EP.4 旅は道連れ(2)
目を覚ましたとき、小屋の中には誰の姿もなかった。
クリスは起き上がり、ベッドから降りる。
まだ少し足元はふらつくが、体の調子はだいぶ回復してきているようだ。
クリスは外の様子を見るために小屋の扉を開ける。
と、ちょうどそこに桶を持ったルニアがいた。
「「あ」」
ほぼ同時に同じように声を出し、二人の動きが止まる。
「おはようございます、クリスさん。もう体は大丈夫なんですか?」
「お、おはよう。うん、何とかね。まだ本調子ではないみたいだけど」
「ダメですよ。だったらおとなしく休んでいないと」
言うと、ルニアは水の入った桶を地面に下ろし、クリスの背中を押して小屋の中へと進む。
「だ、大丈夫だって」
「いいえ、ダメです。ちゃんと具合がよくなるまでは、しっかり休んでください。」
半ば強引にクリスはベッドまで押し戻される。
とはいえ、心配をかけているのも事実なので、クリスはおとなしくルニアの言葉に従うことにした。
「…………」
と、そこでクリスは妙な違和感を覚える。
どうにもルニアの様子がおかしいような気がした。
何と言うか、やけに明るすぎる気がする。
もう気持ちを切り替えているのか、それとも……。
「お、目が覚めたか」
そこまで考えたところで、フラットが戻ってきた。
「顔色もよくなったみたいだし、どうやらもう大丈夫みたいだな。あとで念のためもう一度オーズに診てもらうか」
「オーズ?」
「この村の医者だよ。昨日も遅くまで無理してもらった。ま、あとでちゃんと紹介してやるから」
「……そっか。ごめん、色んな人に迷惑かけたみたいで」
「バーカ。謝るやつがいるかよ。もっとマシな言葉があるだろうが。それと」
言いかけて、フラットはクリスの隣までやってくる。
そして耳打ちするように小声で続けた。
「その言葉は、誰よりも先にまずあの子に言ってやれよ」
視線の先には、ルニアの姿が。
「……ルニア」
「はい?」
呼ばれ、ルニアは振り返る。
「あー……えっと、その……」
どういうわけか、言葉がすぐに出てこない。
ルニアは不思議そうに首をかしげているし、フラットは隣で小さく笑いを堪えていた。
「……その、ありがとう。俺のこと、助けてくれたよね」
「あ……い、いえ、そんな! た、大したことも、できなかったし……」
と、これまたどういうわけなのか、ルニアはやや慌てた様子で言葉を返してくる。
「そ、それに、助けてもらったのは、私の方ですから。クリスさんがいなかったら、今頃どうなってたか……」
「あ、いや……こっちこそ、大したこともできなくて……」
互いにそこまで言いかけて、続く言葉が出てこなくなる。
ふと視線を移してみると、横ではフラットが口に手を当てて必死に笑いを堪えているようだった。
気のせいか、遠回しに遊ばれている気がしてならない。
「「……あの」」
と、そこでまた言葉が重なる。
それだけで妙に気恥ずかしくなってしまうような、何とも言えない気分だ。
「と、とにかくさ!」
クリスはやや声のトーンを上げて言う。
「なんにしても、ルニアのおかげだよ。ありがとう、本当に助かったよ」
「い、いえ! その……こちらこそ、ありがとうございました」
とりあえずお互いに言うべきことは言ったのだが、どうもすっきりしない。
何とも言えぬ後味が漂う中、フラットだけが未だに笑いを堪えている姿があった。
それからしばらくして、フラットがオーズをつれてきた。
クリスはそこで初めて、自分の体が毒に侵されていたことを知らされる。
「……そうだったんですか。何となく、体の調子がおかしくなってるのは分かってたんですけど。気が付いたときには、もう……」
「無理もないだろうさ。個人差こそあるものの、マダラグモの毒は遅効性のものだからね。何はともあれ、こうして回復してくれたのなら僕としても嬉しい限りだ」
