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短編

心の声が聞こえる公爵令嬢と冷酷公爵様

「————お前には、アズウェル公爵の下に嫁いで貰う事になった」


 それは、父の言葉。

 私——シェリア・ファウザーが16歳を迎え、それから数日ほど経過したある日。

 執務室に呼び出されたと思えば、私は開口一番にそんな言葉を向けられる。


 告げる父の瞳は、僻目に近かった。

 私を見詰めているようでその実、何処か別の場所を眺めているような眼差し。

 父の事だからきっと、私が嫁いだ後の事でも考えているのだろう。


 貴族令嬢として生まれた身。

 政略の道具になる事に今更、騒ぎ立てるつもりはなかったけど、血の繋がりがある筈なのに、ないように思えてしまうこの感覚はいつまで経っても慣れない。心の中に、冷たい風が吹き込んでくる。そんな感覚だった。


「承知いたしました」


 胸中で渦巻く感情に蓋をしながら、笑顔を作って取り繕う。


「出立は今日を予定している」


 随分と急な話だ。

 そう思った。


「問題はあるか」

「いえ、特には」


 でも、特に拒む理由も、予定もなかったのでその言葉に首肯を一つ。

 すると、「そうか」とだけ呟き、父は閉口した。


 用事は、これだけだろうか。


 父に、言葉を続ける様子が見られなかったので私は失礼しますと言い残して執務室を後にした。



「おめでとう、シェリア」


 部屋を後にするや否や、聞き慣れた声が私の鼓膜を揺らす。声の聞こえた方へと視線を向けると、そこには私のように笑顔を作った(、、、)お姉様がいた。


「……アナスタシアお姉様」


 聞き耳を立てていたのか。

 はたまた、事前に父から話を伺っていたのか。

 兎も角、上の姉であるアナスタシアは、心の底から今回の一件を、祝福してくれているようであった。

 ……ただ、


(……可哀想に。ミカまで嫌がっちゃったから、案の定、お父様ったらシェリアにあの冷酷公爵様との縁談を押し付けたのね)


