくないんだ。自分にできることがあって、それが他の誰かを守ることにつながるなら、俺はその道を選びたい」
「そう、か……」
アベルはそう言って、もう一度小さく笑った。
どこか悲しそうに。
それでいて、どこか嬉しそうに。
「一つだけ、訂正させてもらうぞ」
「え?」
言うと、アベルは懐から一枚の紙を取り出した。
そして、告げる。
「クリス・アルベルト。上記の者を騎士昇級に関する一切の試験過程を終え、その結果新たに騎士を名乗ることをここに許可する」
「…………」
それは。
小さな、しかし確かな一つの夢が、現実となった瞬間だった。
「おめでとう。お前もこれで、騎士の仲間入りだ」
言って、アベルは傍らに置いてあった細長く布にくるまれたものを掴む。
「持って行け。餞別だ」
クリスはおそるおそるといった足取りでアベルに近づき、それを受け取る。
ズシリと重い感覚が両腕を襲う。
「兄貴、これは……?」
「開けてみな」
言われ、クリスは雑に巻かれた布を紐解いていく。
そこに。
「……これ、剣……?」
姿を現したのは、銅の色の鞘に納まった一本の剣だった。
「知り合いの鍛冶屋に頼んで、作ってもらったもんだ。しばらくはお前の腕にのしかかって、うまく振り回すことは難しいかもしれない」
クリスは無言のまま、柄を握り静かに剣を抜く。
金属のこすれ合う音と共に、その中から白銀の美しい刀身が姿を見せた。
「すごい……」
思わずクリスは見惚れた。
新品なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、それとは別のある種の感動が胸の中に満ち溢れていた。
何よりも嬉しいのは、アベルという騎士からこの剣を手渡してもらえたということだ。
「これ、本当に俺が使っていいの?」
「ああ、もちろんだ。そのために用意したものなんだからな。ただし」
一度区切り、アベルは真剣な眼差しで続ける。
「何度も言うようだが、決して無茶はするんじゃないぞ。本当なら、今のお前を行かせるのは反対なんだ」
「…………」
「けどまぁ、これも何かのきっかけかもしれねぇ。騎士になったお前に対する、最初の試練ってやつなのかもな」
「兄貴……」
それだけ言って、アベルは道を開けた。
「行ってこい。絶対に死ぬんじゃねぇぞ。いいな」
「……うん!」
クリスは受け取った剣を腰に結わえ付ける。
扉を押す。
「いつだって帰って来いよ。ここは、お前の家でもあるんだからな」
クリスは無言で頷いた。
先ほどとは違い、しっかりと力強く。
そして、告げる。
「――行ってくるよ」
騎士になった少年は、その小さな一歩を踏み出した。




