fifth.
中学生活を送っている頃には、きっと想像できなかっただろう。
十人以上が集まるカラオケボックスで、初対面が殆ど。しかも隣には、二度と顔も見たくない戸田夏樹の存在。
「だんだん心ひかーれーてーくー自分でも不思議なくーらーいーにー!」
その夏樹の隣で、元気でパワフルに歌っている彼女、川崎結名という少女がいる。日本ではトップレベルの人気アニメとはいえ、女子が男子向けアニメの主題歌を歌っている。それもまだ生まれていない頃に放映されているものだ。
喋り方、夏樹を振り回す言動、謎の選曲で、彼女は掴み所がない。
もし過去の京夜に会えるとすれば、中学時代の彼に高校二年にはこういうイベントが起こるから、相当覚悟をして日々を過ごして欲しい。出来たらこんな所に参加しなくても良いように将来の夢を見つけて頑張って欲しい。 と伝えるべきだろう。
そして気になるのは、夏樹と結名の関係性だ。彼女か友達か、未だ判断しかねなかった。
京夜としても興味深いところだが、やはり彼に話しかけるのは癪だった。出来る限り話さずしてやり過ごしたかった。
ベストは彼女が話しかけてきたときだろう。
それは歌い終わるまで待つしかない。その間、京夜は他の参加者を見渡した。
歌声を聞いている者、話を一緒にしている者、推理小説を読んでいる者、と様々だ。
そして、輪には入れなさそうだと悟った。推理小説はシャーロックホームズの何かを作品を一回、読書感想文を書くためだけに読んだのみ、読んでいる人の背表紙を見た限り、全く知らない作家だ。
零はなんで、こんな所に寄越したのだろうか。とてもじゃないが、推理小説の話にはついて行けそうにもない、ましてや話から作品を作るためのヒントになるとは思えない。
それとも、零が噂した人物に合わせることだけが目的だったのだろうか。
「ご静聴まことにありあとやしたぁー!」
尊敬語と崩し敬語を織り交ぜた、違和感が有り余る発言に拍手と苦笑いが混ざった。
これでいて、どうやって夏樹と出会えるのか謎が深まるばかりだった。
歌い終えた結名が席に座り、おもむろに京夜を見た。
「なつ君と京夜君って仲良いんだねー!」
一体彼女はどこを見てそういう判断に至ったのだろうか。夏樹と再会してから今に至るまで、そんな状況には一度たりとなっていない。
代わりに、ぽかんと口を開けるしか出来なかった。
「真に受けるな、結名のクソつまらねえ冗談だ」
「あ、そう……」
そして、人生で初めてであろう夏樹との自然な会話が意図せず成立した。
「おま、くっつくな!」
怒ったような口調で夏樹は結名を咎めていた。見ると、彼の腕に彼女の小柄な身体が密着されている。
何となく好機と捉え、京夜はあの質問をぶつけた。
「お前等二人って、付き合ってるのか」
「付き合ってねえ殺すぞ!」
相変わらず、夏樹は誰に対しても口が悪い。
しかし、ここまで飼い慣らされている彼を見てしまって、京夜は今更腹が立たなかった。
付き合ってないことで、友人程度なのだろうと分かった。しかし、友人が腕にしがみつくような真似をするのだろうかと疑問に思った。
「知・り・た・い?」
「いやいいです」
即答で拒否した。顔に似合わない誘惑するような問いで、最早恐怖すら覚える。
落ち着きを取り戻すために、ドリンクバーで入れてきた烏龍茶を口に含んだ。
「私はね-、なつ君のこと大好きなんだけど、全然襲ってくれないの」
飲み物を勢いよく吹き出した。まるでアニメでよくあるように。
この女子は、言語を選んではくれない。
戸田を見る限り、わなわなと震えている。相当怒っていそうだ。
「誰がお前みたいな女襲うか!」
「でもでもっ、襲えるなら襲いたいでしょ?」
「襲わねえよ馬鹿野郎! 後場所を弁えろ!」
「へえー、弁えたら犯してくれるんだー」
「お、前って、奴はよお……!」