 その祝福は、私に対してではなく、縁談を逃れられたアナスタシア(自分自身)への祝福であったが。


 私には生まれつき、特別な能力があった。

 魔法というより、それはきっと超能力に近い。


 私は————例外なく、誰しもの心の声を聞く事が出来た。

 だから、誰しもの本音、嘘、建前。

 何もかもが私には聞こえてしまう。


 故に、私は先の一件についてアナスタシアお姉様が憐れんでいるのだと一瞬で看破する事が出来てしまっていた。


 ……実に、呪われた能力である。

 何事も、知らない方が幸せとはよく言ったものだ。


「ありがとうございます。アズウェル公爵領、ともなるとファウザー公爵領から随分と遠地になってしまいますね」

「そうね。気軽に会う事は出来なくなるから……ミカと一緒にシェリアに手紙を送るわ」

「お待ちしております」


 アナスタシアお姉様に言葉を返し、一礼。

 最低限の別れの挨拶は終えた。

 そう言わんばかりに、アナスタシアお姉様は来た道を帰るように踵を返した。


 家族……とはいえ、基本的に父含め、私達の関係というものは特に淡白なものであった。


 心の声を聞ける、なんて特異体質のせいで、基本的に私は相手の懐には踏み込めない。

 本音を知ってるのだ。

 たとえ相手が気にしていないと言っても、本音では気にしていたらどうしても私は遠慮をしてしまう。


 そしてそれら全てを押し殺し、聞こえてくる心の声に従って行動をしても————待ち受けていた結末は、「気味が悪い」という一言だった。


 だから、私はやっぱり距離を置く事にした。

 お陰で、気付けば私は、人と関わる事が苦手な子。なんて印象を持たれていた。


 私が実は寂しがり屋なんだよって言っても、多分、誰も信じてはくれないだろう。

 故に、〝心の声が聞こえる(この能力)〟は、何よりも疎ましいものであった。


「シェリアお嬢様」


 そんな事を考え、思考の渦に沈んでいた私を引きあげたのはよく知った使用人の声であった。

 名を、ユース。


 父がまだ私の年齢だった頃よりファウザー公爵家に仕えてくれている古株の初老の執事であった。


「出立の準備が出来ましてございます」

「そっか」


 ついさっき、話を聞いたばかりだというのに、随分と準備が早いというか。

 一体どういう事なんだ。


 なんて思う私の心の声に応じるように、ユースの心の声が聞こえてくる。


 私が若干、彼の言葉に渋面を見せていたからだろうか。


 得られた情報は私の望むもので、どうにもアナスタシアお姉様とミカお姉様が時間を掛けてゴネていたらしく、先方から縁談は三女()でも問題ないという返事が来たから謝罪も兼ねてさっさと送り届けてしまおうという事らしい。


「ねえ、ユース」

「いかがなされましたか?」

「アズウェル公爵様って、どんな人だろう?」


 噂では、血も涙もないとか、冷酷だとか、しまいには頭に角が生えているだとか。

 とんでもない噂が飛び交う御仁である。


 流石にその大半はただの出まかせ、であるとはいえ、どんな人なのか。

 もし、ユースが少しでも知っているのなら聞いておきたかった。


 ……ただ、そんな私の期待とは裏腹に、政略道具として嫁ぐ私の心境を案じたユースは口籠もり、逡巡を経たのち、「……優しいお方です」とだけ答えてくれた。


 その気遣いから、私の耳にまで届いている噂がほんの僅かでも正しいものであったのだと理解する。でも、個人的な意見を言わせて貰えるのであれば、そのくらいなら問題はなかった。

