EP.1 炎の記憶(1)
炎の中にいた。
熱いというよりも、眩しいという感覚が強かった。
それほどまでに辺り一面は火の海に包まれ、パチパチと音を鳴らしては、無数の火の粉が飛び散る。
「――――」
糸のように細く目が開く。
あまりにもぼやけすぎた景色。
意識が朦朧としているのは炎のせいか、それとも体のあちこちを走る痛みのせいか。
金属音が鳴り響く。
鉄と鉄がぶつかり合い、互いを弾くけたたましい音だ。
ぶつかり合うのは二本の剣。
それらが交差し、弾き合うたびに、周囲の炎とは関係のない火花がいくつも生まれた。
そこにいるのは二人の『騎士』だった。
『騎士』とは、その剣に誓いを立てる者。
その生涯を剣と共に生き、剣と共に死ぬことを胸に刻んだ者。
一方は銀の鎧に身を包み、もう一方は黒の鎧に身を包んでいた。
息を呑む音がした。
何度目の交錯になるのか、二人の『騎士』は同時に動き、そしてまた剣と剣がぶつかり合う音が響く。
そして。
一本の剣は、宙を舞って地面へと突き刺さった。
その決定的な隙を見逃すことなく、残されたもう一方の剣は振るわれる。
炎に、そして夜空にわずかばかり照らされ、振り上げられた剣が銀色の軌跡を描いて振り下ろされた。
銀色の鎧に身を包んだ『騎士』が、真っ赤な花を咲かせたように血を流し、その場に崩れ落ちていく。
「…………ろ……」
やめろ、と。
そう、叫んだつもりだった。
腹のそこから声を絞り上げて、そう叫んだつもりだった。
けれど、のどの奥は枯れた井戸のように渇いていて、言葉一つ紡ぐことはできなかった。
周囲の炎で熱を帯びた空気だけが肺の中に流れ込み、火傷のような痛みが体の中心を襲った。
「ここまでだ」
黒い鎧の『騎士』が言う。
その手に握った剣の切っ先を、崩れ落ちて立ち上がることのできなくなった同じ『騎士』に向けて。
「今、楽にしてやる」
その剣が再び、高く高くかざされる。
血に染まった銀の剣。
いつの日か、そこに立てた誓いはどこへ行ってしまったのか。
『騎士』は『騎士』を殺すために、躊躇いなく剣を振り下ろす。
その目に。
あの日の誓いはもう、ない。
そして。
『騎士』は、剣を振り下ろした。
『騎士』は、それを避けようともしなかった。
できなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。
ただ、一つだけ確かなことは。
「…………クリス」
今わの際とも言える、その刹那の瞬間に。
「お前は、間違えるな。強さの意味を、決して……」
優しい笑みを含んだ顔で、『騎士』はその言葉を残した。
何もできず、炎の中で横たわっていた一人の少年に向けて。
――騎士団、試験場。
「よろしい、そこまで」
試験官の声が響く。
「では次の者、前へ」
扉が開く。
その向こうからやってきたのは、まだ顔立ちに幼さを残す一人の少年だった。
「受験番号六番。名をクリス・アルベルト。間違いないな?」
「はい」
名を呼ばれた少年は答える。
「よろしい。では、これより騎士への昇級試験を開始する。正面の扉をくぐり、中の部屋で待機せよ」
言われ、クリスと呼ばれた少年は前へと歩を進める。
その先にある、見るからに重量感のある鋼鉄の扉を押し開き、中へと。
ゴォンと音を立て、扉が閉まる。
部屋の中は暗闇に包まれていた。
が、ほどなくして四方の壁に備え付けられた蜀台へとロウソクの火が灯り、ぼんやりと部屋の中を照らし出していく。
「…………」
クリスは小さく深呼吸をした。
部屋全体が埃っぽいせいか、どことなく苦い空気を吸い込んだような感覚を覚える。
ガシャン。
と、音を立てて何かの気配が生まれた。
視線を元に戻すと、そこには錆色の鎧が一つ、立ち尽くしていた。
それは廊下の隅などに飾られているような、骨董品のそれではない。
鎧のあちこちは傷にまみれていた。
それは、過去に多くの者達がこの試験に挑み、そして残していった傷跡だ。
ボロボロの外見とは裏腹に、目の前の鎧からは確かな気迫が感じられる。