零した液体を拭きながら、二人の様子を伺っていた。
それにしても言い争いの場所がカラオケボックスで、歌っている最中で良かったと心底思う。お陰で結名の破廉恥な会話は殆どかき消されている。前の人も首を傾げているから、喧嘩に見えているだけできっと何を話しているかまでは分かっていない。
「横の人達、何を揉めているんでしょうか?」
右隣の人物には気付かれていたようだが、いつものことなので気にしないでくださいと伝える。吹き出したのを見て、一緒に拭いてもらうことになった。
「あなたはこういうオフ会、良く来られるんですか?」
「あー……いえ、自分は初めて、というより結構強制的に行けって友達に言われて」
「そうなんですね、高校生でしたっけ? 服装、若くて素敵ですね」
「そうですか……どうも」
拭いて貰った縁もあってか、手伝って貰った人と話し始めることになった。
右隣に座っている彼は、京夜よりもはるかに大人で、落ち着きのある人だった。
お世辞も含まれているだろうが、爽やかに褒められる事に面をくらった。
「推理小説は何がお好きなのですか?」
「いや、そこまで――」
「なるほど、作者で選んでいるのですかね、アーサーとかはお好きですか?」
「あ、いや……すいません、余り推理作家のことも知らないし、本当に昔読書感想文を書くためだけに、シャーロックホームズの本を一回読んだきりで」
推理小説の歴史を聞いて、彼は失笑していた。
無理もなかった、このような専門的なオフ会で、その一冊しか読んでいないのは可笑しな話だ。
「失礼しました、少し意地悪な事を言ったのですが、あなたは本当に強制的に連れられてきたんですね」
「……と言うと?」
「アーサーとは、アーサー・コナン・ドイルのことです」
未だに要領を得られず、思わず首を捻ってしまう。
「シャーロックホームズの作者ですよ」
その様子を見て、意地悪だった理由を教えて貰う。
なるほどと思った、具体的な作者の名前を出したのに、知らないと言うばかりかその作者の本を読んでいるのだから笑うのも当然だった。
「シャーロックホームズの作品は、シャーロキアンと呼ばれる熱狂的なファンがいるぐらい素晴らしい作品です」
私も全部読みました、と付け加えて、にこやかに笑っていた。
作者が没して、新作はもう二度と出ないにも関わらず、毎年シャーロックホームズの作品についての論文が出される程だという。
それは推理ネタ、ホームズの出身大学から、普通なら関心を寄せない犬にまで考察が繰り広げられているようだ。京夜には一生ついて行けない話題だった。
「それにしても、どうして無理矢理誘われたんでしょうね」
「……俺、小説書いているんで、良い勉強になるだろうと友達に言われたからなんです」
「なるほど……その友達は、とてつもなく良いことをしましたね」
そういって京夜の奥にいる二人を彼は見やった。
振り向くと、あの二人はまだ争っている。というよりかは、結名があしらっていると言う方が正しいかも知れない。
――零がいっていたやばい奴って、やっぱりあの子のことか。
今話している人も、二人の知り合いなのだろうか。
やがて彼は、目を細めつつ呟いた。
「私も、もっと早くに彼女と出会ってみたかったものです。そうすれば――」
「ねー志嶋さーん! 一緒に歌いましょー!」
話の最中に、結名の横槍が入った。
志嶋さん、と言う人らしい。名前を呼んで気さくに誘っている辺り知り合いなのだろう。
「はいはい、分かりましたよ。」
「はいは一回!」
「はい、失礼しました」
天真爛漫な女子相手にも、丁寧な仕草と敬語。なんて聖人だろうかと思わずにいられなかった。
左を見ると、げっそりとした夏樹の姿が映された。こっぴどくやられたようだ。
片や結名はまだまだ元気に歌っている。
