fourth.
京夜には中学時代、因縁という名にふさわしい犬猿の仲の同級生がいた。
学年主席を飾るような頭の良さで、都会にあるとても大きな病院の院長の息子だ。そして当然のように医学部を目指していた。
ところが性格は荒々しく、他校との喧嘩は当たり前、起こした暴力事件は数知れず。
何より、京夜何一つ馬が合わなかった。
夢がない何も考えないお気楽野郎対たまたま親を継げばいいだけなのに偉そうにするクソ野郎、という言い分。
目を合わせば口喧嘩、酷いときには殴り合い、それを中学三年間、何度も繰り返していた。会う度に、お互いが気にくわなかった。
素行が原因で推薦は一切得られなかったが、結局各校の主席が集まるような高校に通っているらしい、それもその高校でトップクラス。
全てが上手くいっているその人物が、やはり嫌いだった。
だが、言い方はともかく言っていることは正しかった。腸が煮えくりかえる思いしかないけれど、喧嘩っ早い所と性格以外は間違っていなかった。
対して、京夜は嘘で作っている人生だと、認めざるを得なかった。
目覚めは最悪だった。
久しぶりに夢を見た。死ぬ寸前まで殴られ続けていた、なのに一つも抵抗しなかった。
普段だったら考えられない。余程恐怖に怯えさせられていたか、それとも自身に問題があったから抵抗出来なかったのか。
前者ではないと思っている。夢で見たとき、少しも怖いと思わなかった。
後者だったのだろうか。相手の顔が分からなかったから、推測のしようもない。
夢故の曖昧さだった。
――あれ?
頬に違和感を覚えて拭うと、一筋の涙が零れていたことを知る。
やっぱり悲しかったのだろう。薄ら覚えている夢の中に、悲しくなる要素があったのだろうかと考える程度には、変な夢である。
時計は八時を示していた。
寮だから学校には近いが、急いで向かわないと朝礼に間に合わない。
そして朝食は寮の食堂で食べられるが、食べていては学校に遅れてしまう。
急いでシャワーを浴びて、髪を乾かす暇もないまま慌てて寮を出た。
――なんで慌てているんだ。
よく考えれば、京夜は遅刻を気にするような人間ではない。平気で途中から授業を抜けるにも関わらず、走って学校を目指している。
思慮を深めても、何故という疑問にはたどり着けないままだった。
激走した甲斐もあり、朝礼に間に合うことに成功した。
けれど大きな犠牲を払うことになった。
「おはよ、京夜君!」
呼吸を整えて、雑に鞄を置くと、右の席からあの声がした。
ゆっくり首を向くと、いつものように笑顔が眩しい女子がいた。
最大の難関、未織との挨拶を交わすイベントだ。
「あ、あぁ、よお夢さ」
「み・お・り!」
「……そんな厳しくなくてもいいだろ」
「だめ! 京夜君はその都度直さないと絶対苗字呼びになるもん!」
ぷくっと頬を膨らませて怒る未織に、ただたじろぐしかなかった。
その様子を見ていた、未織の前の席にいる女子が、肩をトントンと叩いていた。
「ねえねえ、未織ちゃん。月影君と仲いいの?」
「そうだよー! 同じ部活でもう仲良しなんだよー!」
ねーって、京夜に同意を求める。未織の中ではいつの間にか京夜と友人関係に発展していたらしい、最近やっと名前を呼ぶようになった程度、しかも半ば強制的であるにも関わらずだ。
そんなきっかけはその人物にとって知る由もなく。よかったね、なんて笑い合っていた。
「京夜君も、柚月ちゃんと話そうよー」
――下の名前、柚月っていうのか。
全員避けたいが故に、今初めて部活関係者以外の名前を知ることとなった。
京夜が下の名前で呼ぶことはまずない。苗字部分を知りたいところだったが、その前に恐ろしい沼に引きずり込まれてようとしている事実からどう避けるべきかを考えなければならない。