「ありがとうございました。何から何まで」
「僕だけの力じゃないさ。フラットや彼女も含め、皆の協力があったからこその結果だよ」
「はい」
「とはいえ、さすがは騎士だね。若さもあるだろうけど、まさか一日でほとんど回復するなんて思わなかったよ。体の中に、また痺れが残っているような感覚はあるかな?」
「いえ、今はもう何ともないですね」
「だったらもう安心だ。けど、念のため今日一日くらいはこのまま大人しくしていることだ」
「ええ、そうします。それに」
言いながら、クリスはその横にいるルニアに視線を移す。
「大人しくしてないと、すぐに怒られちゃいますから」
「あ……」
「どうやら、そのようだね」
二人のやり取りを見て、オーズは小さく笑った。
「さて。それじゃあそっちはいいとして」
と、今まで口を開かないでいたフラットが、ここにきてようやく口を開く。
その表情はどことなく真剣なものだった。
その場にいた誰もがそれを感じ取ったのか、小屋の中がわずかに静まり返る。
「問題は、これからだな」
言って、フラットはクリスに視線を向ける。
「どうするか、考えはあるのか?」
「……うん。一応、俺なりには、ね」
「……そっか」
「……フラット。それにオーズさんも。ちょっと、ルニアと二人にさせてくれませんか?」
「え?」
突然の言い出しに、ルニアが小声で問い返す。
反対に、大体のことを把握したフラットとオーズの二人は無言で頷き、静かに小屋を立ち去る。
静かに閉じる扉の音を聞いてから、クリスはルニアへと視線を直した。
「ルニア」
「は、はい……」
「話っていうのは、君のこれからのことについてなんだ」
「私の……これから」
「うん」
一呼吸置いて、クリスは胸の中の言葉を整理する。
「結論から言ってしまうと、俺は君の身柄をリンガードで保護しようって考えてる」
「保護、ですか?」
クリスは頷く。
「でも、もちろん強制じゃないよ。ルニアにだって故郷があるだろうし、そっちに戻るっていうならそれでもいいと思う。蒼の旅団の連中も、ルニアが関係ないと分かった今は、これ以上襲ってくることはないと思う。単純に身の安全だけを考えれば、保護されることも一つの方法だと思う」
「…………」
「でも、今も言ったように俺は強制はしない。ルニアにもルニアの考えがあるだろうし、こうしたいっていう希望や要望もあると思う。だから、最終的な決断はルニア自身に任せるよ。今日一日、ゆっくり考えてみて、そして結論を出してほしいんだ」
「……一日って、じゃあ、クリスさんは……?」
「……俺は今日の夕方には、ここを出るよ」
「出て、どうするんですか……? リンガードに、帰るんですか?」
「……いや」
一拍の間を置いて、クリスは続けた。
「……俺は、蒼の旅団についてもっと情報を集める。だから、またすぐに別の街を目指そうと思う」
「っ……!」
その言葉を聞いて、ルニアはわずかに強張った気配を見せた。
それは無理もない反応だった。
ほんの一日前に、人生を狂わせるような事件があったばかりなのだから。
だがそれでも、クリスはどうするかの選択をルニアに任せたかった。
昨日の今日で、それは辛い選択だ。
もっと気持ちの整理をつけるための時間も必要かもしれない。
けど、そうこうしている間にも蒼の旅団は動くだろう。
今こうしている間にも、また地図の上から街や村が一つ消えているかもしれない。
クリスはそれを止めたい。
一人の人間として、一人の騎士として。
任務がどうこうというのではなく、単純にそのやり方が許せなかった。
だからこそ。
このままルニアをその危険の中に巻き込むわけにはいかない。
できることなら、これ以上は関わらないでいた方がいいと思う。
けど、決定権は自分にはない。
だから、委ねる。
他でもない、ルニア自身にだ。
「……ここから先は、ほとんど俺のわがままみたいなものだから。それにルニアが巻き込まれる必要なんてないからさ」
