31.それぞれの決意③
☆ ☆ ☆
途中からやって来た担任の菅谷先生は、挨拶も会釈程度に留めて、まるで空気のような存在感で物音を立てずにスッと空いている椅子へ腰かけた。
けれど話は中断せず、『ネット上で拡散している画像』の説明と共に、話はどんどん先へ進んでいく。
意外にも菅谷先生は書き込みのことを知っている様子だった。……私にはそう見えた。
写真に映る制服姿の生徒の"学校"と"名前"が特定されていることを明かしたときも、他の先生とは違って顔色一つ変えなかったから。
「井川、特定されている生徒なんだが……やっぱり間違いないのか?」
ほら。やっぱりって。
その聞き方、書き込みを見たからこそのリアクションでしょ?
でも別に隠す必要なんてない。
はじめから言うつもりでここにきたんだから。
「写真に映っているのは2年の三谷先輩です。先生方の他に、唯一、私がYUIであることを知っています」
先輩との関係や出会い、正体がバレてしまった経緯などは話さない。私が伝えたいのはそんなとこじゃない。
「2年の……!」
驚きが先行する先生たちから、次の質問が飛んでくる前に続けて口を開く。
「それはもういいんです。肝心なのは、この画像が拡散している以上、自分だけが正体を隠していても今度は先輩が私と同じ思いをするんです。だから……今まで協力してもらっておきながら申し訳ないんですけど、今日から自分隠しするのやめようかなって……」
「と、突然だな……!」
「うーむ……。よくわからんね」
難色を示す教頭先生……
「菅谷先生、どう思われます?」
腕を組ながらため息と共に担任である菅谷先生に視線を送った。
「そうですね……。入学する前は一度は否定したのでしたら、特に問題はないかと思いますが……。言ってしまえば、一生徒が眼鏡とマスクを取るだけのことですからね」
「私は反対です」
ソファーから身を乗り出して、威勢よく近藤先生が割り込んできた。
「菅谷先生、問題がないわけないでしょ。今や誰もがテレビで見たことのあるYUIですよ? なんの前置きもなく、突然自分の学校にYUIがいると知ったら生徒たちはどういう反応をすると思います? ちょっと想像してみて下さいよ。冷静に事実を受け入れられると思いますか? きっとパニックになります」
「……あり得ますね」
意見した菅谷先生を飛び越えて、教頭先生は近藤先生に同調するように頷く。
菅谷先生も反論の言葉を紡ぐことなく視線を外して口を閉ざした。
正直、こうなることは予想してた。
もしかすると否定されるかもって……。
だけど私はーー
「先生方の許可をいただきに来たつもりはありません。自分を隠すことはやめます、という報告をしに来ただけです」
ここで引くわけにはいかない。
自分勝手な生徒って思われてもいい。もう決めたんだから。
「井川さん」
私が話し始めてから、ずっと口を閉ざして耳を傾けていた校長先生がまっすぐな視線を向けてきた。
「私は中学生のときのあなたを知りません。ですが……きっと、あなたのそういう強引な態度が平穏な生活からあなたを遠ざけたのだと私は思います」
え……
な、なにこの人……。
いきなり入ってきてなんなの……?
「そんなの、関係ないです」
「宜しいですか。菅谷先生が仰る通り、眼鏡を外すもマスクを外すも個人の自由。しかし、あなたは人気芸能人。近藤先生が危惧されるように、なんの説明もなしに堂々と立ち振舞われると学校全体がパニックに陥るかも知れません。従って、自分都合で"報告"だけ来ましたを通すわけにはいきせん」
「でもっ……! 私はーー」
「井川さん。もし……それでも自分の決めたことを貫きたいと言うのなら、最低限の義理は通すべきではないですか?」
「ど、どういうことですか……?」
「本日は都合良く全体朝礼の日です。どうでしょう。あなたが全校生徒の前で説明するというのは? 壇上から、ご自身の口で。大丈夫、時間は差し上げます」
「こ、校長……そんなことしたら余計パニックになるのでは……!?」
「なるかも知れませんが、少なくとも、こちらの協力を一方的に反故にし、身勝手に変装するのをやめて生徒たちをパニックにさせるよりかはマシです。話し方次第では、井川さんの気持ちを理解してくれる生徒だって現れるかも知れませんし」
「し、しかし……彼女本人に説明させるのは……。よ、よかったら私がしましょうか? なるべく混乱は避けたほうが宜しいかと思いますし……」
「結構です。井川さん、本当の平穏はいくら周りが頑張ったところで手にすることはできません。あなたのその強きな姿勢、気概、覚悟で、どうにかしてごらんなさい」
校長先生が否定的な意見から話し始めたのも、何を言わんとしているのかも、なんとなく理解できた。ーー要するに「甘えるな」ってことだと思う……。
「……わかりました」
私は、大きく息を吐いてから頷いたーー
ーー…ーー
話が長いことで有名な校長先生だけど、全体を見渡せるここからだとよくわかる。……誰も校長先生を見ていないってことが。
みんなの視線もすぐに私からは逸れていった。下を向いたりあくびをしたり、開始から5分も経てば雰囲気はすっかり飽き飽きムード。
私は、何気に周囲を見渡しながらも、ただ黙ってひたすらその時がくるのを待つ。
…………………………
……………………
………………。
…………?
……ん?
(気の……せい?)
なんだろう……みんなの視線があちこちに散乱する中、なぜか私ほうに視線を送る1人の生徒とちょくちょく目が合う。
気のせいかなって思って何度か視線を逸らすけど、眼鏡越しに何度見ても、その生徒は私から視線を逸らさない。
あの列って、確か2年の……
「あっ! ん……っ」
思わず声が漏れる。
慌てて口元をきゅっと閉じた。
(せ、先輩だ……!)
体育館の最後尾、壇上からだとかなり遠くに見えるけど、いつになく真剣な表情で、少しだけ眉間に皺を寄せながら、先輩は私のほうをジッと見つめていた。
目を合わせたまま外そうとしない。
こっちが咄嗟に逸らしたくなるくらいの強い眼差し。
今日は1度も先輩と連絡を取っていないなら、今からいうことだってもちろん先輩は知らない。……はずなのに、あれはたぶん、勘づいてる。そして昨日のことを含めて、たぶん怒ってる。そんな目だ。
ごめん、先輩……
「ーーでは、1年2組井川奈央さん、お願いします」
みんなと同じように(って言ったら聞いてた人に失礼だけど)、私も校長先生の話を聞いていなかったから、その瞬間がなんの前触れもなく急に訪れた感覚に陥った。
しかしここに来て、もう後戻りはない。
私は先輩との視線を外し、校長先生が明け渡してくれたマイクの前へ一歩ずつ近づいて行く。
そして全体を見渡してから一つ、大きく息を吐いた。
「おはようございます。1年2組、井川奈央です」