とても難関な出来事に巻き込まれようとしていた。
「えー、何話すのー?」
「うーん、京夜君小説書いてるし、普段見ている小説の話しよ?」
「え、すごい。月影君って小説書くんだ」
考える時間もなければ、そんな思いも通じることはなく。彼女達はすぐ会話を始めている。
朝礼が迫っている為、抜け出すことも出来ない。それに今外に出ようものなら、確実に未織に引き止められるだろう。
無駄なやり取りを増やす事に繋がり、面倒になってしまう。
どんなに考えを巡らせても、負けにしか進まないとついに悟った、諦めて大きな溜息をつきながら会話に参加することになった。
「一応、ほんの少ししか書いてないけど……」
「文が本当に面白いし、かっこいいんだよ!」
「へえー、私も見たいなあ」
「どうかなあ、京夜君は恥ずかしがり屋さんだしー?」
そう言って、二人一緒に視線を向けていた。京夜はその眼差しに耐えきれず、ふいっと逸らした。
――本当だ。
その時初めて、少なからず恥ずかしさを感じやすいのかも知れない事に気がついた。
そして、幼馴染じゃない、あまり交流がない人と過ごすときは、話し方もかなり違うことに気付かされる。
「ね!」
「確かに、月影君の意外な一面かも」
そうやってにこやかに進む女子の話について行けないまま、京夜の希望とも言える担任がやって来た。今日ばかりは、いつも疎ましい教師の存在を心から待っていた。
やっと解放される。そう思って席に戻った時、振り返りざまに未織が耳に顔を近づけた。
「ね、よかったら一緒にお昼食べよ……?」
そうやって、細い囁きをされる。吐息のような声に、身体が強張った。
今の数分ですら、京夜にとって気まずさを覚える時間だった。それよりも長い昼休みの時間を女子と過ごす事になれば、強張らせる筋肉も足りなくなるだろう。
「……絶対に断る」
「えぇー、いいでしょー」
また頬を膨らませて拗ねるように言っていたが、何としてでも阻止するべき事象だ。
昼休みになったら、何としてでも逃げようと心に固く誓った。
******
「うま……く……いった……」
未織が前の席に座っている友達と、疲れたなどと他愛もない会話をするその一瞬、飛び出るように教室を後にした。
後ろから未織が何か言っていたが、構うまいとして走って行った。
銀鏡高校には新校舎と、五年前までメインで使っていた旧校舎、それと京夜達が放課後過ごしている部室塔の三つがある。その中でも、旧校舎に忍んでおくという作戦に出た。万が一未織が友達と一緒に部室に来ようものなら逃げようがない。
旧校舎なら割と広い上に、隠れられる場所が多い。念には念を入れた。
適当な空き部屋で、埃っぽい机と椅子を払ってどっと座り込む。
「なんで……俺は、こんな……必死に」
突っ伏すようにして、疲れを少しでも取るように机に寝そべる。
未織に出会ってから、こんな風に調子を狂わせられていた。
本来であれば、適当に先生に呼ばれているとか、嘘を言って逃げれば良かった。
彼女の影響かもしれない、と考えた。
「……です」
教室の外で、誰かの声が聞こえてきた。声質的に、男女がそれぞれいるようだった。
京夜はほんの少し気になり、扉の近くまで行って耳を澄ませた。
「付き合ってください」
(あー……告白か)
その前に聞こえた言葉は、きっと想いを伝えていたのだろう。
あまり恋愛話に関心はないが、場面に遭遇すると流石に気恥ずかしい。
零と雪音が思いを伝え合った日も、こんな感じに緊張が流れていたのだろうか。
京夜はまだ、桃色づいた気持ちが芽生えたことはなかった。
やがて、嬉しそうな声が響いた。
成功したのだろうか。席に戻って、今度は頬杖をして物思いに耽る。
色恋沙汰どころか、将来も見えていない。
自分がどうなりたいのかも、よく分かっていない。