鎧の中身は、試験を担当する試験官だ。
試験官はやがて、静かに懐の剣を抜く。
「名を聞こうか、少年」
「……クリス・アルベルトです」
「よろしい。ではクリスよ、これより騎士への昇級試験、その最終過程を始める。覚悟はいいか?」
「はい」
答え、クリスは懐の剣を抜く。
初めてその剣を手にしたその日は、重さに引きずられてまともに振り回すことはおろか、持ち上げることさえ困難だったそれだが、今と
なっては振り回されることはない。
ズシリとした重量感も、柄を握る力の具合も何もかも、この数年の間で体の一部のように使いこなせるようになった。
剣を正面に構え、半身の姿勢でクリスは構える。
「ふむ……」
その様子を見た試験官がそんな声を漏らす。
彼もこの試験官という立場上、多くの騎士を志す者達とこうして相対してきた。
その経験と勘が、こう言っている。
久しぶりに有望な若者がやってきたな、と。
言葉には出さず、試験官の男は小さく笑った。
「では始めよう。制限時間は十分。その時間内に私から一本取って見せろ」
言って、試験官の男は一枚の銀貨を放り投げる。
放物線を描き、銀色のコインが静かに地面へと落ちて……。
それを合図に、二人は同時に地面を蹴った。
――城門前。
暖かな陽気のせいか、退屈そうにあくびをする門番の姿を横目に、一人の青年が立っている。
「そろそろ、か……」
街の中心に立つ巨大な時計塔の文字盤を眺め、彼は呟く。
「お?」
と、ちょうどそのときだった。
城の中庭の通路から、見覚えのある赤い髪の少年が歩いてくる姿が見える。
どうやら少年も彼の姿に気づいたようで、小走りに駆け寄ってきた。
「よう、お疲れ。試験はどうだった?」
青年の問いに、少年は握った右手の親指を立てて答える。
満足そうなその表情を眺め、青年も小さく笑った。
「じゃ、あとは結果が出るのを待つだけだな」
「結構時間がかかるかもしれないって話だったけど」
「ま、仕方ないだろうさ。騎士志願の連中は多いからな。もっとも、選ばれるのはその中の一握りなわけだが」
「ちぇ、遠回しに自慢かよ。嫌味だなー」
「そうむくれるなよクリス。無事に最終試験も突破できたんなら、まず合格できるだろうさ。何だかんだで騎士の世界は実力主義だからな」
「だろうね。そうでないと、アベルの兄貴が騎士になれた理由に納得がいかないし」
「おい、そりゃどういう意味だ?」
「だって、兄貴みたいに誠実さのカケラもないような腕っ節だけの人間が騎士になれたんだ。これでもし俺が試験に落ちたら、それこそ納
得いかないって」
「テメェ、紳士な俺でもそれ以上言われたら怒るぜ?」
「紳士って……兄貴、冗談もそこまで来ると笑えないよ?」
「何言ってやがる。俺は自他共に認める紳士だぜ。ただし、女性限定だがな」
「……本当に、何でこんなのが騎士になれたんだろ。いや、逆に考えるんだ。こんなのでも騎士になれたってことは、やっぱり俺でも」
「ふん!」
言いかけたところでクリスの頭上に拳が降った。
「っでー。何すんだよ」
「うるせぇ」
そんな会話をしながら、二人は街の雑踏の中に紛れていく。
昼時ということもあってか、城下の街並みは多くの人々で賑わっていた。
「とりあえず、何か食うか。腹減ってるだろ?」
「あ、だったらさ、あそこ行こうよあそこ。中央通の東側にある食堂」
「あー、あの店か。しかし、この時間じゃ混んでるんじゃないか? あの店、結構人気あるからな」
「大丈夫大丈夫。俺、あそこのオバちゃんと仲良いからさ」
「ほー、そりゃまた……って、ちょっと待ておい。まさかお前、時々稽古を抜け出して姿が見えなくなると思ったら、まさか……」
「あ……」
唐突に逃げ出そうとするクリスの襟首を、しかしアベルはしっかりと鷲掴みにする。
どうやら昼食を食べながらも、テーブル一つ挟んだ場所で説教を受けなくてはいけないらしい。
もう間もなく一日が終わる。
部屋の窓から染まりかけの夜空を、クリスはぼんやりと見上げていた。
