英雄となった幼なじみに婚約破棄された見習い聖女は、白い花を胸に抱いて追放される
「カーラ、きみとの婚約を破棄させてもらう」
北の魔王を倒し、救国の英雄となったアルトが冷たい声で告げる。
その隣には、第一王女にして高位聖女であるイライザ姫が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っていた。
国に結界を張り、魔物たちの侵入を防ぐという重要な役割を果たしたイライザは、身分だけではなく実力に美貌も兼ね備えた、完璧な姫との評判だ。
平民出身の見習い聖女に過ぎないカーラは、黙って立ち尽くすことしかできない。
もともとアルトとカーラは共に平民で、同じ孤児院で育った幼なじみだった。
二人は聖なる力を認められ、アルトは勇者候補として、カーラは見習い聖女として城に仕えることとなった。
共に励まし合い、愛を育んできたのだ。
やがて北の魔王が目覚め、アルトが勇者の一人として討伐に旅立つこととなったとき、人々は末席の勇者になど期待していなかった。
カーラも、本当は危険なことなどしないでほしかった。
だが、アルトはカーラに花を捧げて求婚し、自分を信じて欲しいと言ったのだ。
涙ながらに頷き、それからカーラは毎日彼の無事を願って祈りを捧げてきた。
そしてとうとう、アルトは北の魔王を討伐したのだ。
すると、アルトは英雄として祭り上げられ、ただの見習い聖女でしかないカーラには遠い存在となってしまった。
二人で会うことも減っていき、イライザ姫との噂も流れるようになった。
結婚の約束など、夢の出来事だったのだろうかと思えてきた頃に、このアルトからの婚約破棄だ。
来たるべきときが来てしまったのかと、カーラは愕然とする。
「そもそも、あなたごときが彼の婚約者だったというのが、おかしな話ですのよ。身の程をわきまえなさいな」
豪奢な深紅のドレスを纏い、イライザは高慢に言い放つ。
そのドレスはカーラが一生働いたところで手が届かないだろう、高価な品だ。
今や救国の英雄となったアルトの隣には、カーラのようなみすぼらしい娘など、不釣り合いだろう。
「僕の婚約者だったきみを見るのは、姫が不快なことだろう。だから、悪いけれどどこか遠くに行ってくれないか」
そう言って、アルトは袋をカーラに向かって放り投げる。
床に落ちた袋からは、いくつもの金貨がこぼれ落ちた。
手切れ金で追放ということか。カーラは悔しさと情けなさで、涙があふれそうになってしまう。
袋を叩き返してやろうかと思い、床に屈んだところで、ふとカーラは手を止めた。
目に映るものが、アルトの気持ちを表しているのだと、わかってしまったのだ。
カーラは胸に渦巻く怒りをぐっと飲み込み、袋をそっと拾い上げた。
「……承知いたしました。私は北の果て、辺境の聖堂に身を寄せて、祈りを捧げたいと存じます」
俯きながら、カーラは全てを受け入れる。
決して離さないというように、大切に袋を胸に抱く。
「まあ、賢いこと。もっとも、わたくしでしたら、愛をお金に換算するなんてごめんですわ。所詮、その程度の想いだったということなのかしら。それとも、性根が娼婦のごとく卑しいだけかしら。まあ、どうでもよいわ。さっさと消えなさい」
イライザが虫を払うように手を振る。
一礼すると、カーラは袋を抱えながら背を向けて立ち去っていった。
北の果てにある、辺境の聖堂でカーラは祈りを捧げて過ごしていた。
北の魔王が現れたときに一度放棄されているだけあって、打ち捨てられたみすぼらしい聖堂だ。
麓の村では人々が元の暮らしに戻りつつあったが、わざわざ祈りを捧げに来るような余裕はないようで、訪れる人はほぼいない。
それでも時折やってくる行商人が、王都の噂を持ってくる。
救国の英雄アルトと、イライザ姫の結婚式がもうじき行われるらしい。
大きな窓からの月明かりを頼りに、カーラは代わり映えのしない今日の出来事を日記に記すと、白い押し花のしおりを挟む。
アルトから求婚されたとき、捧げられた花だ。
そしてもうひとつ、同じ花のしおりが日記の最初のページに挟まれていた。
そのとき、窓から差し込む月明かりが途絶えた。
「カーラ……遅くなってすまなかった。迎えに来たよ」
月明かりを遮ったのは、アルトだった。
かつてと同じ、優しい微笑みを浮かべてカーラに手を差し出している。
「アルト……」
カーラは感極まり、涙が頬を伝っていく。
「あんなことをしてしまって、本当に悪かった。姫がきみを始末しようとしていたけれど、あの時はまだ準備ができていなくて、ああするしかなかったんだ。それでも、きみを傷つけてしまったことは申し訳ない」
「大丈夫……わかっていたから……あの袋の中身を見たとき、あなたの気持ちがわかったから……」
金貨の詰まった袋の中には、幾重にも重なる小さな花びらを持つ白い花が入っていたのだ。
求婚のときに捧げられた花と同じものだった。
『私を信じてください』という花言葉があるのだとは、そのときに聞いた話だ。
カーラはその花を見たとき、婚約破棄がアルトの本心ではないのだと気づいた。
何か理由があって、王都からカーラを遠ざけたいのだろうとも察したので、カーラは婚約破棄を受け入れるふりをして、辺境の聖堂にやってきたのだ。
邪魔なカーラをいっそ殺してしまおうかと画策していたイライザも、カーラが金貨を受け取って去っていったので、わざわざ手を下すことはないと放置した。
それだけの仕打ちをしたのだから、アルトもすっかりカーラを諦めたのだろうとイライザは安心して、その隙にアルトは準備を進めたのだ。
「北の魔王を討伐したとき、北方王国の王子とも知り合ってね。ぜひ二人で来てくれと言っているから、そこで結婚式を挙げて一緒に暮らそう」
「うん……行こう……」
差し出された手を取り、カーラは泣きながら笑う。
あの日から止まってしまった二人の時間が動き出していくのを、カーラは感じていた。
*
アルトとカーラは、北方王国にて結婚して夫婦となった。
勇者と聖女の夫婦は、それからは北方王国の平和に貢献していくこととなる。
カーラは見習い聖女ではあったが、それは平民出身のためだった。
実際には、魔王討伐時も国に結界を張り、陰ながら勇者を支えたのは、見習い聖女に過ぎないカーラだったのだ。
イライザが高位聖女なのは王女という身分のためで、実際の力はたいしたことがない。彼女は、カーラの手柄を横取りしていたのだった。
勇者と本当の聖女を失った国は、その後魔物の襲撃を防ぎきれず、窮地に陥った。
北の魔王を討伐した際には、見事な結界で国を守っていたはずのイライザが、どうしてしまったのかと疑問の声が上がる。
しかし、元からイライザにそのような力は無い。
やがて、イライザが見習い聖女の手柄を横取りしていたことが暴露される。
しかも勇者と聖女を失ったのがイライザの横恋慕のせいであることまで広く知れ渡り、イライザへの非難はとどまるところを知らなかった。
結局、北方王国に助けを求めることとなり、イライザを始めとした王族は処断されて、北方王国に吸収されることになったのだった。