first.
桜の花びらがほのかに舞っていた。
入学式から数日、後輩達の声がどこからも聞こえてくる。
青春が、賑わいから伝わってくるようだった。
その喧噪から遠く離れた、反対側の小さな教室で、それを疎ましく思っていた。
「……うるせえなあ」
高橋京夜は吐き捨てるように呟いて、その光景を見ていた。
いい加減その眩しいほどに輝いている新入生に嫌気が差し、PCの前に向き直す。
六畳程度の物置部屋のような部室、『創作活動部』で、一人作業を続けた。
京夜は騒がしい場所が嫌いだった。
騒いだって、何も生まれないと考えていたから。
京夜だって賑わいから友人が一人でも出来れば変わっていたかも知れない。
しかし、一年前のこの時期を思い出しながら、それは杞憂だと思い直した。
京夜には誰一人友人が出来なかった、この性格が災いしたのか、それとも作る気がなかったのか。
そういう風に、京夜はいつも自分の都合のいいように取り繕った、本当は自分に原因があるのに省みることをしなかった。
自分を守るために、いつも心に嘘を塗った。
授業終わりのベルが鳴る。
鳴り終わり際、直ぐさまスライド扉が大きく音を立てて開かれる、扉が奥まで行くと同時に衝突する音が響いた。
ぶつかった勢いを残した扉は戻っていき、やがてぴたっと元の位置で閉まった。
「お疲れ……って、またサボったのかお前」
「零こそ、その開閉の仕方そろそろやめないか」
「いいだろ、最近は感覚を掴めてきたんだから」
京夜が不満そうに言うのを余所に、部室へ入ってきた同級生の秋山零は、いつも使っているPCデスクに座る。
零は自分のの幼馴染だ。
物心がついた頃には、二人はいつも一緒に遊ぶような関係だった。
京夜と違って、いつも夢があった。
将来を見据えて、好きなことをするためにどうしたらいいのか見定める力があった。
そして、零に住んでいる才能も、やりたいことと噛み合った。
それがこの創作活動部創部の一因だった。
この部は京夜達が入学した頃に、零が幼馴染で集めて作った。
活動内容は作品を創り上げること、作品であれば何でも構わない、但しインターネットの作品サイトに投稿することを目的としている。
必ず投稿して、第三者に見て貰うことを重要視するのが大切だと考えている。
一つのことに囚われず、色んな事にチャレンジするという、というテイで作られた部活だ。
「授業ぐらいちゃんと受けろよ……って、50万再生超えてる」
驚いた表情で、嬉しそうに声をあげた。
今、零がやりたいことは歌を作ることだ。
話題を呼んだVOCALOIDを駆使して、彼が培ってきた世界観で作り上げた歌は、巷で人気の動画サイトで人気を博したようだ。
京夜もそのページを開いて確認すると、再生した瞬間から称えるコメントが画面を染めるほどに埋まっていた。
再生数を表示する欄も、しっかりと上二桁が50を飾っていた。
つい一週間前に『春恋伽』と名付けられ世に出たこの曲は、あっという間に動画サイトユーザーの心を掴んでいった。
前から芸事に才能肌があったとは言え、京夜にはその底が掴めなかった。
京夜は、そんな零についていけば、自分のやりたいことが見えてくると考えて、その理由だけで私立銀鏡芸術大学付属高校、通称銀鏡高校に入学した。
銀鏡高校は自分達が住んでいた場所からは遠く離れた都会、寮生活を余儀なくされるこの場所で、生徒の芸術力を磨くために日々学ぶ為の学校。
しかし一年経った今、やりたいことすら見つからず、元々音楽という目標を持って入学した零とは突き放されていく一方だった。
一年前の二学期頃から、京夜はそんな自分から現実逃避したくて、授業をサボるようになっていった。
今日も零に言われたように、目標に向かって先へ進む同級生達を見たくなくて、逃げてきたのだ。
このままじゃいけないと考えていても、自分に嘘をついて、最もらしく言い訳をして。
「すごいな、零は……」
小さく呟いたが、零は少しも反応しない、聞こえていなかったようだ。
何事もなかったかのように、京夜はキーボードを打ち始めた。
小説、シナリオ担当とされている京夜。と言ってもそれは名ばかりで、全く筆が進まない。
書いては消してを繰り返している内に、創作ペースは話数換算ですら零の投稿数より下回っていた。
黙々と作業が進み、日が沈みかけていた頃。
また扉の動く音がした、今度は先程よりも静かに開かれる。
「ごめんごめん、お待たせー!」
「遅いぞ、雪音」
「掃除当番でバケツから水こぼしちゃって、えへへ」