――あんな眩しい存在にはなれそうにない、あいつならともかく。
『諦めません!』
部員で出かけたときの、未織の言葉、情景が脳裏に映し出された。
何故、未織のことを思い出すのだろうか。
深く溜息をつきながら、時期に顔を支える手に熱が籠もっていった。
それを認めたくなくて、瞳を強く押し当てていた。
******
これほど悪夢だと思った日曜日は中々ない。京夜は命令されるかのように渡されたオフ会の待ち合わせ場所に向かっていた。
相変わらず気が重かった。普段なら絶対に行かない、初対面の人達と会う会というのもあって胃も締め付けるように痛くなってきた。
参加する旨の連絡をしたときに、前に部員同士で行った街の駅、アイドルグループのグッズ店の前で待ち合わせと聞いていたが――
有名である、アイドルグループのグッズ店を見つける。そして、明らかにそこには似使わないような、おとなしめの人達の集団があった。
推理小説を持っている人もいて、間違いないだろう。
確認もこめて、京夜はその内の一人に声をかける。
「すいません、推理小説オフってここであってますか?」
「……ああ、あってま――」
京夜と、話しかけた相手は時が止まったような感覚を得た。
見覚えしかない、何ならもう二度と見たくない顔が、出会うはずのない場所で再び相まみえたからだ。
「と……戸田、なんでここに……」
「おめえこそ、なんで――」
京夜と幾多の大喧嘩を繰り広げてきた、戸田夏樹がそこにいた。
奇跡的な再会にお互い絶句していると、その後ろからひょこっと、背が低めでショートカットの女の子が顔を出した。
「なっちゃん、お友達の人?」
「あ……、いや……」
その彼女が、夏樹の態度に首を傾げている。
――なっちゃん?
今までの記憶を辿っても、考えもつかないような呼び方で彼を呼ぶことにとてつもない違和感を覚えていた。
「……お前、そう呼ばれてんの?」
「ばっ……! おい結名! その呼び方は辞めろって言っただろ!」
喧嘩に喧嘩を重ねた、他人には怖がられる対象の存在。それが軽く呼ばれているのに心底驚いていた。
しかもその彼女は、悪びれもせずにえへへと笑っていた。
「もーしょうがないなーなつくんはー、照れ屋さんなんだねー!」
「照れてんじゃねえ! その呼び方は女々しいって言ってるんだ!」
「えー、なつくんは『なっちゃん』ってイメージだけどなあ」
「お前……ってやつは、本当に……!」
目をつり上げるように怒っても、簡単に受け流す。
長年言い争った夏樹の扱い方を熟知しているように見えて、最早言葉も出てこなかった。
「まあまあ、ところであなたは?」
急に呼ばれてハッと我に返った。
彼女は子犬が尻尾を振るときのような、好奇心をぶつけていた。
「あ、月影、京夜……です」
「じゃあ京夜くんだね、京夜君はかっこいい感じの名前だねー!」
そういってはしゃぐ彼女。
このはつらつな元気にやられてしまったのか、夏樹はオフ会の前だというのにがっくり肩を落としていた。
「私はね、川崎結名! 結名でもいいし、ゆいちゃんでもいいよー!」
「わ、わかった……」
気持ちが良いほどの満面の笑みを浮かべ、よろしくね! と自己紹介された。
いつも調子を狂わしてくる未織よりも、圧倒して潰してくるような存在感。
『人の尊厳を簡単にこけにするらしいぞ、俺も詳しくは知らないが』
(まさか……この子か?)
夏樹の尊厳が踏みにじられている事は、今までの流れを振り返って容易に予想できる。
「そろそろ行きますよー」
オフ会の幹事と思われる人物が、出発の合図をする。
もう既に京夜は、そして被害を一番被った夏樹も、体力を奪われてしまった。
そんなことは露知らず、結名は飄々と、京夜達の腕を掴んで歩き始めた。