18.トラブルデート②
☆ ☆ ☆
先輩の方を振り返ったとき、メニューを取りに戻っていた先輩のお母さんの姿がもうすぐそこまで近づいてきているのが見えた。
私は先輩に促されるままVIPルームに戻ってきたけれど、このまま私がいなくなってしまったらいくら先輩が濁しておくって言っても限界がある。
「なんとかしなきゃ……!」
悩ましい表情のまま賑やかな会食場の襖を開ける。
「あれ、YUI?」
特に誰も戻ってきた私の方は気にしていない様子だけど、すみれさんだけは何か言いたげにこちらを振り返った。
そうだ! すみれさんにーー
「すごい長かったね………………下痢?」
「言い方!!」
「ああ、ごめんごめん。お腹の調子でも悪いの?」
「もう! ……ちょっとブラッシングしてただけ。それよりすみれさん! 実は話があってーー」
以前、すみれさんには先輩のことも先輩の奴隷になった経緯も話したことがあった。今のこの状況をすんなり受け入れることができ、尚且つ手助けをしてくれるのはもうすみれさんしかいない。
「あのね……!」
私は周りの目を気にしつつ、すみれさんに現状を打ち明けた。
ーー…ーー
★ ★ ★
「ーーお客様、お連れ様は……?」
チーフが戻ってきて一発目の言葉は、こっちが予想してた「あれ?奈央ちゃんは?」を丁寧に言い換えただけの同じような疑問系。予想通りだ。
返答に使うお連れ様の行き先は手洗いか電話かの2択で鉄板だろう。別にどっちでもいいとは思うけど、手洗いだとすぐに呼び戻さなきゃならないからここはーー
「ちょっと電話掛けてくるって……」
「左様でございますか」
楽勝。
あとは適当に飲み物を注文しておけば少しは時間が稼げーー
「ではお客様、お連れ様が戻ってこられましたら、再度お飲み物のご注文をお伺いさせて頂きますね。失礼致します」
「い、いや、失礼しないで! 飲み物はもう聞いてるから!」
「…………失礼致します」
待てやババア。
なんでだよ。聞いてるって言ってるだろ。
「ちょっと!」
「ふふ……」
ふふ、じゃねえんだよ!
くそ、戻ったばっかで早速ヘルプかよ……!
けどこうなったら眼鏡女子を呼びに行くしか!
「制服、上だけ着替えたらVIP席まで行けるか……?」
ここのテーブルは個室だから、席に誰もいなくても他のスタッフに気づかれることはない。しかし、それはあくまで担当以外の話し。あまりに注文が遅すぎると、個室とか関係なくチーフが必ず催促にやってくるに違いない。
「急がないと!」
俺は個室を抜け出し、スタッフの動きに注意しながら更衣室を目指した。
ーー…ーー
☆ ☆ ☆
「大丈夫じゃん。ピンチでもなんでもないって」
「え、なんで?」
事情を聞いたすみれさんは、私の予想に反してあっけらかんな表情と態度でそう告げる。
「YUIはまだ高校生なんだからどっちにしても最後までは残れないでしょ? 帰りは私が送ってあげるから、適当に食事会を抜けて先輩くんのところに戻ってあげたら?」
「大丈夫なの?」
「今日こられなかった役者の人もいるくらいだからね。このあと別の仕事が入ってる人もいるだろうし、そのための別々集合だもん。大丈夫っしょ」
「そっか……よかった~」
思わず胸を撫で下ろした。
これで先輩のお母さんの方もこちらの食事会も上手く乗り切れる。
こっちを抜けていいんなら、先輩が濁してくれているあいだに早く向こうに戻らないと。
「じゃあすみれさん、すぐにでもーー」
「YUIちゃん、おかえり」
か、加賀美さん……!?
爽やかに割り込んできたイケメン俳優。
一般席で色々びっくりしすぎて完全に存在自体を忘れてた……。
「高月マネージャー、YUIちゃんってもうそろそろ帰られますよね? よかったら俺が送りますよ」
「え? あっ……いやいや! えと、YUIはですね! このあと取材が入っておりまして!」
すみれさんは咄嗟に誤魔化そうと発汗しながらジェスチャーだけをオーバーにリアクションする。
……先輩よりも演技下手じゃない?