それにしても、儚げに話していた志嶋さんの話の続きが聞けていたら、一体何が語られていたのだろうか。
京夜は疲れ切った戸田の横で、何をすることもなく、ただ歌っている二人の姿をずっと見ていた。
「では、またやろうと思いますので、予定組んでおきます。お疲れ様でしたー」
幹事の一声で解散となり、ようやく終わった初めてのオフ会。京夜はやりきった感を表すかのように、グンと背伸びをした。
すると、伸びきった背中を、ポンと叩かれる。
「お疲れ様でした」
志嶋さんだった。
あの後彼は結名に一生捕まっていて、話すことが叶わないままだった。
「お疲れ様です、楽しかったです」
「それはよかった。そういえば、君のお名前を聞いていませんでしたね」
そういや、自分の名前を一切言っていなかったっけ。
「月影京夜って言います。また機会があったら、是非色々教えてください」
「分かりました、京夜君。では、私は仕事があるのでこれで失礼しますね」
「今からですか?」
「えぇ、公務員というのは大変な仕事です」
笑顔を崩さず、彼はその場を去って行った。
「志嶋さーん! また仕事くださいねー!」
結名の叫び声の返事代わりに振り向かず手を振っている。
公務員なのに今から仕事か。警察か、それとも消防か?
そう考えていたら、後ろからぐいっと腕を引っ張られた。
「京夜君も、今から一緒にご飯食べようよ!」
「え、ああ、まあいいけど」
今日は休みだから、寮の飯は出ない。特に用意しているものもない。
そう返事をすると、露骨に嫌そうな人物が一人いた。
「なっちゃん、そんな顔すると私にモテないよ!?」
「だから、なっちゃんは辞めろって……しかもなんでお前に……」
ツッコミ疲れをしているのがよく伝わってくる、彼女のテンションは相変わらずだ。
参加していた人に挨拶を終えて、適当なファミレスに入る。
「そういえば、京夜君は志嶋さんと何を話してたんだい? お姉さんに言ってごらんなさい」
「……同級生だろうが」
最後の力を振り絞るように、戸田は彼女に突っ込んでいた。
悪びれもせず、えへへと笑う彼女。
「シャーロックホームズについて、色々なことを教えて貰ってた」
「へー、京夜君シャーロキアンなんだ」
「いや全然、それどころか推理小説は一冊しか読んだことない。今日も勉強になるからって言われて無理矢理行かされたんだよ」
そう言って苦笑いする。
そうなんだーと笑っている彼女の横で、戸田の額がピクッと動いていた。
「お前、そういう流れに任せるの、本当に変わってねえな、人生の適当っぷり」
「……んだと?」
言い争いなんて起きそうにない、と思っていたが。小さな種火がまた発端になりそうだ。
いつの間にか、戸田といがみ合っていた。
事実だけど、本当にこいつは、言葉の選び方を知らない。結名のように疲れるも楽しい言葉選びとは正反対だ。
「京夜君も、なっちゃんも、めーっ! だよ!」
その状況を誤魔化すようにまるで子供を扱うような注意の仕方。
どうも調子が狂う、彼女の優しさというのも見えて、突発的に出た怒りが失せていく。
だが戸田は違うようだった。
「お前もお前だよ、今日ずっとうるせえし、関係ねえ癖に入ってくんじゃねえよ!」
ぴしっと言われて、彼女のベタベタした動きが止まる。今までずっとヘラヘラしていた彼女は真顔になっていた。
「うるさいなあ」
低く尖った声が、戸田を、対象じゃない京夜をも劈いた。
今までの天真爛漫さが打って変わって、彼女の目はつり上がっていた。
「そんな人の悪口しか言えないから、人の悪いところしか見えないから。いつまで経っても万年二位、わたしの負け犬でしかないんだよ」
火に油を注ぐというのは、こういうことだろうか。
今まででは考えられない、結名のどすの利いた低い声。
