EP.1 炎の記憶(2)
街全体がざわめき始めていた。
おそらく、住民の中にも火災に気づいた者がいたのだろう。
一人が気づけばあとは連鎖的に近隣へとその話は飛び火していく。
このままでは王都全体が混乱の渦に巻き込まれるのも時間の問題だろう。
「くそ、一体何がどうなってやがるんだ!」
舌打ちし、アベルは走る。
その後ろからは、今夜の警備担当になっていた兵士達が十数人ほどやってきていた。
「増援の要請は!?」
アベルは走りながら後方に向って叫ぶ。
「すでに伝達は完了しています! もう間もなくやってくる頃かと」
言いかけ、兵士の言葉はそこで途切れた。
その微妙な変化に気づき、アベルは視線を正面に戻し、そして足を止めた。
そこに、何人もの兵士達が立っていた。
ただし、それらは味方ではない。
王都の中ではどれもこれも見たことのない顔ばかりだ。
「……何者だ、お前ら」
アベルの問いに、しかし兵士達は一言も答えない。
答える代わりに、彼らは無言で懐から各々の武器である剣を引き抜いた。
その目には、確かな殺気が含まれていた。
不気味な連中だった。
まるで機械のように寡黙で、しかし殺意だけが明確に滲み出ている。
よほど徹底した訓練を強いられない限り、ここまで人間味を欠いたようにはならないだろう。
と、一通りの観察を終えたところでアベルは気づく。
兵士達の鎧は燃え盛る炎の色に照らされてこそいるものの、よくよく見ればその色は深い青色に染まっていることに。
それは例えるなら、ちょうど今夜のような星も月もない夜の空の色に酷似していた。
冷たいオーラをまとっているような、不気味なほどの静寂さをたたえている。
「……まさか、お前ら」
アベルは思い出したように言う。
噂話で聞いたことがある。
ここ数年の間で大陸全土に影響を及ぼすほどの組織力を拡大させつつある、とある暗殺集団があること。
その集団は古今東西のあらゆる武器を殺戮のために使い、大小様々な街や村を次々に壊滅させていった。
すでに分かっているだけでも、地図上から消えてしまった街や村の数は二十を超えているという。
ならず者から腕に覚えのある熟練者まで、組織の構成員にこれといった共通点はない。
ただ、人を殺すことに特化した技能があれば他には何も必要ない。
唯一その組織を体現するために用いたのは、深い青色。
構成員は皆、その色の鎧や衣服をまとい、首や腕に同色のスカーフを巻きつけている。
それゆえに付けられた通り名が
「……『蒼の旅団』か。くそ、ふざけやがって!」
アベルは舌打ちと共に素早く自らの剣を引き抜いた。
それに倣うように、背後の兵士達も各々の武器を手に臨戦態勢へと移行する。
だが、アベルはこの時点ですでに自分達の不利を悟っていた。
数ではこちらが上回ってはいるものの、兵士達の全員が戦闘に特化された訓練を受けているわけではない。
必要最低限の護身術や武術は心得ているだろうが、戦力としてはあまり大きな期待はできない。
対して、相手は何らかの暗殺技術に特化した能力を持つ本物の殺しのプロだ。
数の差など、純粋な実力の前では大した問題にはならない。
「……いけ」
蒼の旅団の一人がそう告げると、残りの数人が音もなく地を蹴った。
見た目は確かに重そうな鎧に身を包んでいるにもかかわらず、その足音は全くと言っていいほど聞こえなかった。
身のこなし一つをとっても格の違いがはっきりと分かる。
「くっ!」
向ってくる旅団員の一人にアベルは立ち向かう。
一切の手加減なしに振り下ろされた一撃を、アベルは自らの剣で受け止める。
ギィンと、けたたましいほどの金属音が反響する。
やはり素人ではない。
剣術の基本がしっかりと守られた、重さを威力に上乗せした一撃だ。