 むしろ、そのくらいでちょうど良いと思う私すらいる。


「……変わった人だと、ありがたいんだけどな」


 具体的に言うと————心の声が聞こえない人、とか。そんな人はいないって分かってるんだけど、どうしても、「もし」なんて事をつい考えてしまう。


 ……勿論、ユースの言う通り、優しい人であってくれると尚嬉しい事には間違いないんだけども。


「変わった人、ですか」

「……ううん。ごめん、やっぱり何でもないや」


 心の声が聞こえるという私の特異体質は、誰一人にも打ち明けてはいない。

 だから、これは口にするべきではなかったと反省。そして、取り繕った。




「————何かあれば使用人に申しつけてくれればいい。面倒事さえ起こさないなら、俺はあんたの行動に何一つとして関与しない。以上だ」


 色のない声だった。

 数日掛けてアズウェル公爵領に辿り着いた私に向けられたソレは、好も悪も存在しない何もかもがどうでも良いと言わんばかりの無色透明の声音。


 それが、私の嫁ぐ相手——ミラン・アズウェルから初の邂逅で告げられた言葉であった。

 さながらそれは、仮面夫婦をしてくれと、言われているようであった。

 否、事実そうなのだろう。


 だとすれば、長女であるアナスタシアお姉様や次女であるミカお姉様でなく、三女()でも構わないと答えた事にも頷ける————そう、思っていたんだけれど。


 アズウェル公爵領に着いてから数日ほど経過したある日、私はミラン様に失礼を承知で尋ねる事にしていた。


「ファウザー公爵家……いえ、私との婚約を進めた理由は、一体どのようなものなのでしょうか」


 心の声が読める私であったけれど、絶望的なまでに会話する機会に恵まれなかった為、彼の考えについて、私は何も知る事は出来ずにいた。

 それもあって、私は少しばかり強引に会話をする機会を作ってこうして問い掛けていた。


「一番口出ししてこないと思ったからだ」


 隠す程の事でもないと口にされる返事。

 簡潔に、一言で纏められた言葉が私の鼓膜を揺らす。〝愛〟なんてものを求める気はなかったけど、どこまでも無機質な声音が私の下に届いた。


 そして、待てど暮らせど一向に心の声は……聞こえてこない。

 それが嘘偽りのない答えなのだと言わんばかりに。


 ここ数日、ミラン様の屋敷でお世話になったから分かるけど、彼の心の声が聞こえないわけではない。

 これはただ、ミラン様がどこまでも私に興味がないだけ。胸の中で感想を抱く余地すら生まれない程に、興味がないだけ。

 だから、心の声が一切聞こえてこない。


 本来であれば、その冷え切った態度に少なからず、落胆だとか、悲しみだとか、辛苦のような感情を抱く事になっていたのかもしれない。

 でも、私だからこそ、か。

 それらの感情とは無縁だった。

 だから寧ろ、忌憚のないその言葉に感謝の念すら抱いた。


 故に、不平不満を垂らすどころか、私は少しだけそんなミラン様の事を知りたいとすら思ったんだ。



 ————冷酷公爵。


 これが、周囲からのミラン様の評価であり、誰もが知る彼の印象。

 使用人達がミラン様に怯える様子は一度として見た事はないけど、アズウェル公爵領に出入りする商人や、貴族諸侯は決まってビクビクとした怯えた態度を取る。


 事実、彼の行動は何かと過激なものが多く、強ち、尾ひれがついた噂話というわけでもなかった。


「————それで」


 既に辺りは夜闇に染まっており、すっかりふけた夜半の頃。

 普段と何一つ変わらぬ姿で政務を行うミラン様に、呆れの視線を向けられながら私は彼の目の前に立っていた。


「これは?」

「夜食、です」

「……」


 机の上には、軽食が一つ。

 それと私をゆっくり見比べるミラン様の眼差しは、奇妙なものでも見るかのようなものだった。


「頼んだ覚えはないが」

「その、必要かと、思いまして」


 この数日で噂で聞く冷酷公爵という名前が誇張されたものであるとは分かっている。

 でも、精悍な顔付きながら、どこか怖いと思ってしまう鋭い目つきに当てられた事で少しだけしどろもどろに近くなってしまった。


 すると、何を思ってか。

 ミラン様はつい先程まで紙に走らせていたペンを置き、殊更に深い溜息を一つ。


「……機嫌を取らずとも、俺は貴女を無下に扱うつもりは無い」


 責めてはいなかった。

 でも、褒められてもいなかった。

 ただ、ただ、呆れていた。

 本当に、彼の感情はそれだけだった。


「……ファウザー卿から貴女の事は、引っ込み思案な少女と聞いていたのだがな」


(だからこそ俺は、貴女でも良いと返事をしたというのに)


 父から聞いたであろうその言葉に、間違いはなかった。

 ……ただ、引っ込み思案というより、人とあまり関わろうとはしない。が、正しかったけれど。


 やがて、ミラン様は椅子から立ち上がり、私が持ってきた軽食には目もくれずに「……先に話しておくべきだったな」と前口上を述べてから語り出す。


「俺と貴女の縁談は、遅くとも5年以内には破棄される事になっている」


 その言葉は、正しく青天の霹靂と言えるものであった。


「本当は、嫁などいらんと突っぱねたのだがな」


 誰かからそれはダメだと叱責されでもしたのか。空笑いするその表情が、全てを物語っていた。


 でも、破棄する理由は教えてくれないのか。

 そこで話は終わり、


「……まぁ、そういうわけだ。貴女が屋敷に来た初めの日にも言ったが、面倒事を起こさないのであれば、俺は貴女の行動に何一つとして関与はしないし、夫婦の真似事も、ましてや、貴女が俺の機嫌を取る必要も一切ない」


 そしてやって来る、私という存在を突き放す言葉。向けられる瞳には、取り繕いようのない決定的な「拒絶」の意志が湛えられていた。


「……この夜食は貰っておくが、今後一切、こういった気遣いはいらない。分かったら早く寝てくれ。シェリア嬢」


(———————)