「取材? どこで?」
「近くの……そう、近くのテレビ局で!」
「だったら俺が送りますよ」
「いえいえいえ! それは私の仕事ですから! お、お気遣いなく!」
「高月さんこそ、どうぞ遠慮なさらず。ゆっくり食事会を楽しんで下さい」
「いや、……あの~」
あの~じゃなくて! 頑張ってよすみれさん!
「そういえば監督が高月さんにお話したいことがあると言ってましたよ? ほら、早く行ってあげないと」
「は、はい! すぐにお伺いします! YUIは……」
「大丈夫、YUIちゃんは俺が送りますから」
「あ、あの……」
すみれさん、押しに弱すぎ……。
もちろん取材なんて入ってないし、このまま連れ出されたらすみれさんが合わせてくれた"適当な嘘"なだけにどこへ行っていいのかすらわからない。それに、一度この店から出てしまったらもう先輩のお母さんにだって誤魔化はきかなくなる。
「皆さん、YUIちゃんはお先に失礼するそうです。ちょっと送ってきますね」
「わ、私……!」
「YUIさん、今日はありがとうございました。また明日からも宜しくお願いしますね」
勝手に監督やスタッフさんにあいさつを済ませる加賀美さんの強行に、私は困惑しながらも成す術なく苦笑いで会釈することしかできない。
加賀美さんはそんな私の手をさりげなく取った。
「行こっか」
「せ……!」
「ん?」
" 先輩……! "
そう心で叫んだときだったーー
「失礼致します」
★ ★ ★
大丈夫か……?
いや、下は学生服だが上は制服。店の名札もついてるしたぶん違和感はない。
スタッフの目を掻い潜りながらなんとかVIP席までたどり着いた。あとはこの襖を開けるだけだ。
迷うな俺。早くあいつを席に呼び戻さないとチーフに嘘がバレる。VIP席は広いがなんとか探し出すしかない。そう言い聞かせて、固唾を飲んでから襖を開ける。
「失礼致します」
!!
襖を開けると、予想外にも目の前にYUI。
視界の7割がYUI。ウォーリーを探せの1ページ目を開いたらウォーリーがどアップでこっちを見てるくらいYUI。
まあラッキー以外の何ものでもないわ。そう瞬間的に安堵したのも束の間、すぐにYUIの表情を見て異変を察知する。
YUIの手を引くそいつに気がつくまで少しのタイムラグがあったが、もう一度YUIの表情に目を向けたとき、その顔が如実に物語っていた。
ピンチだと。
すると、テレビかどこかで見たことのあるそいつは、店員の格好をした俺の横を開かれた襖同然にYUIの手を引いたまま通り抜けようとする。
幸いなことに、賑やかな場の雰囲気と音量に掻き消されて俺の存在やあいさつなんて誰も気づいていない。
意を決して通り抜けの行く手を阻む。
「お、お客様……どちらへ!?」
「ん? 俺たちはもう帰るけど? お会計は向こうの人たちがあとで纏めて支払うから」
か、帰る!? 冗談だろこいつ!
今ここで帰られたら膨れ上がった嘘が一気に破裂だろ!
「ちょ……!」
たが口に出して言えるはずもなく、通り抜けて行く2人をただ黙って見送るしかできない。
「せっ……!」
YUIの……井川奈央の俺よりも困り果てた顔が露骨に不可抗力であることを告げている。まるでヘルプをお願いしにきた俺にヘルプするかのような顔だ。だが例えそうであっても、スタッフの格好をした俺に引き留める手段なんてない。
詰んだ……。
無言のまま閉まった襖に向かってため息を投げかけた。
「きみ、三谷くん!?」
「……はい?」
三谷くん?
自分の名字ながら「くん」付けに戸惑い、無気力のまま振り返る。
「あたし、YUIのマネージャーをしてます高月すみれって言います!」
「YUIの、マネージャーさん……?」
「今のあなたたちの状況はYUIから聞いてるんだけど……あっ!」
「はい?」
「じっとして!」
そういうと、マネージャーの高月さんは俺の方に体を寄せてきた。襖に背中を向けて俺の姿を隠すかのように。……ちょっと! めちゃめちゃおっぱい当たってますけど!?
「失礼致します。ご注文をお伺い致します」
母親!?
やっぱりここの担当はチーフのままだったんだ!
この高月さんって人、チーフが俺の母親だと知ってて咄嗟に隠したのか? 自らのおっぱいを童貞に押し当ててまで……。