アベルは受け止めた剣をそのまま力任せに押し上げ弾き、その際に生じた相手の懐の隙に横薙ぎの一撃を見舞う。
が、旅団員はその一撃を後方に飛び退くことで回避する。
アベルの剣が虚しく空を切る。
「いいかお前ら。一対一でまともに戦おうと思うんじゃねぇ! 互いに互いの背中を預けて、まずは敵の一撃を受け流すことに集中しろ!」
「は、はい!」
アベルの指示に兵士達が頷く。
一見して二対一か三対一の構図を整えたようにも見えるが、それも時間稼ぎという意味合いが大きい。
情けない話だが、この状況ではクリスが連れてくる応援の部隊に期待するしかなさそうだ。
そして、こうしている間にも大聖堂の火はどんどん勢いを増していく。
すでに外観の半分は炎に覆われ、普段の整然とした外見は見る影もなくなっていた。
「ちくしょうが、好き放題やりやがって」
アベルは剣を構え直し、目の前の敵へと向き直る。
そのまま一気に駆け、旅団員との距離を詰める。
迎え撃つつもりか、旅団員は剣を構えた。
その視線は鋭く、アベルの剣を握る両手にのみ集中している。
互いの距離がさらに縮む。
もうあと一歩踏み込めば、そこがアベルの剣の間合いのギリギリといったところだ。
その目測を見誤らず、旅団員は最善の距離を推し量る。
次の一歩が踏み込まれると同時に繰り出されるであろう横払いの一撃を姿勢を屈めることで回避し、そのまま体重を前に乗せて一気に踏み込むつもりだ。
あとは剣が引き戻される前に、絶命に足る一撃を入れればいい。
そして、その問題の一歩が踏み出された。
旅団員の体がわずかに沈む。
次の瞬間、思ったとおりの横払いの一撃が
……やってくることはなかった。
「っ!?」
完全に回避のタイミングをずらされた旅団員だが、すでに体は沈み、前方へと進もうとしてしまっている。
それを意識的に無理矢理押しとどめようとして、結果として崩れた体勢で体の動きが硬直してしまう。
そして、目の前には
「おらぁっ!」
掛け声と同時に、鋭く重い蹴りが旅団員のみぞおちに突き刺さる。
「が、は……っ」
肺の中の空気を丸ごと押し出され、旅団員はそのまま数メートル後方へと転がっていく。
何度も土の上を転がりようやく止まったその体は、もうピクリとも動かない。
「騎士の武器が剣だけだと思うなよ」
遠目に動かなくなった旅団員を確認すると、アベルはすぐさま後方へと引き返す。
そこで戦っている兵士達は、どうやら一進一退が限界のようだった。
もともと戦いなれていないせいか、何人かはすでに傷を負っている。
致命傷と呼ぶには程遠いものばかりだが、放っておくわけにも行かない。
「ちっ!」
舌打ちし、アベルはすぐさま兵士達へと向う。
背後からの一撃で昏倒させてやろうと目論んでいたが、その一撃はあっさりと避けられた。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
唯一深手を負わされた兵士を庇うように、アベルは自らの体を割り込ませる。
「…………」
対して残った旅団員達は一度距離を取り、一塊になって様子を伺っている。
その表情に苦痛や疲労の色は見て取れない。
本当に微塵の疲れも感じていないのか、それとも暗殺者ゆえに感情の色までも殺してしまっているのかは定かではない。
が、それでも形成はまだ逆転したとは言いがたいのは確かだ。
何よりも大聖堂の鎮火に関しては、まだ何一つ手付かずのままなのだ。
こうして睨み合っている間にも、火の手はどんどん広がっていっているかもしれないというのに……。
「……ちくしょう。クリス、早くしやがれ……!」
すでに街のあちこちには明かりがついてしまっている。
騒ぎに感づいた住民達が起き出しているのだろう。
