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tenth.

 家に籠りがちな梅雨の時期が、やっと終わりを告げるように、眩い日差しを暗雲から覗き込んでいた。

 未織との保健室の出来事から一月が過ぎた今日まで『ある二つの事柄を除けば』特段変わりもなく過ぎる日々を、京夜は過ごしていた。

 一つは、小説だった。

 京夜の執筆速度が急激に上昇したことにより、ライトノベルの製作で有名な新人賞の締め切りまでに完結させていた。うんざりする程降り注ぐ雨が、学校と部活以外缶詰にしたことも一つの要因だった。

 恋愛とバトルを組み合わせた初めての完成した作品は、かなり満足の行く品となった。

 とは言え、賞を取れるほどとは考えていなかった。初めて作った作品で奇跡的に賞など取れはしないと、冷静に予想していた。

 作品を提出すること自体に意味を見出す、ここが京夜にとって重要な点であった。これで落ちても、次は何かしらの賞を取るという目標が定まる。

 ――未来が、見えてきたかも知れない。

 今まで忌み嫌うように将来輝かしい人物達を見てきた京夜だったが、変化が見えるかも知れないと前向きになった。


 そして、もう一つは――




******




 人が少ない、土曜日の部活での出来事。

 いつも通り、全員部活で黙々と作業をこなしていた。

 全員というのは、出席している全員が黙々と作業している事を指している。と言うのも、零が風邪で体調を崩して、雪音はその看病をしに男子寮に行っている。

 つまり、現在部室にいるのは京夜と未織の両名。

 静かに作業をしているなら聞こえは良いが、どちらも会話を探っていると言う方が適切な表現だった。

 京夜はこの現状の空気を解決する方法が見出せずにいた。

 ここ数日、未織との関係性が変わった。それは恋を知らない京夜にとって過激なことを経験したからというのもあったが、明らかに会話のトーンが下がっていた。

 いつもであれば、耳を劈くような明るい声から始まり、それに終わるのが当たり前だった。しかし、それが変わりつつあったのだ。

 未織から発せられる声に、明るい調子の声も当然あった。ただ、それと同じくらい震わせた微かに聞き取れる声も存在していた。

 この日の朝も、京夜から挨拶をするほどだった。零と雪音がいない、二人きりの狭い部室に緊張を寄せているような状態だった。

 対面している二人からは、息遣いとキーボードを打つ音、液晶をなぞる音のみで、この小さな空間に反響していた。


「未織」

「はっ、はひ!」


 小説を書き終えた京夜が、未織の名前を呼ぶ。それだけで、たった二文字の返事を噛む程の慌て振りを見せた。

 後ろ毛で隠しきれない程に、彼女の頬は紅潮していた。

 そんな様子を尻目に、京夜は別のタブレットを未織に手渡す。

 未織は恐る恐ると画面を見つめると、小説サイトに掲載している京夜の作品があった。そして、完結したという文字が彼女の目を見開かれることとなった。


「出来上がったの!?」

「ああ、割とすんなり」

「……読んでいい?」

「良くなかったら、渡していない」


 その問答の後に、未織は細い指で、そっと各話のページを開いていく。

 時計の針、呼吸、感嘆とする未織の小さな声。その音だけが、時と一緒に流れるように出ていた。

 文庫本一冊の文字数分はある小説を読んでいる間、作業する訳でもなく、ただ彼女の姿を眺めていた。

 一から全部、手がけて完成した小説。それを初めて、読んで貰っている姿を目に焼き付けておきたかった。

 未織は感情表現が豊かで、笑ったり、落ち着かなかったり、不安そうな表情をくるくる変えながら読んでいる。京夜はその移り変わりでどこを読んでいるかが何となく分かってくるのが面白く感じていた。