視線を下に移すと、路地のあちこちには大人達が右往左往していた。
これから夜が深まれば、辺りの酒場などはまた少し賑やかになるだろう。
クリスはベッドの上に移動すると、使い慣れた自分の剣を鞘から抜く。
かつては曇り一つない美しい銀色だった刀身も、今ではすっかり輝きを失った鉄の色に落ち着いてしまっている。
よく観察しなければわからないが、刃の部分もあちこちが刃こぼれをおこしてしまっていた。
かといって、クリスはこの剣を手放す気にはならなかった。
かれこれ五年以上も自分の手で握ってきた剣だけあって、少なからず愛着もわいているのかもしれない。
「五年、か……長いようで、短かったな……」
何かを思い出すように、クリスはふと呟いた。
五年前。
気が付いたとき、クリスはこの家……シュバルツフォード家にいた。
全身あちこちが傷だらけで、ひどく衰弱した状態でここに運ばれてきたらしい。
らしいというのは、クリスにはどうして自分がそうなったのか、その部分的な記憶がなかったからだ。
医者の見立てでは、頭に強いショックを受けたことが原因で、部分的な記憶喪失を起こしているのではないかという。
だから、ここから先は全部アベルに聞かされた話だ。
首都に当たるこの街からそう遠くない山間の小さな村で、クリスは倒れているところを保護されたらしい。
発見したのは、当時騎士団に入りたてだったアベルを含む、王都の騎士団の一部隊だったそうだ。
後に調べて分かったことは、山間にあるサイリスという小さな村が、盗賊か何かの集団に襲われたということだった。
もともと少数の人間しか生活していなかった村にもかかわらず、ほとんどの村人は皆殺しにされたらしい。
当時の生存者で確認できたのは、クリスだけだったそうだ。
クリスは、自分がそのサイリスという村で育ったことも、自分が誰に育てられたのかということも覚えている。
失った記憶というのは、その何者かの手によって襲撃があったであろう一夜の前後の部分だけなのだ。
「っ……!」
当時のことを思い出そうとすると、こうして決まったように頭痛がやってくる。
まるで、頭の奥で眠っている記憶を掘り起こすのを心が拒絶しているかのように。
「……ネイグさん」
呟いたその名は、クリスを育ててくれた親であり、兄のような人物の名だ。
ネイグもまた騎士だった。
幼い頃からクリスはネイグの背中を見て育ち、自然と思うようになった。
いつか、自分も彼のような立派な騎士になろうと。
そして誰かの役に立ち、誰かのために剣を振るおうと。
その願いは、もうそこまできている。
今日の最終試験の結果は、数日の内に封書で届けられるはずだ。
自信もある。
きっと彼に並ぶことができる。
追い着くことができる。
それはとても喜ばしいことのはずなのに……。
「…………ネイグさん、どこ行っちゃったんだよ……」
その名を呼んで、クリスはベッドに体を横たえる。
村の生き残りは自分一人。
当然、そこにはネイグという名の騎士はいなかった。
彼が村の襲撃の際に死んでしまったとは思えなかった。
いや、思いたくなどなかった。
幸か不幸か、実際に彼の死体はその場からは発見できなかったらしい。
ならばそれは、彼が生きている証になる。
あの人は今、どこで何をしているのだろう。
自分が憧れて追いかけたあの背中は、一体この広い世界のどこを歩いているのだろう。
彼と同じ騎士になれば、答えが分かる気がしてた。
だが、答えは分からないままだった。
もっとも、具体的にはまだ騎士として認められてはいないのだが。
だが、それでも。
「…………」
目を閉じて、クリスは思う。
無事に騎士になれたら、誰よりも最初に彼にそのことを伝えたいと。
やっと追い着いたよと。
きっと彼は、笑ってくれるだろう。
そして、言ってくれるだろう。
不器用な笑顔で、たった一言。
――お前にしちゃあ上出来だ
「……はぁ」
ため息を一つこぼし、クリスは目を開ける。
剣を鞘に戻すと、もう一度ベッドの上に寝転がった。
同時に眠気が波のように押し寄せてくる。