 それだけ告げて、ミラン様は何事も無かったかのように席につき、政務を再開する。

 でも私の足は、すぐに動いてはくれなかった。


 頭も、あまりよく回っていなかった。

 彼の言葉に首肯するという行為すら忘れて、信じられないという感情に埋め尽くされていた。


 そして今日この時この瞬間以上に、〝心の声を聞く能力(己の才能)〟を恨んだ事はきっと後にも先にもない。そう、断言出来た。



 ————余命5年。



 長くても、5年しか生きられない。

 そんなミラン様の隠し事を、私は知ってしまったんだ。




 私が何故ミラン様に嫁げと言われたのか。

 その理由は、それから数日後に判明した。


 四大公爵家と呼ばれるアズウェル公爵家。

 その当主が、25歳に達して尚、嫁を取ろうとしない事には何か理由があると勘繰られる事を避ける為に父がならばと手を挙げたらしい。


 幸いにも、三姉妹であった事。

 ミラン様の家の格が高かった事。

 様々な要因が幾重にもなって重なった結果、こうして私が嫁ぐ。という結果が生まれたらしい。

 だからこそ、


(……ミラン様は、救いようがないくらい、バカな人だ)


 アズウェル公爵領に来てからそれなりに月日が経ったある日、私は、心の底からそう思った。

 彼の心の声を聞けば聞くほど、自分の幸せってやつが何処にも存在していないのがよく分かる。


 妻帯者になろうとしなかった理由は、間違いなくミラン様自身がどうやっても先に逝く未来しか見えていなかったから。


 だから、己が死んだ後に起こるであろう様々な光景を瞼の裏に思い浮かべた結果、彼は己の懐に誰一人として入れる事はしない。

 そんな、寂しい選択肢を掴み取っていた。


 そして、冷酷公爵なんて呼び名も、彼は肯定し、己の意志で吹聴している節すらある。


 印象深い〝冷酷公爵〟というレッテルさえあれば、幾分か統治も楽になるだろうから。

 悪い印象が先行していれば、たとえ後任者が平凡の域を抜けないとしても、悪いようにはならない。そんな気遣いが、聞こえてきたんだ。


 だから私は、バカだと思った。


 ミラン・アズウェルという人間は、自分の生はもう終わったものだと考えて、誰かの為だけに、行動をしているから。


 そして、自分が倒れた時に、私を生家に送り返そうとしている事も、知った。


 ……初めてだった。

 初めて、この人の心の声はちゃんと拾わなくちゃいけないと思った。何一つとして言ってくれないから。だから、私がちゃんと聞いてあげないといけないって思ったんだ。


「————またか」

「勝手にしろと、仰っていたので」

「…………」


 執務室の中。

 呆れを孕んだ声音が、私に向けられる。

 これでもう、こうして呆れられる回数も両の手では収まり切らなくなった頃か。


 いつも通り、臣下には忙しくない風を装い、その実、自分だけは徹夜で政務をこなして。

 そんな彼に夜食を日を跨ぐ寸前に持っていく。


 そろそろ、その行為が習慣化されつつあった頃、走らせていたペンを置いてミラン様は片手で頬杖をつきながら、私に向かって口を開いた。


「……怖くはないのか」


 それは、窓越しに見える夜の事だろうか。


「俺の事が、怖くないのか」


 言葉足らずだったと気付いたのか、言い直される。

 お陰で、一瞬前に抱いた感想が間違いであったと理解する。


 ……やって来た問いというものは、実に今更な質問だった。


「……何故、私がミラン様を怖がらなければいけないんですか」


 無性に、衝動に駆られる。

 私は全部知ってるんだって、吐き出したくなる。


 何より、言ってしまいたかった。

 どうして、自分の幸福が貴方の行動の中に一つとして存在していないのか。

