32.火花と炎花
結局老人が目を覚ました後、ボロボロ涙と鼻水が止まらなくなってしまい、刺激を洗い流そうと止める間も無くその場から居なくなってしまいのだ。
一瞬嗅がせただけでそんな反応になるとは思っていなかったイアンは唖然と見送ってしまった。
どうやら四年の間一度も開けなかったせいで更に匂いが濃縮されていたらしく軽く嗅いだだけでも酷い事になったらしい。
なら誰か別の人を寄越してさっさと撮って貰おうとしたが、そんな時に限って夜遅いのに受付は混んで交渉が出来なかった。
待たされてしまったイアンの怒りは最高潮になっていた。
「くそっ、こんな所に長居したく無いのに」
「ワン」
「にゃー」
「薬使った俺のせい?職務怠慢していた奴のせいだっ」
「お待たせ致しました」
そんなイアン達の元に漸く先程の老人がやって来た。
老人は椅子にイアンを座らせるとカメラの準備を進めながら世間話をして来る。
「こんな時間に更新とは忙しいんですね」
「…まぁ」
「私も昔は冒険者でダンジョンに行ってたんですよ」
「…はぁ」
適当な相槌を打つがイアンは目の前の老人に怯えていた。
刺激を洗い流す為に顔を洗った時に服が濡れたのか、さっきまでダボダボの服からピッタリした服に着替えていた。
だから分からなかったが、この老人がまさかムッキムキだと思わなかった。
老人が戻って来た時、怒りの勢いで文句の一つでも言おうとしたイアンだったが、老人の体格を見た瞬間スッと意気込みが落ち込んだ。
こんな老人に気付け薬を嗅がせてしまった。その事に怯えたイアンは終わるまで無言でいようと決めるも、向こうから話かけられてしまう。
無視したら何されるか分からないと思ったイアンは曖昧に返事をしていた。
早く終われと思っても老人は話がしたいのかゆっくり準備しながら世間話を続ける。
「それで、」
「トニーさん!まだですか!」
「おっと、そうだった」
受付のリリアンが声を掛けて来た事により老人トニーの世間話が漸く終わった。
リリアンに泣きたくなるくらい感謝するイアンだった。
「準備完了。では、その麦わら帽子取って下さい」
「ぁ、はい」
取りたくは無かった麦わら帽子を渋々取って足元にいたポチとタマに渡す。
ふとトニーがイアンをジッと見ているのに気付く。
「あ、の…?」
「ぼそ」
「は?」
何か呟いた気がして聞き返すが、笑うだけで急に写真を撮り始めた。
「ちょっ⁉︎」
「ほら、笑って笑って」
イアンは驚愕しながら止めようとするが老人は止まらず、仕方なくカシャカシャ音を立てるカメラに早く終わらせようと引き攣った笑顔を向ける。
「もぉ…止めて、下さい」
「おっと」
結局一分間いろんな方向からずっとシャッター音が止まず、流石に声を掛けて止めてもらう。イアンは失敗も入れて二、三枚で済むと思っていたせいで気疲れてしまった。
癒されようとポチとタマから麦わら帽子を受け取り、二匹を抱きしめる。
そんなイアンにトニーが申し訳なさそうに近付く。
「申し訳ない、イアンさん。これで撮影終了です」
そう言うと再び受付に行くように指示してイアンは麦わら帽子を深く被り直すとタマを定位置に置き、ポチを抱き抱えて歩き出す。
リリアンの元へ行くと目の前の椅子に座るようイアンを促す。リリアンは一度席を外すと新しいギルドカードを持って戻って来た。
「イアンさんお待たせいたしました。こちら新しいカードになります」
「…ありがとうございます」
カードを受け取るとイアンはさっさと帰ろうと立ち上がり、扉に向かって歩き出す。
すると前から荷物を持った少女が歩いて来るがイアンは避ける様子も無い。
急いでいたせいで注意散漫、麦わら帽子で視界不良だったイアンは歩いて来る人に気付かず、ポチとタマが止める暇も無くぶつかってしまった。
「きゃっ」
「わっ」
目の前の少女は手に持っていた物を床に落としてしまった。イアンの方も思わずポチを離してしまったが、ポチは綺麗に着地に成功する。
「す、すみませんっ」
イアンは慌てて落ちた物を拾おうとしゃがむ。無地の表紙の表紙の冊子が数冊、ザルとそこに入っていたであろう植物火花が辺りに散らばっていた。
ザルに火花を入れようと掴んで、イアンはある事に気付いた。
「(あれ…火花だけじゃ無い?)」
イアンの家の庭にも生えている火花は薬の材料にされる植物で、花から根っこまで使える万能植物と薬師界隈では重宝されている。
全体が薄い赤い色をしており、花が咲く時期になると花に近い葉が真っ赤に色づく。
ダンジョン内外にどちらにも自生しており、見つけ易く分かりやすい植物でもある為、駆け出し冒険者のクエストや薬師初心者の収穫の練習としてはもってこいだ。
但し、それは花が咲いている物を収穫する時に限る。
炎花と呼ばれる火花と似た性質を持ち、花が無い頃の見た目が瓜二つで素人では見分けるのが困難な植物がダンジョン内外で存在するからだ。
炎花は花が咲く頃になると全体が真っ赤に色付くので、全体か花の周りかで炎花か火花か見分ける事が簡単に出来る。
しかし、ダンジョンは何処かしらでは咲いている状態の物が存在するが、ダンジョンの外だと四の月から五の月の中旬までしか咲かない。
性質が似ているならどちらを使っても良いと考えるが、炎花の方が効果が強すぎて許容摂取量を超えてしまう事があるからだ。
それに強い薬を一回飲むより、少し抑えて身体に負担を減らすように徐々に飲む事を薬師は最良だと考えている為でもある。
そして今の時期、ダンジョン外の物は花が咲いていない。それでも必要になり収穫して来たのであろう目の前の火花と炎花が混ざって落ちていた。
「(もしかして、分けてあったのに俺が落としたせいか)」
しまったと思いながら、まだ分かる物で良かったと仕分けしていく。
火花と炎花の見分ける方法はもう一つ存在するからだ。
根っこと茎の境目辺りに小さな突起物があるか無いかを見れば良いのだ。小さくて見逃される事が多々ある為、初心者には難しいとされる。
麦わら帽子を普通の位置で被り直し、視界良好になると作業効率が一段と良くなり、量も少なめだったのが幸いして直ぐ終わる事が出来た。
「すみませんでした」
そう言って混ざらないように分入れたカゴを目の前の少女に渡す。
それなのに何故か少女は受け取らない。
不思議に思って下気味にしていた顔を上げる。少女は驚きの表情をしてイアンを見て固まっていた。
イアンも少女の顔を見て驚愕し、折角分入れたカゴを再び床に落としてしまう。
「シ…エラ」
目の前に居たのはイアンが父親と喧嘩別れした起因になったイアンの妹、シエラだった。