もしかしたら、中には好奇心でこちらの様子を見にやってきている者もいないとは言い切れない。
そうなってもし見つかってしまえば、タダで済むはずがない。
暗殺を生業とするような連中なのだ、人質を取ることにも何の躊躇いもないに決まっている。
そうなる前に、何としても戦況をひっくり返す必要がある。
そのためにも、まずはこの蒼の旅団の構成員を倒すか撤退させなくてはいけない。
どうするかと、わずかにアベルが悩んだそのとき。
「――何をしている」
ふいに横合いから、男の声が聞こえた。
その場にいた全員の視線が、その声の方向に集中する。
そこに。
「…………」
漆黒の鎧に身をまとった男が一人、炎を背にして立っていた。
その首には、深い青色のスカーフが巻きつけられている。
すなわち、蒼の旅団の証明。
最悪だと、アベルは内心で思った。
ただでさえ不利な状況で、敵の方の増援が早くやってきてしまった。
しかも、どうやら今度の男は只者ではないようだ。
外見を見ただけでアベルにはそれが分かった。
しっかりとした体躯に重量感のある鎧。
静かで、それでいて眼光だけで他を圧倒するほどの凄まじい威圧感。
それは、まるで。
認めたくはないが、それは、まるで……。
「こいつも、騎士だってのか……?」
搾り出すような小声のそれは、しかし相手の耳に届いた。
黒い鎧の男は視線だけでアベルを見返す。
そのゾッとするほどの威圧感に、アベルは思わず剣を構え直す。
そんな様子を見た男が、再び口を開く。
「この国の騎士か」
「…………」
答えないアベルをよそに、男は言葉を続ける。
「ふん。まぁいいだろう。撤退するぞ」
と、男は旅団員の中のリーダー格の男に言葉を投げる。
「目的の物は?」
リーダー格の男が控えめな態度で言葉を返す。
「ここにはなかった。街の外に待機している部隊にも伝達しろ。すぐに撤退の準備をするようにとな」
「了解」
リーダー格の男が視線で合図を送ると、残された旅団員がその指示に従った。
彼らはすぐに剣をしまうと、そのまま塀の外へと向かって静かに走り出していく。
先ほど打ち倒されて気を失ったままの兵士は、リーダー格の男が担ぎ上げ、そのまま同様に塀の外へと走り去っていく。
あとに残されたのは、黒い鎧の男が一人。
男は未だに緊張を解けないでいるアベル達に向かい、一言だけ告げる。
「命拾いしたな」
「な……」
「さっさと火を消すことだ。迷える者に救いの手を差し伸べるはずの聖堂がこれでは、みすぼらしいにもほどがある」
それだけ言うと、男はアベル達に背を向けて歩き出していく。
「ふ、ざけるなっ!」
その背中に向けて、アベルは大声で怒鳴った。
男の歩みが止まる。
「蒼の旅団だか何だか知らないが、勝手なことばかりしやがって! このままはいそうですかと帰せるか!」
アベルは再び剣を構え、その切っ先を男の背中に向ける。
「剣を抜け」
その言葉に、男は黙ったままだった。
が、やがて無言のまま振り返る。
「いいだろう」
そして、その懐から静かに剣を抜く。
鎧と同様に、漆黒の刀身を備えた剣を。
「異国の騎士よ、名を聞こう」
「……アベル。アベル・シュバルツフォードだ」
「アベルとやら、覚悟はいいな」
瞬間、確かに空気が凍った。
「この俺に剣を向けたこと、とくと後悔させてやろう」
男が剣を構える。
「……っ!」
その瞬間、アベルは悟った。
今までに覚えたことのない感覚が全身を巡る。
しかし絶対的な速度で理解する。
絶望にも似た、得体の知れない感覚。
避けることのできない最悪の結末が、目の前に差し迫っていること。
すなわち、死。
圧倒的。
そう比喩するしかないほどの、歴然たる力の差。
格が、違いすぎる。
「ゆくぞ」
しかし、そんな思惑など知る由もなく。
黒き剣は、振り下ろされた。