窘めるように言う零を見て、悪びれずに舌をペロリと出した。
ドジな部分が垣間見える女子が、氷渡雪音。
京夜のもう一人の幼馴染であり、ここの部員であり、零の彼女。
この部ではイラスト、漫画を描いている。
「それにしたって遅かっただろ、何もなかったのか?」
最早日も暮れ月が照らす頃、二人になった部室の時間から既に二時間以上経過していた。
水をこぼしたからと言って、10分もあれば片がつくことだ。
雪音が零の表情を俯きながら伺うと、今度は京夜へ視線を向ける。
その不思議な様子に、京夜も首を傾げていた。
二人にとって、何か不都合なことでもあるのだろうか。
雪音は人が困りそうなことになったとき、つい口をつぐんでしまう癖があった。
「あー、……うん、ある」
「どんな?」
「この部活に、入りたい子が」
「……は?」
やっとの思いで口にしたその発言に、二人は顔を見合わせていた。
「さっきまで一緒に話してた友達がね、興味があるからって、明日来てみたいんだって」
美しいぐらい黒い髪を指でくるくる巻きながら、相変わらず二人の様子を伺うような声色で話す。
それを聞いて、京夜は勿論、零も溜息をついた。
雪音が言いにくくなるのも無理はなかった、それは男子二人とも、特に零にとって大問題のことである。
それにはこの部活が何故作られたかが関わってくる。
そもそも小説なら『文芸部』、漫画やイラストなら『美術部』や『漫画研究部』、作詞作曲なら『軽音楽部』などでも出来るし、この学校にもそういう部活は存在する。
なのにこの部活を作ったのは――
『色々、全てが、何もかもうるさい』
入学して間もない頃、幼馴染同士で昼休みに食堂で食べていたときに零が発した言葉だ。
零は雑音が苦手だった。
目標に向かって輝いている人達をうるさいと思っている京夜とは違って、授業中に静まらない話声や混み合った場所での息遣いがたまらなく辛そうになっている。
零にとって、一本の目標がある上でそれに向かって行動する際に伴われる雑音が許せないようだった。要するに、見学した軽音学部は付随する雑音の割合が大きかったようだ。
『入った方が部費を使えるから入りたいんでしょ、それとも諦めるの?』
そう言って雪音が宥めるように言っていた。
雪音は二人と違って、神経質な性格は持ち合わせていないし誰とでも仲良く出来る人気者だから、入部先も決まっていた。
しかし零は、既に解決策見つけていた。
『作る、だから協力してくれ』
『……え?』
『三人いれば創部できるらしい、頼む、力を貸してくれ』
こうして新たに部活が出来上がった。
京夜はやりたいことがなかったから付き合った。
雪音も活動する内容がそんなに変わらないならと納得してくれた。
今の部活に集中して取り組めているのは、その雑音がないからだ。
お互いのことをよく知っているこの三人なら、気兼ねなく過ごせるのも大きい。
仮入部期間が終わってから創部した事で、他の入学生を阻止したのも零の計画だった。そのお陰で男子にとっては比較的安寧の日々を過ごせていたのだ。
それが明日、崩れようとしている。
「……分かった」
「は? いいのか!?」
思いの外あっさりと了承した事に、京夜は驚いた。
物静かに出来るこの環境が一番好きな彼が、抵抗もしないとは。
「部長として、入りたい人を拒む訳にも行かないだろ」
「よかった、ありがとう」
自分の居場所を侵害される可能性があっても、その長としての立場上は確かに仕方なかったのだろう。
許可が取れて、雪音は胸をなで下ろしていた。
しかし、京夜としても問題がある。もし輝いている人だったら。そいつを見ていられるだろうか? という課題だ。
「あ、いい子だから、きっと大丈夫だよ」
二人を安心させるように、そう付け加えていた。
また同じような日が巡ってくる。
今日は昼休みの時から気怠くて、体調を理由に授業を休んだ。いつもと変わらない逃避行だ。
朝練というテイで、既に開けていた部室へ向かう。
今日雪音が友達を連れてくる事を考える度、京夜は気が重くなっていた。
それまでゆっくりしていよう、そう思って扉を開ける。
先客がいた。でも部員のシルエットとは違う。
零みたいに髪が短くなければなければ、雪音みたいに結っていない。
纏めずそのままの、風になびく紺碧の髪。
思わず目を奪われてしまった。
やがて窓の前にいた女子は、京夜の方へ振り向く。
「こんにちは、見学に来ました。月影君」
これが、京夜と、彼女を結ぶ、新たな学生生活の幕開けだった。