 何処にもないのかって、心の声でいいから聞きたかった。


 たとえ致命的な何かが音を立てて崩れるとしても、言ってしまいたかった。

 ただ一言————どうしてって。


「実際にひどい事をしてきた相手でもない限り、怖がりはしません。噂一つで怖がるなんて、失礼じゃないですか」


 でも————言えなくて。

 一歩踏み出せばいいだけなのに、それが出来ない自分に嫌気がさした。


 初対面の時こそ、ミラン様の鋭い眼光に当てられて若干及び腰になっちゃったけど、本当に、それだけ。そんな感想を胸のうちに仕舞い込みながら、私は言葉を返した。


「……そうか」


 その場逃れの取り繕いでなく、それが私のまごう事なき本心であると悟ってか。

 嬉しそうに、ほんの僅かだけどミラン様が口角を吊り上げたように見えたのは私の願望、じゃない……と思う。


「……しんどい時は、ちゃんと休んで下さい」


 ここ最近はずっと徹夜をしていて、本当に寝ているのかすらも分からない。

 臣下や使用人の方々は、ミラン様には何を言っても無駄だと諦めてしまったのか、私が夜食を持っていくと知った方々から、軽くでいいから私の口からも言ってくれと頼まれたくらい。


 だから、その頼まれごとを果たす事にした。


「言われずとも、ちゃんと休んでいる。誰にも迷惑をかける気はない」


(……流石に明日辺りは、休んでおくか)


 続け様に聞こえてきた心の声が、先のミラン様の発言がただの出鱈目でしかなかったと裏付けてくれる。やっぱり、全然休んでないじゃないですかって責め立てたい気持ちをどうにか押し殺して、疑いの視線だけ向けておく。


「もしかしなくとも、今日はそれを言いに、わざわざここへ来たのか」


 夜食を届ける際、いつも私はその時にミラン様に話しかけていた。


 ある日は、私にも手伝える事はないか。

 またある日は、好きな物は何か。

 そのまたある日は、何気ない世間話を。


 だからきっと、彼の口から「今日は」なんて言葉が出てきたのだと思う。


「御迷惑でしたか」

「いいや。シェリア嬢に、勝手にしろと言ったのは俺だ。それに、少し休みたくもあった」


 故に、言葉を交わすこの時間は丁度良かったのだと、ミラン様は言う。


 やがて、沈黙が降りる。

 外は暗く、ひと気もない。

 それも相まってか、耳が痛い程の静謐が瞬く間に部屋に充満した。


「一つ、いいか」


 そんな中、少しだけ不思議そうにミラン様は言葉を紡ぐ。そして、私の反応を待たずに続きの言葉が口にされた。


「どうして貴女は、そうやって俺に節介を焼こうとするんだ」


 不思議で仕方がないと言わんばかりの物言いであった。


「……駄目、でしたか?」

「駄目じゃないが、5年以内に必ず俺と貴女の関係は白紙に戻る。もう少し、建設的な事に時間を費やしたらどうだ」


 まるで、自分と過ごす時間は無駄であると遠回しに指摘するその口振りを前に、どうしようもなく儚い気持ちに見舞われた。


 私の事が嫌いだとか、構われる事に嫌悪を抱いていない事は知っている。

 でも、彼のその言葉は、彼にとって紛れもない本心だった。


「建設的な事に時間を、ですか」

「ああ、そうだ」


 優しい声で肯定してくれる。

 だけど私に言わせれば、ミラン様のその言葉は私にではなく、彼自身に向けるべき言葉であると思った。


 余命は、長くて5年。

 なのに、毎日毎日、政務、政務。貴族としての責務の繰り返し。


 貴方こそ、限られた時間をもっと建設的な事に費やすべきじゃないのか。少しでも、心残りがないように人との関係を最低限にとどめるのではなく、後悔のない人生ってやつを送るべきなんじゃないのか。