「…………」
ルニアは答えなかった。
ただ静かに下を俯いて、自分の中の色んな感情とぶつかりあっている。
「……ごめん。自分勝手なことばかり言って……」
「……いえ、そんなことは……。ちょっと、頭の中がごちゃごちゃになっちゃって……」
言って、ルニアは小さく笑った。
無理をしているのが誰にでも分かるような、そんな笑顔だった。
「……分かりました。私なりに、考えて見ます。これは、私の問題でもあるから」
「……うん」
それだけ言い残して、ルニアは小屋から出て行く。
それと入れ替わりに、フラットが小屋の中へとやってくる。
「……よかったのか、あれで」
「……分からない。けど、俺に決める権利なんてないしさ。やっぱり、本人の気持ちが一番大事だと思うから……」
「だな……。なぁ、もしもこれで、お前が一番選んで欲しくない答えをルニアが選んだら、どうする?」
「……そのときは」
続く言葉は、風の音にかき消された。
時間だけが過ぎていく。
気が付けばもう空の色は夕焼け色で、気の早いいくつかの星は一足先に輝き始めていた。
小屋の中、クリスは一人身支度を整える。
そうしていると、小屋の扉が控えめにノックされる音が聞こえた。
「どうぞ」
クリスは扉に向けて答える。
入ってきたのはルニアだった。
「……もう、準備はできたんですか?」
「うん。大した荷物もないしね」
クリスは背負いかけた荷物を一度床の上に降ろす。
「……答えは、決まった?」
静かに問う。
「……はい」
ルニアは頷いて答える。
そして、選ばれた答えは。
「――私も一緒に、連れて行ってください」
「…………」
その言葉に、クリスはすぐには答えなかった。
それよりも早く、ルニアが言葉を続ける。
「迷惑なのは、分かってます。足手まといになるかもしれないことも。けど……私、嫌なんです」
その小さな手を強く強く握り締めて、心の底から叫ぶようにルニアは言う。
「目の前で誰かが傷つくのも、それを見ていることしかできない自分も。ずっと、思ってました。このままの自分じゃいけないって。けど、急に変わることなんてやっぱりできなくて……そのまま時間だけが過ぎていって。でも、やっと分かったんです。私にできることなんて
たかが知れてて、私にできることはきっと他の誰かにもできることで……だから、もういいやって……そんな風に考えてることが、間違いなんだって。やっと……やっと分かったんです。目の前で大切な人を失って、初めて。遅すぎですよね、本当に……バカみたい。だからもう、繰り返したくないです。私は、私にしかできないやり方で他の誰かを救ってみせる! どれだけつまずいても、どれだけ失敗しても、絶対に諦めたりしない!」
怒鳴るような大声でルニアは叫んでいた。
その小さな肩が上下する。
「……嫌、ですよ。もう……あんな、悲しい思いをするのは……」
両目の端に浮かぶ涙。
悔しさと、悲しさと、痛みと、苦しみと。
数え切れない後悔が体中に押し寄せていた。
本当に、二本の足で立っているのも辛いくらいに。
だが、それでも。
「……嫌、なんです……」
その胸の内にある本当の気持ちを、全て吐き出す。
「――もう……守られるだけの自分なんて、嫌なんです…………!」
その言葉は。
いつの日か、ある一人の騎士が言っていた言葉。
そしてその騎士が、騎士になる理由になった言葉だ。
そのときは分からなかった言葉。
けど、今なら誰よりもよく理解できる。
だって、同じ理由でクリスも騎士になったのだから。
「……分かった。ありがとう」
その言葉に、クリスは素直に微笑んだ。
そして、自らの武器である剣を強く握り、言う。
「――行こう。例え何があっても、俺が君を守るから」
「……はい!」
それは、一つの誓い。
そして、最初の誓い。
「色々とお世話になりました」