戸田が今まで言われたことのないような悪口が、簡単に出てきた。次元の違いを感じて、血が凍るような感覚だった。
戸田も言い返そうとしたのだろう、しかし相手が悪すぎる。それは初めて彼女に会った京夜ですら分かった。
やがて、戸田は項垂れるようにして――
「……悪かった」
これが、京夜が人生で聞く初めての夏樹からの謝罪だった。
どんなにこの男が悪かったときでも、謝罪を聞く事なんて有り得なかったのに。
「よく言えました、なっちゃんは偉いなあ!」
謝ってからは一瞬で、喜色満面になっていた。
よしよしと犬を撫で回すかのようにされるがまま、なっちゃんは辞めろ、が聞こえてきそうだ。
取り繕うかのように、さっき聞こえた順位について聞いてみた。少し前まで恐怖に満ち溢れていたから、震え気味に。
「そ、そういえば、結名さんが学年一位だったりするのか?」
「結名さんなんて、他人行儀なお方。ゆいって呼んで?」
「……結名が一位なんですか」
震わされたのが、馬鹿らしくなってきた。
情けなく思えて、無視して問いただす。
「そだよー、私それなりに頭良いから日本一位なんだー!」
「そうなんだ……は?」
この女子高生、とんでもないことをさらりと言ってのけた気がする。
「全国模試、あれひねりがなくて面白くないんだよね」
撫で回すのをやめて、しんみりとした口調になった。
簡単に言ってのけているが、全然それっぽく聞こえない。
「でもね、日本で一番ってことは、世界でも一番かもしれないってことでしょ? そう考えると夢があるよね」
さも当たり前のことで、声を弾ませていた。
撫でられていた夏樹が解放されて、でかい溜息をつく。
「こいつ、IQ220あるんだよ、ムカつくし、俺の学校全員が手に負えない」
「……は、はあ」
日本一位、全国模試がつまらない、極めつけはIQ220――
現実では到底縁のない言群に、頭がついていかない。
京夜も認めたくはなかったが、隣にいる夏樹も相当頭が良い。東大に受かるとしたらあいつだって、常に噂されていた物だった。
そんな夏樹にも、到底差を埋められない相手がいると言うことが到底信じられることではなかった。
やはり彼女が、人の尊厳を踏みにじる。付け加えれば無意識にそれをやってしまう女子高生、なのだろうか。
「京夜君も簡単な点の取り方知りたかったら教えてあげるよ!」
聞いてしまえば、本当に取れそうだ、しかし暢気な彼女から勉強を教わることを想像するだけで恐ろしくなってくる。
当たり前に、京夜が解けない難問を手間取るなんて変なの、なんて言いそうなのが容易に想像できた。
「いや……俺は芸術高校だから、範囲も少ないんだ、だから大丈夫」
「そうなの? 残念。折角二人っきりで熱い夜を過ごせると思ったのにー」
頬杖していた腕が滑り、頭を打ち付けた。
鈍い音が響く。痛すぎる。
「ハンバーグセット、ライスのお客様ー」
「……あ、はい、俺です」
突っ伏していた京夜を見て、店員は苦笑していた。
肉が焼かれる音が響き渡る。
――これを食べて、早々に別れよう。
早々に決意する。常識外、もしかしたら人外かもしれない存在と一緒にいては、自分の身も危うくなると思わされていた。
「オカカカケヨウネー」
衝撃の事実を聞いた後なのに、彼女は片言に喋りながらテーブルに付属していた胡麻をご飯の上に勝手にかけていた。
力が抜けてくる。もう何も言葉が出てこない、夏樹を見やって援護を求める。しかし奴はテーブルの上で手を組んで頭をもたれさせていた。
「えー、知らないの、今の台詞。可愛い女の子が言っているんだから見てよー」
「……はい、もう分かったから……勘弁してください」
終いには疲れすぎて泣きそうになってきた。
京夜は生涯、この出来事を、忘れたくても忘れられない重い出来事として思い出すのだろう。
胡麻の和の匂いを香らせながら、色々と諦めた。