 ……そう、思ってしまったからなんだと思う。


「……ミラン様こそ、もっと建設的に時間を使おうとは思われないんですか」


 私が、そんな失言をしてしまった訳というものはきっと、そんな理由だった。


「……生憎、器用な人間じゃなくてな」

「違います。私が言いたいのは、そういう事じゃ、ないんです」


 効率のいい人間じゃないから、徹夜する羽目になった。

 ……違う。私が言いたい事は、それではない。


 でも、核心をつく事はやっぱり憚られて。

 口籠もり、視線は泳ぐ。

 そんな私の様子を見かねてか。


「改めて思うが……ファウザー卿から聞いていた印象とは随分違うな」


 ミラン様が、そう述べた。


「もう既に何度か言ったが、俺は貴女の事を引っ込み思案な少女と聞いていた。家族であろうと、誰に対しても壁を作る少女だと、な」


 それが今はどうだ?

 とてもじゃないが、同一人物とは思えないな。


 笑い混じりに、言葉が付け足される。


「…………」


 返答の最適解はちっとも浮かんできてくれなくて、閉口したまま、時が過ぎてゆく。

 私だって、こうなるとは思いもしてなかった。


 新しい環境だ。

 どうせなら、変わった人と出会えたらな。

 なんて思っていた。


 けど、まさか私が、忌み嫌っていた〝心の声を聞く事(己の才能)〟を、己の意思で進んで使って声を拾い、そして誰かの為に何かをしようとする。


 そんな状況に陥るとは夢にも思わなかった。

 でも、不思議とそんな状況が悪くはなかった。

 彼の心の声は、綺麗なものばかりだったから。


「……自分の意思を、伝える事が苦手だっただけです」


 本当は、誰かともっと関わりたかったし、お話もしたかった。

 心の声が聞こえるからと、自分勝手に遠慮をしていただけなのだと。


 言外にそう言うと、「なるほどな」とだけ呟くミラン様に、仕方がなさそうに笑われた。


「俺は、話しやすかったか」


 少しだけ嬉しそうで。

 ……でも、表情の端々に哀愁に似た感情も、散りばめられていて。


 続けられる心の声は、自分は後5年しか生きられないというのに。

 そんな事実を幾度となく反芻して、私を憐れみ、そして、申し訳なさといった感情などがぐるぐると堂々巡りを繰り返していた。


「……放っておけないんです」


 ————自分でも、不思議だけど。


 胸中で言葉を付け足しながら、呟く。

 その一言は、私自身ですらも驚く程に感情が籠っていた。


 十も歳が離れている相手に、放っておけないと口にする。それがどれ程傲慢で、余計なお世話で、要らぬ世話だと思われたとしても、言わずにはいられない。


「話しやすいとか、そうじゃなくて放っておけないんです。聞こえるから(、、、、、、)……っ、余計に! 悪い人じゃないって分かってるから(、、、、、、、)……っ! 貴方の、事は……」

