20.トラブルデート④
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店を出てからの選択肢は2つ。
1、眼鏡女子に電話して状況を確認後、なんとかこっちに戻ってきてもらうよう説得する。
2、やっとあの状況から解放されたことだし、もうこのまま帰ろう。
向こうは芸能人同士、俺はただの一般人。
これは高月さんの予想でしかないけど、あいつも加賀美ってやつのことなくはないんだったら、わざわざこっちから首を突っ込む必要なんてない。
正直、面倒くさくなっていた。
考えることも誤魔化すことも行動することも。
この解放感が心地好いせいか、本気でこのまま帰ってもいいんじゃね?って思う。思うのに、どうしても考えてしまうこの頭が帰路を行こうとする足を止める。
理由や経緯はどうであれ、俺が今日仕事を早上がりしてしまったのは事実。このまま俺が帰ってしまうと、彼女を待たせるのは悪いと気を利かせてくれた母親の好意に申し訳が立たないのがまず一つ。
それにあの高月っていうマネージャーも、YUIのために俺と接触を図った。今はスカウトとか言って誤魔化してしまったせいで母親に捕まっている最中だけど、俺が急にVIP席から連れ出してしまったからあの人も早く戻らないといけないはず。
そして最後に、眼鏡女子。
気があるとかないとかは別にして、俺の横を加賀美ってやつに連れられて行ったとき、困ってる表情とパニくってる表情が混ざってるような顔をしてたのは見間違いじゃないと思う。
おそらく高月さんが言った通り、本当に誰にも知られたくないと思っているのはYUIで、だからこそこの状況から連れ出されたときに不本意な顔をしたんだろう。
そういう風に考えると、やっぱりこのまま帰るっていうのはちょっとまずい気がしてきた。何も手は浮かばないけど、今動けるのは俺だけだし。
「……電話してみるか」
店を出てから少し悩んだけど、意を決してスマホを取った。
ーー…ーー
☆ ☆ ☆
「……鳴ってるよ?」
何度目かのcallでそう促される。
これだけ音が鳴っているのだから、もちろん気づいていない訳じゃない。
だけど、この車内には私と加賀美さんのふたりきり。私からの話しは全て聞かれるし、誰からの着信かはまだわからないけれど、たぶん相手の声だって聞き取られてしまう可能性がある。
だから戸惑った。
戸惑ったけれど、手の打ちようがない今の自分にはもうこの着信にすがるしかない。
気づかれないように深呼吸してからおそるおそるプライベート用スマホを鞄の中で手に取り、耳元に押し当てた。
「もしもし……」
『……俺、三谷だけど。今どこにいんの?』
せ、先輩!?
てっきりすみれさんかと思った!
「……聞いてる?」
先輩は早速返答できないような質問から入ってくる。聞こえてるけど、どこって聞かれても私にもわからない。行き先も不明だし……。
『なんで黙ってるんだよ? まあ別にどこでもいいんだけどさ。もう戻ってこないの?』
「…………。(先輩のバカ! 私だって戻りたいに決まってるでしょ! 戻れないの、助けてよ!)」
「男じゃん。誰?」
「え……」
通話中にも関わらず、加賀美さんは躊躇なく質問してくる。
やっぱり声が届いてるんだ……。
内容までは聞こえなくても、声のトーンで男の人か女の人かくらいは判断できているっぽい。
「と、友だちです」
「男友だち? あれ? YUIちゃんもそれなりに経験豊富だったりするんだ? ま、とりあえず今はいいじゃん。切りなよ」
……ちょっと待って。
友だちなのは嘘だけど、それはあくまで先輩と私の間柄が友だちではないって意味で、そもそもこの人にその違いがわかるはずがないし、友だちって言ってるのに、切りなよって……。
なにそれ。
あり得ないんだけど。
『鏡だっけ? こっちの状況も知らないで切りなよってなんだよ。マジでピンチなんだけど』
「……加賀美さんね。声、聞こえるんだ?」
『聞こえてるよ。なんかお前の経験が豊富とかなんとかーー』
「ほんとにバカでしょ! そんなとこは聞こえなくていいの!」
『俺のせいかよ。つうかお前さ、加賀美さん横にいるのに大丈夫なの?』
「だ、だって先輩が余計なこと言うから……!」
『先輩って言ってるし。さっき友だちって言ってなかった? ま、でもこれでお前が自分から帰った説は消えたって感じだな』
「あたり前でしょ!」
「YU……YUIちゃん?」
加賀美さんは自分がスルーされていることに気づいて声を掛けてくる。その声に私は振り向かない。聞こえないフリをして先輩の声だけに耳を傾ける。
『早く戻ってこいって。高月さんも母さんに捕まってるんだよ。お前が帰ってこないとどうしようもないんだけど』
「でも……どうやって!」
『どうやってって、送ってもらえばいいだろ?』
「そんなの無理に決まってるでしょ!」
『なんでだよ? でも、なら歩くしかなくね?』
「……道、わかんないかも」
『はあ? そんなの人に聞けばわかるだろ。つうかなに、それってもしかして……迎えに来いって言ってる?』
「あ……それいいかもね……」
『いいかもね、じゃねえんだよ。はぁ~……ほんっっとわがままな奴隷だな』
「奴隷……って……!」
『そっ、奴隷。ピンチなんだから演じてみろって。女優だろ?』
奴隷宣言をされたあの日以来、初めて言われた気がする……。
相変わらず冷たい言い方だけど、普通ならあり得ないその言葉が怖いくらい自然に、躊躇いや迷いをほぐすように自分の中で拡がっていく。
『今すぐ理由つけて車から降りる。迎えに行くからあとで電話する。初命令はこれでよろしく』
「……わかりました」
電話を切って大きく深呼吸する。ため息っぽく。初めての命令がこれ?っていう笑いと自分のためにじゃない先輩の人柄につくため息。
悔しいけれど、あの日正体を知られたのが先輩でよかったかも知れない。……そう思った。
「加賀美さん、車止めてもらえますか?」
私は加賀美さんの方を初めて振り向いた。
もう何も迷うことはない。
私は奴隷で、今は先輩の命令に従うだけだから。




