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妄想論

ざまぁの流行

作者: とびうお君

 何故ざまぁがなろうで流行してるか?で世相とか好みについていろいろあるが、私はそう思わない。天邪鬼のひねくれものじゃなくて、根本的にものの見方が違うと思う。積極的な選択と言うよりもなんとなくな曖昧な消去法こそがざまぁが流行した原因じゃないか?と私は見ている。


 そもそも多数派の選択はなんとなく良く分からない理由の消去法が多いんだ。パーティー追放ものも多くのケースは元パーティーメンバーにざまぁする流れが多い。なろうはざまぁだらけだと思う。そこで重要な前提をもう1つ書いておく。私はざまぁ自体は勧善懲悪のさらに明確な縛りの入った形にすぎないと見ている。


 悪い奴が出てきて正義の味方が成敗するじゃ単純で幼稚に見えてしまう。そこでワンポイント追加されるのがざまぁとなる。悪い奴=自分に対して不利益なことをする相手を話の流れの中で立場を逆転させて貶める流れになる。これ見ればわかるが、勧善懲悪の流れと全く変わらない。違いは成敗側に正義と悪の対立が必要なくなる。個人的な被害者による加害者への仕返しで話が完結する。


 ただしある程度共感が得られるように相手側を悪く描くことは重要になる。例えば悪い奴が成敗されて、さらにし返してざまぁしても誰も喜ばない。善悪を無視するならこれもろ臥薪嘗胆の故事と同じストーリーになる。成敗される側のさらなる逆転劇を読者は望んでない。


 そうなると分かってくるのは結局なろうはざまぁが流行してると言うより、その元である勧善懲悪が定番化してると言った方がいい。主題の根本は実はそっちにある。ざまぁは特徴的だし、勧善懲悪に対して個性や鋭さがあるから差別化として選びたがるが、根本的には悪党が出てきて主人公がやっつけるタイプの話の方がざまぁをその一種として含めると普通に多い。


 ざまぁが何故流行したか?の問いは、勧善懲悪が何故定番化してるか?の問いに置き換えられる。ここまでくると私の見方が独特なのだがひねくれものだからじゃないのが分かってくる。誰もがざまぁを勧善懲悪の一種として扱ってないから私のような視点にならないだけ。


 多くの人が私のような思考にならないのは、ざまぁの特別性に意味があると考えて受け手の好みを探ろうとするからだ。私は最初からそんな理由でざまぁが流行したと見てない。なろうで定番化してる勧善懲悪の差別化で目立つ存在になっただけだと見ている。


 だから私はざまぁから鬱憤をためたストレスフルな社会と言う世相の話をしたくはない。それは常にどんな時代もあって特に現代らしい物語だと思えないし、かつそのくせなんで異世界ファンタジーなの?って矛盾もある。主人公が義憤にかられるような動機じゃなくて、ごくごく個人的な恨みで仕返しするって方が共感がリアルでしょ?ってだけだと見ている。


 世相の反映よりも、私は創作の歴史が独立してありそっちの方が大きいと見ている。以前も書いたが、時代性と言うのは創作の独立した歴史と実際の社会の反映という2つの流れがあり、これらは関係ない物になる。まれに創作の歴史に社会の反映が絡んで進化していくが結局は創作の歴史って大きな流れの一部でしかない。基本的にはこれら2つは関係がない。


 なろうにおける勧善懲悪の定番化は読者が創作に飽きてるからだと見ている。なろうファンタジーは基本漫画アニメ物語慣れしてるおじさんのための物語であり若者を中心とした考えは特に必要がない。


 ただこれらに若者を絡めることもできる。根本的にアニメ漫画は複雑で頭を使う物語はあまり多数派は好まない。そしてそれは実写のドラマなども近い傾向がある。当然アニメ漫画よりは複雑で面倒な物語は多くなるが傾向としてはある。そういった方向性から自然と単純で面白い物語ばかりが選択される傾向がある。


 それが頭を使わない若者の好みと結果論的に合致する可能性は十分にある。そもそも根本が子供向けのアニメ漫画の物語がベースなのだから当たり前と言えば当たり前。だが若者だけならもっと発展するかもしれない。そこにブレーキをかけるのが漫画アニメ物語に飽きてしまった世代が中心になってる点。


 消去法的に数多くの物語のパターンの中で残ったものを選ぶと勧善懲悪になってしまったとなる。


 以前は作者の技量不足と見てた。実際魔法科を見ているとなんだこの素人みたいな話つくりはと思っていた。だが魔法科はそうだったかもしれないが、その後の展開はどうも違うと感じている。初期のころの稚拙なストーリー作りが発展していくか?と言うと真逆で実際はより初期のころと似たような物語ばかりが増える結果になった。


 展開の刺激がないわけじゃない、ただ主人公が大活躍って分かりやすいなろう好みの部分を外してまで求められる展開の刺激はない。その点は好みと言えば好みになる。主人公が大活躍って点ではおそらく作者が意図したものじゃなくて魔法科はきちんとそこは踏襲している。後の人たちはなんだこれでいいんだと分かったから発展しなかったとなる。


 好みは好みだけど、ざまぁ展開に好みがあるわけじゃないって話になる。


 頭をあまり使わない話しか選択肢がない。頭をあまり使わない漫画アニメ物語の縛りがある中の展開に基本飽きてる読者向け。飽きてる中で消去法で残ったのが勧善懲悪、その中で差別化されたざまぁ展開が選ばれている。


 こんな感じがなろうでざまぁ展開が流行している原因だと見ている。何故なろうが特殊なのか?と言うと、アニメ漫画慣れしてる飽きてるおじさん読者の選択眼だからになる。私はなろうはマニアックだと見てて、その1つに異世界ファンタジーの偏りがあると見ている。なろうは多数派の傾向とマニアの傾向を併せ持つ奇妙な場所で、そのどちらも分かってないと紐解けないと見ている。


 分かりやすく言うといわゆるオタクなんだと思う。女性向けも似た傾向があるがここまで単純じゃないのでそれらは対象外としての話になる。


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