「…………」


 ものすっごい複雑な表情を向けられる。

 自分でも、そうされる覚えはあったし、めちゃくちゃな発言しちゃったなって自覚もあった。


 でも、そんな破茶滅茶な言葉でも、私がミラン様の〝何か〟を知っている。

 という事実は伝わったのか。


「……では、俺はどうすればいい? シェリア嬢」


 物分かりの悪い幼児をあやすような。

 晩年の老爺が孫に向けるような慈愛に満ち満ちた視線が向けられる。


 その態度は、私が子供でミラン様は大人。

 性別の差ですらなく、私と彼の間には埋められないものがあるのだと言わんばかりの物言いだった。


 だけど、言葉を聞いてくれるのであれば、どんな態度であっても私からすれば些細なものであった。


「ご自分のお身体を、もっと大事にして下さい。使用人や、臣下の皆さんだって、ミラン様の事を心配しておられます」


 ミラン様には内緒で、複数人の臣下の方が暇を出し、病気を治す手掛かりや、医者を探しに回っている。という事も、使用人達の心の声を何度か聞くうちに知り得た。


「……誰かに吹き込まれでもしたか」

「私の意思です」


 そこに使用人の方々(彼ら)は関係ないと一蹴する。


 するとやがて、深い深い溜息がやってきた。

 私に見せつけるように行うソレは、数秒にも渡って続く。


「……俺は、とんだじゃじゃ馬を引いたらしいな」


 でも、言葉とは裏腹に、ミラン様は存外嬉しそうでもあった。多分それは、私の勘違いなんかじゃない。心の声を聞かずとも、そんな確信が私の中にあったんだ。


 たぶん、私が彼を放っておけないと思う最たる理由は、彼が私と同類だと思ったからだ。


 ミラン様(この人)は、強がりなんだ。

 心の裡なんてものは、必要最低限しか打ち明けてはくれなくて、何もかもを一人で抱え込んでしまう。


 〝冷酷公爵〟、なんて呼び名が付いたキッカケというのも、多分その性格に起因していたんだと思った。


「ミラン様」

「なんだ?」


 不敬だとか、失礼だとか、もう何もかもが今更。だったら、ここで何もかも打ち明けてぶちまけちゃえ。


 そう思ったから私は、


「もし……もし私が、人の心の声を聞く事が出来る、と言ったら信じてくれますか」


 明言はしなかったけど、己の秘密をそれとなく言う事にした。


「心の声、か」


 冗談の類であると取り合わないのではなく、ミラン様は私のその妄言としか思えない発言に、ちゃんと取り合ってくれているようであった。


 やがて。


「それじゃあ、試しに俺の秘密を言ってみてくれないか。ちゃんと、心の中で打ち明けておくから」


 冗談であれば、冗談でもいい。

 このタイミングによる私の先の発言は、単にミラン様を心配していたが故の出まかせだったとも取れるもの。


 だからこそ、彼は微笑を唇のふちに浮かべながら、私にそう問い掛けていたのだろう。


 程なく、聞こえて来る心の声。



 ————俺の余命は、長くても後5年しかない。



 その内容というものは、まごう事なき、彼の秘密であった。


 ……でも、私は馬鹿正直に、聞こえたその声を言葉に変える気はなかった。

 私がミラン様に節介を焼こうと思ったキッカケではあるけれど、一番の理由はそれとは違うものであったから。


 だか、ら————。



「人一倍、強がっちゃうところだと思います」



 聞こえた心の声に背を向けて、私はそう答えた。


「———————」


 ミラン様は、やや大きく目を見開いて驚いているようであった。

 でも、その変化も次第に収まってゆく。


(……強ち、間違いでもないか)


 苦笑いをするかのような、そんな心の声を聞きながら、


「……確かに、シェリア嬢は人の心の声が聞こえているのかもしれないな」


 冗談半分のような調子で、肯定をした。

 少し困った彼の表情を目にしながら————私は初めて悪くないと思えた。


 まだ、数週間程度の付き合い。

 でも、弱音なんて一切吐いてくれなくて、自己利益は二の次。何もかも抱え込んじゃうような、そんな人の力に少しでもなれた気がして、嬉しかったんだ。


 忌み嫌っていた筈の〝心の声を聞く能力(この才能)〟が悪くないと、初めてそう思えたんだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきありがとうございました。続きが気になるお話ですね。二人が幸せになるところが読めたら嬉しいです。
[一言] 続きが読みたいです。面白かったし、2人のその後が気になります。「……確かに、シェリア嬢は人の心の声が聞こえているのかもしれないな」が、その後の2人の良好な関係を築くのを見せてくれた気がします…
[一言] ミラン様、やっぱり死んじゃうんですかね。死なないといいな。ってか5年もあるんだから愛して愛して子供もたくさん作って奥さんを寂しくないように、できないのかな。やっぱり。続きが読みたいです。
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