second.
彼女の第一印象は笑顔が絶えない事。突然現れた自分を見てずっとにこやかにしている。
京夜とは真逆の存在、ましてや彼女の容姿に目を奪われているばかりだった。
彼女はニコニコしたまま、そっと自分に歩み寄ってくる。
その間に目が合い、瞬く間に釘付けになった。その綺麗な瞳から視線を逸らせない。
もし殺されるとするなら、今だろう。殺戮者は恐怖で被害者を縛り上げる。
しかし恐怖を感じてはいなかった。彼女の魅力だけで、行動権を剥奪されているような感触だ。
「月影君?」
ハッとした、もう既に目の前に彼女がいた。
数秒しか過ぎていないはずの時が数時間にも感じられた。魅入られてしまっていた。
それにしても、京夜には分からないことがあった。
「なんで、俺の名前を知っているんだ……?」
恐る恐る聞いた。
見学に来たと言っているから、雪音に聞いたのだろうか。だとしても男子が二人いるこの部活で、50%を引き当てたにしてはあまりにも断定的に言っていた。
それとも、サボっていることで有名だったからだろうか。
「なんでって……同じクラスだから、知っているのは当たり前だよ?」
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。
京夜は恐ろしいほど、同じクラスの人物に関心を得られなかった。何故なら京夜にとってはラスの人物は目標に向かって輝いている人であり、それを区別しようと思わなかったからだ。
だからこういうことが起きる、同じクラスで、もう顔合わせから一週間も経っている。本来であれば、クラスの人達を覚えていてもおかしくない頃だ。
「あーっ! 月影君は私のこと知らなかったって事だよね!?」
今の状況を鑑みれば、クラスの人を覚えていない失礼な奴、と認識されてもおかしくなかった。
「悪い、物覚えが悪くて」
簡単で、ものすごく納得して貰えるような言い訳をしたことに京夜は自分で驚いていた。
物覚えが悪い、というのはいい口実だった。彼女も納得してくれた様子だった。
「じゃあ、私の名前も分からない?」
「そういうことになる……悪い」
そう、ありきたりなことを口にした。
悪いと少しは思っているが、申し訳ないとまでは思わない。
一々区別しても、結局将来に向かって進んでいく他人である事に変わらない。嫉妬心がそうさせていた。
「聞いてる?」
「え、ごめん、ボーッとしていた」
悪の感情に苛まれているときに、彼女は発言していたようだった。
そんな態度だったから、彼女はムスッとしていた。
「だーかーらっ、私は夢咲未織! 過去現在未来の未来のみと、織り成すのおりって字でみおり!」
ちょっと怒ったような顔で、ズイッと顔に指を近づけて、彼女、夢咲未織はそう言った。
「わ、分かった分かった、悪かったよ聞いたときにボーッとしていたなんて」
「本当だよ、良くないよ、そんな男の子はモテないよ!」
ビシッと指を指されて、未織はにへへと笑う。
「それにしても、いいのか? 授業もう遅刻だぞ」
「えっ? ……あーっ!チャイム気がつかなかった!」
時刻は既に一時を回っていた。それを見るや否や、彼女は自分の手を掴む。
呆気にとられるも束の間、彼女は京夜を引っ張りながら、廊下へと駆けだした。
「お、おい! 俺は休むつもりで――」
「授業遅れちゃうよ、月影君!」
未織は話を聞かないままに、走って行く。
こうして京夜の授業逃避行計画は、晴れて同じクラスの、初めて会話をした女子に阻止されてしまった。
「初めまして、秋山君! 私が雪音の友達で、今日見学しに来た夢咲未織って言います!」
午後の授業が終わり、を迎えた。
京夜の予想通り、零は戸惑っていた。この部活では雪音が一番明るい方であるが、それでもクラスを引っ張り上げる役には到底向いていない。
未織はリーダーシップを取れるような、眩しい存在。俺の最も苦手な存在かも知れない位だ。
昨日雪音が言った通り、きっと悪しき存在ではない。それは初めて喋った京夜にもなんとなく分かっていた。
しかし悪い奴じゃないのと苦手な対象ではないのとは同義ではない。そして、零にも同じ事が言える。
「あ、あぁ……よろしく」
引いているな、と感じた。
未織みたいなタイプの人間は、今まで零は出来る限り避けて生きてきた。
とは言っても、零が苦手なのは雑音、未織が今後不必要な音を出さなければ、害はないだろうけど。
零はこの部活の趣旨、目的を淡々と未織に話した。
「まあこんな感じだけど、興味あるか?」
「うん! 是非入りたい!」
間髪入れずに返事をする未織。
「私、昔美術部だったの。だけどアニメのイラストとか描いてみたいし、何より部活したかったから!」
「分かった。じゃあ明日には入部届を持ってきて」
「了解しました、皆、これからよろしくね!」
深々と頭を下げる。雪音も同調するように、よろしくねと声をかけている。
京夜も返事代わりに頷いた。
晴れてこの長ったらしい名前の部活に、一人の新入部員が入った。
「今度活動費でペンタブを買いに行こう、今日の所は雪音と一緒に活動してくれ」
そう言って、零はヘッドホンをつける。未織は雪音と楽しそうに話しながら絵の描き方について話していた。