 京夜にとって、未織は初めて自分の小説に感想をくれた読者でもあった。


『面白かった!』

『表現の仕方、凄い好きだよ』

『また見せてね!』


 すぐに好意的な言葉を沢山貰えたのが嬉しかった。

 お互いを知って間もない頃には、伝えられなかった事だ。

 だから、一番に読んで欲しかった。


 画面をなぞる音が、遂に止まった。それは、全てを読み終えた事を示していた。


「すごく良かったあ……最後の主人公が覚醒するところとか、気持ちが伝わってきて」


 話の内容を痛く気に入ったのか、しんみりしながら感想を述べていた。


「そっか、良かった」

「……またいつか見たいなあ」

「分かった、待ってて」


 ほんの少しの会話をして、未織がタブレットを渡しにゆっくり近づいてきた。

 距離が狭まる度に、緊張の面持ちがお互いから伝わってくるのを感じていた。


「ありがとう、私……ずっと楽しみにしていたの。京夜君の作った小説、最後まで見たいって思ってたんだ」


 儚げに言う未織の姿を見て、京夜は言おうとしていたお礼が、喉に突っかかって言葉に出来なかった。

 言いたいことは沢山あったのに、詰まってしまって言えなかった。

 渡したときにほんの少し触れた手が、心地よいぐらいに冷えていて。それからは彼女が帰るまで言葉を発することはなく、その日を終えた。




******




 昨日の記憶の情景を、切なさと共に思い浮かべた。

 作業を終えて、書くための資料が綺麗になくなった机の上で頭を下ろす。


 ――もう、認めるしかないよな。


 未織に対して、苦手という最初の気持ちから変わっていた。

 作品をあれだけ大事にしてくれて、読んでいるとき、いつも楽しそうにしてくれている彼女の姿が、尊い程に思っていた。

 彼女を好きだという気持ち、探し求めていた答えをようやく見つけた。

 ほんの少し針が動くだけで、彼女に対しての気持ちが強くなっていく。それにつれて、身体が重くなっていくのも分かった。

 これが初恋だと、身に染みて理解をした。

 怠くなった身体の最後の力を振り絞り、思い頭を起こして近くの布団へ倒れ込む。


 この気持ちをどうしたら良いのか、分からなかった。

 伝えるのが最良の方法だとは理解していても、邪な気持ちがその行動を阻止してくる。

 京夜は、薄らと未織が自分に対してどう思っているかを感じていた。

 きっと自分に対する好意の気持ちだと、何となく分かっていた。

 未織も京夜と過ごすにつれて、感情が揺れ動いているように見えていた。それは声質からも分かる事だった。

 京夜と二人きりになる度、紅潮する頬や震える仕草も、その推測を助長していた。

 だからこそ、告白したら付き合えそうだと分かってしまうことが、すごく嫌だった。

 こういうのはやましい気持ちではないかとさえ考えた。

 そんなことは杞憂かも知れない。今まで恋を知らないだけで、そんな形の恋愛もあるのかもしれない。

 しかし、告白するのに一番問題だったのが、未だに未織に惹かれた理由が分からないことだった。

 小説を嬉しそうに読んでくれるは立派な理由だろう。が、それは未織だけではない。ネット小説の感想欄に、何人もが同じような褒め言葉で羅列されている。

 それとは何が違うのかが分からなくて、ずっと頭を悩ませていた。




******




 目覚まし時計がいらない時期が始まった。

 目を開ければ騒がしいぐらいに蝉が鳴いている。

 それは学校でも同じ事で、目を伏せて寝ることもままならない。

 未織の事で頭が一杯で、眠れなかった。せめて朝礼前まで少しの睡眠を取ろうと目を瞑っても、鳴声に阻まれてしまう。


「京夜君、おはよ」

「……おはよう」


 未織の声が、頭上から聞こえてきた。心臓が高鳴ったのを感じたが、呆けた頭には勝てない。

 起こすことが出来ないまま、籠もった声で返事をした。


「眠れなかったの?」

「……ちょっとな」

「そっかあ」


 寝られなかった原因を知る由もない未織は、心配そうに返していた。

 寝不足で体調もままならないのに、それでも来たのは、未織の声が聞きたかったというのもあった。

 ――思っているより、ずっと好きだったんだなあ。

 惹かれた理由が分からないとは言え、気付いたのが最近だというのに想いではち切れそうだった。最早彼女を好きになったのが最初の出会いの頃だったのではないかと錯覚する程に。


「これ食べて、元気出して?」


 頭の上に、箱のような物をぽんと置かれた。

 それを掴んでから頭を上げて確認すると、黄色い箱の栄養調整食品だと分かって愕然とした。


「これ……未織の昼飯か……?」

「そだよ、よかったら少しあげる」

「……お前なあ、もっとちゃんとしたやつを食べろよ」

「あーうん……善処するね」


 苦笑いを浮かべる未織。

 栄養調整食品は、時間がない人が食事を摂るためにあるもので、未織のように昼休みまとまった時間をとれる高校生が摂る食事ではない。

 ましてや、活発な女子であるのに。前に貰ったサンドイッチだけといい、余りにも食事の量が少なく不安すら覚える。


「席に着けー」


 チャイムより前に、担任が壇上へ上がってくる。

 京夜が遅れずに来た理由、それは未織の顔を見たかっただけではない。

 担任がプリントを回してくる。


「今日から一週間後に、課題提出だからしっかり提出するように」


 成績の大部分が決定される、期末試験もとい作品製作のテーマ発表日が今日だった。

 プリントには、各コース毎に製作方法や条件等が記載されている。

 そして、コース共通のテーマは、『夢』だった。それ以外は記載されていない。

 将来の夢でも、入眠した際に見る物でも構わない。あくまで夢から連想する作品であれば自由だった。

 ついこの間まで、触れたくもないような題名。けれど今は、作ろうとする意欲がふつふつとわき上がってきていた。

 ――頑張ろう。

 そう思えるところまで、辿り着いた。

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