試験が一通り終わったことで、緊張の糸が切れたのかもしれない。
何にせよ、あとは結果を待つばかりだ。
明かりを消し、眠気に身を委ねる。
睡魔はすぐにやってきた。
ふと目が覚めたのは、真夜中のことだった。
「ん……」
眠りが浅かったのだろうか。
こんな風に夜中に目が覚めるのは久しぶりだった。
当然だが、部屋の中を含めて家全体はすっかり寝静まっていた。
とは言っても、一緒に暮らしているのはアベルだけなのだが。
クリスはベッドから降り、窓の外の景色に目を向ける。
月も星もない夜だった。
青をどこまでも黒に近づけたような、そんな深い色の夜空が音もなく佇んでいる。
街並みからはすっかり人気が消え、時折吹く夜風だけが寂しそうに路地のあちこちを突き抜けていく。
王城と並んで街の象徴になっている時計塔も、今は静かに時を刻んでいる。
人影もなく、実に静かな夜だった。
クリスは一度だけ深く深呼吸すると、のどの渇きを覚えたので水でも飲もうと部屋を出ようとして
「っ!?」
そこで、視界の端にそれを見た。
王城の中庭、その端に位置する大聖堂の辺りから、赤い何かが見えた。
窓を開け放ち、クリスは身を乗り出してそれを見る。
それは、炎だった。
大聖堂が燃えている。
「な……」
一瞬だけ言葉を失ったが、クリスは迅速に動いた。
真夜中ということに構いもせず、勢いよく部屋の扉を開け放つ。
そしてすぐ隣のアベル部屋の扉をノックもなしに開け放った。
「ん……なんだ、どうしたんだクリス?」
その物音で目が覚めたのか、アベルはベッドの上で上半身を起こしていた。
クリスは叫ぶ。
「兄貴、大聖堂が火事だ! 早く行かないと城にまで火の手が回っちまう!」
「何? お前、寝ぼけて夢でも」
言いかけて窓の外に目をやったアベルの体が硬直する。
が、それも一瞬。
「……大聖堂へは俺が直接行く。お前はすぐに騎士団の詰め所に行け。あそこは交代制で誰かがいるはずだからな」
言うと、アベルは最低限の身支度と剣を手にして部屋を飛び出た。
「急げ! 今ならまだ火の手を食い止められるかもしれねぇ!」
「分かった!」
家を飛び出し、夜の路地を二人分の影が走る。
立ち上る黒煙。
夕焼けのような炎は、先ほどより勢いを増しているようにも見えた。
途中、クリスとアベルは分かれた。
大聖堂と騎士団の詰め所では方向が異なるからだ。
考えることはいくつかあったが、今はそれどころではない。
一刻も早く人手を増やし、大聖堂の火の手を止めなくてはいけない。
その、瞬間。
「う、あ……っ?」
急激なめまいがクリスを襲った。
走っていた足が止まり、方膝を折ってその場に倒れそうになる。
ズキンズキンと、頭の芯が鋭い痛みを発している。
猛る炎。
舞う火の粉。
赤色の記憶が甦る。
「く、そ……!」
が、クリスはそれらを全て振り払う。
今はそんなことはどうでもいい。
二本の足にもう一度力を込め、再び走り出す。
今はその胸の奥にあるわだかまりを、振り払えないとしても。
初めての方は初めまして。
作者のやくもと申します。
今回は今までとは違った完全オリジナルの異世界ファンタジーに挑戦ということで、「Oath of Sword」をお届けさせていただいてます。
あらすじにも書きましたが、これは「騎士」と「剣」と「誓い」の物語です。
タイトルもそのまま直訳すれば「剣の誓い」という意味ですね。
なので、この三つが物語のキーワードのような感じでストーリーに絡んでくる予定です。
完全オリジナルとは言ったものの、やはりどこかしらの部分で既存の作品などにかぶる表現などが出てくるとは思いますが、できるだけ読みやすさを重点において完結までもって行こうと思っていますので、お気に召した方は最後までお付き合いいただければと思います。
感想、意見、何でも結構です。
いただければこちらとしてもモチベーションの維持につながりますので、一言お寄せいただければ幸いです。
手短ですが、これにて挨拶とさせていただきます。