零なりに気を遣っているかだろう。雪音の友達に対してうるさいなんて言いにくいだろうし、常にヘッドホンをして出来る限り話し声をシャットアウトした方が争い事も少なくて済む。
うるさい奴だと思っていたのに、案外普通の女子だったと京夜は思った。この後も雪音と話していたが、声のトーンはいつも雪音が話している、控えめな感じだった。
人に合わせるのことを苦にしていないのだろうか。初めて会ったときの調子じゃなかったことに安堵して、未だに全然書き上がっていない作品に手をつけた。
だが、京夜はまた才能の片鱗すらない事を実感する。
書き始めて二十分、書き進めた文字数は二百字にも及ばない。書ける奴は最低でも五百字は進んでいる。
いつも通りのダメな自分だと実感させられていた矢先。
「彼は問いかけた、生きるために本当に必要なのかと。そして、自分のためになるのかと……」
心臓が跳ね上がった。自分の出来損ないの文章が読まれていたから。
京夜が慌てて振り返ると、そこには未織の姿があった。
「お前何勝手に人の文を読んでるんだ!」
「京夜、うるさい」
怒声が響直ぐさま、ヘッドホンを取った零の制止が入る。
睨んでいる零に悪いと小声で言うと、またつけて作業をしていた。
零をまた怒らせてはいけない反省から、小声で叱責した。
「なんで人の文勝手に読むんだよ」
「ダメだった……?」
さっき怒鳴ってから、最初にあったときよりも顔を曇らせていた。
口調も最初にあったときの元気が殆どなかった。
「当たり前だろ、だって……」
京夜は構わずに続けて、強い口調をぶつけようとしたが、頭から出てこない。
その後に続く言葉を、見つけることは出来なかった。
この小説は、別に誰かのために作っているわけでもなければ、秘密にしているわけでもない。
京夜が見せたくなかったのは、自分が出来損ないの小説を書いているから。それを人に見せるのを恥じていたから。
「ほら未織、京夜は小説を見られたくないって言ったでしょ」
「ごめんね、もう見ないから、許して?」
雪音が京夜を庇うようにして、未織もすぐ謝った。
面倒くさい空気を避けるために、ちゃんと自分の気持ちも伝えられないまま、いいよと返事を返す。
また嘘をつくときのような言い方をしてしまった。
いつものことで慣れているはずなのに、心にずっしりと重石がかかっているみたいだった。
未織は八時が門限。気まずい空気を流したまま一人で帰って行った。
追いかけることも、謝ることも出来ないままで。
帰宅時間になり、後悔だけを残して解散、学校を出ることになった。
寮に着くなり、制服を脱ぐこともなく、ネクタイだけ緩めてベッドに飛び込んだ。
いつもよりも深く、ベッドに沈んでいる気がする。
「言い過ぎた……」
強く言ったこと、見て欲しくない理由を言えなかったことを悔やんだ。
また嘘を被せてその場を誤魔化した。いつまで経っても同じ事ばかりの自分に腸が煮えくりかえった。
意を決してスマホを取り出す。今日は確かメッセージアプリのグループに、今日未織が誘われていた記憶がある。
「あった」
人数が四人、名前が未織と表示されていた。
友達に追加した後、PCにしたためていたデータを未織個人に送る。
それと、『今日はごめん』という短い言葉を付け加えて。
自分らしくないことをしている自覚はあった。今までなら、同じようなことが起きても嘘をついて、難なく躱してきたはずだ。
しかし、夢咲未織という存在が、それを許してくれなかった。
授業に無理矢理連れて行かれたときも、止めさせようとする気が起きなかったのは、何故だろうか。
手を振り払えば良かった、男の方が力は上なのに。
「……分からねえことばかりだ」
モヤモヤした気持ちのまま、いつの間にか意識が遠のいていった。
いつもと同じ朝が来る。
胸が痛んだまま、クラスの席へ向かう。
誰とも挨拶を交わさず、このクラスで唯一嬉しい点だった一番後ろの中央席へ座った。
鞄を雑に机へ投げて、深い溜息をついた。
「月影君、おはよ!」
「ああ、おは――」
そこでハタと止まった。
いつも交わさない挨拶が、横の席から聞こえてきた。
反射するように返してしまったが、挨拶した人物を知って目が見開いた。
「み、未織……お前、席、右側だったのか……」
「うん、そうだよ」
全然知らなかった、普通は周りの人物から覚えていくのだが、よっぽどクラスの人物をその他に分類していたらしい。
えへへ、とはにかんで、未織がそっと椅子を京夜の方向へ寄せてきた。
「今日の朝見たよ、面白かった!」
未織に送った、今まで書きためていた小説。
何の変哲もない、面白くもない小説だったのに。
「全然面白くねえよ、下手だし」
「ううん、月影君の表現の仕方、凄い好きだよ」
描写とか、言い回しがかっこいいとか、色々な部分を嬉しそうに話していた。初めて褒められた気がする。
「ねえ、また見せてね!」
目を輝かして、お願いされる。
自分の小説で良いのだろうか。
こんな、才能のない自分の小説で――
「勝手に後ろから読み上げないなら……また今度見せる」
初めてのことで恥ずかしくて、照れくさくて、つい上から物を言った。
しかし、未織はそんなこと気にもとめず、大きく頷いていた。