「くれぐれも気をつけて。あまり無理はしないようにね」
これから村を出るクリスとルニアを見送りに、そこにはオーズとジントがやってきていた。
「ったく、こんなときにフラットのやつはどこで何やってんだ」
フラットの姿はその場にはなかった。
どうやらふらりといなくなったようだが、どうやらそれもいつものことらしい。
「フラットさんにも、挨拶しておきたかったんですけど……」
「あいつの気紛れは今に始まったことじゃないからね。まぁ、気にすることはないよ」
「フラットに、伝えておいてください。色々とありがとうって」
「ああ、任せときな。そっちこそ、しっかり守ってやれよ」
「はい」
「……さて。出発するなら急いだ方がいい。次はどこへ向かうつもりなんだい?」
「オージスの街へ向かおうと思ってます」
「……いいのかい?」
心配そうに聞くオーズに対し、ルニアは答える。
「はい。二人で話して決めたんです」
「……そう。なら、僕は無事を祈るだけだよ」
言いたい言葉を呑み込んで、オーズは小さく笑った。
「それじゃ、そろそろ」
「ああ。体に気をつけてね」
「近くに来ることがあったら、顔出しな。いつでも歓迎するぜ」
「はい。本当に、何から何までありがとうございました」
最後に軽く頭を下げて、クリスとルニアは歩き出す。
そんな二人の背中が見えなくなるまで、オーズとジントはその場を動くことはなかった。
「行っちまったな」
「そうだね」
「しっかし、フラットのやつは本当にどこ行っちまったんだ? 見送りくらいしてやればいいのによ」
「ああ、そのことだけど」
「ん?」
「心配ないと思うよ」
意味ありげにそれだけ言うと、オーズは踵を返す。
ジントは最後まで意味が分からなかった。
「よぉ。遅かったじゃないか」
吊り橋までやってきて。クリスとルニアは互いに目を丸くした。
そこに、村にいなかったフラットの姿があったからだ。
「フ、フラットさん!?」
「どうしたんだよ、こんなとこで!? ジントさんやオーズさんが心配してたよ?」
「ああ、オーズにはもう言ってあるから問題ないさ。ジントは鈍いから、まだ分かってないかもしれないけどな」
「……どういう」
ルニアが聞くよりも早く、フラットは答える。
「俺もお前達と一緒に行くぞ」
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙。
そして。
「「えええええっ!?」」
同時に、絶叫。
「お前ら、本当に息が合ってるのな。見てて気持ちいいくらいだ」
「いや、そうじゃなくってさ!」
「ほ、本当によかったんですか!?」
「別に無理なんてしてねーよ。加えて言うなら、お前達の事情に入れ込んだってわけでもない」
「じゃあ……」
「だったら、どうして……」
「見てみたくなった」
二人の問いに、フラットはあっさりと答えた。
「お前達二人の誓いってのが、何をどういう風に変えていくのか。あるいは変えていくことができるのか。一番近くで見てみたくなったんだよ」
「…………」
「…………」
「でもまぁ、無理強いはしないさ。せっかくの二人っきりの旅路なのに、お邪魔虫にはなりたくないからな」
「な……!?」
「そ、そ、そんなんじゃありませんよ!」
「いや、冗談だけどな」
絶対に遊ばれている。
二人は瞬時にそう察知した。
「まぁ、実際のところいい加減な気持ちで俺もこうしているわけじゃないんだ。どうだい? 旅のお供に一人くらい、俺みたいなのがいちゃ迷惑か?」
「…………」
「…………」
クリスとルニアは互いに顔を見合わせ、わずかに考える。
その末に、どちらからともなく小さく笑って
「歓迎するよ」
「よろしくお願いします」
声を揃えて、そう言った。
対して、迎え入れられたフラットは
「ああ、よろしくな。とりあえず、飯の心配だけはしなくていいぞ。料理は大得意だ」
同様に、小さく笑ってそう言った。