16.偶然が招くハプニング③
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PM20:30ーー
「ふぅ……もうちょい」
ホールが少しずつ落ち着いてきた。
俺はデシャップから炭場へと移動し、使用後の七輪をせっせと磨く。
炭場とは字の如く炭をおこす場所。常に新しい炭をたき続け、ご新規様はもちろんだが、 既にご来店しているお客様であっても肉の注文の数によっては炭の追加だってしなければいけない場所。
それに加えて、一番の重労働であるお客様が帰ったあとの七輪擦りーー今俺がやってることな。
実は俺、ここの持ち場が大の苦手。
ちょっと想像してみてほしい。タキシードみたいな制服を着たままサウナに閉じ込められる非人情的な罰ゲームっぷりを。
季節に関係なく汗かくわ、炭を擦ってるせいで真っ黒になるわ、時にはこの格好のまま炭入れいかなきゃだわ。マジなんの罰ゲームだこれ。
「あー……水飲みて~!」
開始20分で早くも喉の乾きに限界を感じてきた。こんな汗まみれのままデシャップに行きたくはないが、インカムで「水下さい」って言っても、どうせ「好きなだけどうぞ!ご自分で」って言われるだけだ。
「くそ!」
諦めて擦り用のヘラを端に置き、渋々デシャップへと向かう。
こんな格好でチーフに会おうもんなら「どうして最初から持って行かないんですか?」とかまたグチグチ言われるよな絶対……。
できることなら会いたくなーー
「またいつでもいらして下さい」
……乙。
しかも化粧室の前、ちょうどデシャップの出入口付近の通路じゃん。俺の位置からじゃチーフの後ろ姿しか見えないけど、どうやらお客様と話しているっぽい。
いや……これは逆にチャンスか?
今なら気づかれることなくデシャップに入れるかも。
息を殺してそっと歩き始める。
「っ!!」
チーフをチラチラと警戒しながらデシャップに入ろうとしたその瞬間、話しているお客様の姿が目に入る。
「い、井川奈央……!」
嘘だろ!?
なんでこんなところに……!?
もしかして今日のVIP席のお客様って……!
恭太郎さんが言ってた大物の正体って……!
YUIのことかーー!!
「ーーご家族でご来店ですか?」
眼鏡女子は母親の何気ない質問に対して、猛烈な勢いで戸惑っている。
そんな眼鏡女子とは対照的に、俺は少しずつ状況が掴めてきた。
井川奈央と母親が会ったのは昨日が初めてだが、YUIとして、先ほど客と店員の関係で偶然にも奇跡の再会を果たした。たぶん双方気づかないまま。
もちろん同一人物として認識できていない母親は眼鏡を掛けていないYUIに疑問を持つことはない。
まあ芸能関係の食事会で変装なんてするわけないからな。
なんでYUIが一般席の化粧室にきたのかは不明だけど、一般のお客様に気づかれないように眼鏡を掛けたんだろう。そして眼鏡を掛けた状態のYUIを見て、母親は井川奈央と認識。声をかけたってところか。
仕方ない……!
「チーフ!」
見かねた俺は、未だ引くことのない大量の汗を顔に滲ませたまま2人の前へ飛び出した。
ーー…ーー
☆ ☆ ☆
「チーフ!」
あれ……?
ここのお店は初めてなのに、どこかで聞いたことのある声……。
その声の主は、私が「誰だったっけ?」と考える一瞬の隙もなく姿を現した。
「三谷さん、どうかされましたか?」
せ、先輩ーー!?
うそ……なんで!?
余りに突然すぎて言葉もリアクションも追いつかない。自分でも気づかない内に、ただ訳もわからず助けを求めるように先輩を見つめた。
「三谷さん、お客様の前です。お控え下さい」
「チーフ、私語になりますが失礼させていただきます。彼女は、実はくるみの友だちではなく僕の彼女なんです」
「え?」
先輩の口から『彼女』って言葉が飛び出した瞬間、頭の中では昨日先輩が部屋で話していたことがよぎった。
確か先輩は、お母さんに妹の友だちって紹介したあと、部屋で「やっぱり彼女って言っとくんだった」って嘆いてた。
そのときは時間も時間だったから、彼女ってことにしておけば家に招くこともなかった……そういう意味で言ったと思うけれど、先輩はこの場面で改めて『妹の友だち』から『彼女』に変更した。
何か意味があるんだ……。
ひとまずここは先輩に合わせるしかない。
「あ、あの!すみませんでした……本当のこと言えなくて」
「昨日は突然のことだったんで、つい妹の知り合いと言ってしまいました。申し訳ありません」
「そうだったの? 普通に紹介してくれればよかったのに。……それで隼人、あなたが彼女を店舗に呼び出しの?」
うーん……結局そうなるよね。
こんな高級なお店に、私みたいな高校生が1人で来店するはずもないし、ご家族でご来店ですか?の質問には思わず口ごもってしまったから……。
そこに仕事中の先輩が割り込んできたから、先輩のお母さんは咄嗟に先輩が呼び出したと判断したのだろう。
彼女って訂正したんだから、妹さんのときみたいにここで私の正体を喋るなんてことはないよね?
先輩、どうするつもりなんだろ……。
「えと……、実はこの店で彼女と一度食事をしたいと思っていまして」
「食事を?」
なるほどね!
それで誘ってくれたことにするんだ!
というかこの2人、親子だよね?
なんでさっきから敬語なの?
「……シフト、あと1時間近くは残っていますが、彼女をそんな長いあいだ待たせるつもりですか?」
「いや……」
「あの、私は全然大丈夫です」
「すみません、至らぬ息子で。これからも宜しくお願いします」
「い、いえ! そんな……」
そう深々と頭を下げる先輩のお母さんは、困惑する私に素敵な笑顔を見せてくれた。そして続け様に先輩の方へ視線を送るとーー
「店長には私から説明しておきますから今日は上がりなさい」
「で、でもそれだと早退扱いになるんじゃ……!」
「ちゃんと説明しておきます。ほら、さっさと着替えて3番テーブルにお通しして? 女の子を待たせるものじゃありません」
「お通ししてとは……?」
「彼女との食事でしょ? もうこんな時間なんだから早くしなさい」
「今からですか!?」
「あたり前でしょ。あなたが終わるまで待たせるなんて許しません。今からです!」
「「 ええぇ!? 」」
そう言えば、昨日も先輩のお家にお邪魔するきっかけになったのは先輩のお母さんだったっけ……。
(ヤバい……!)
(ど、どうするんですか!?)
先輩は仕事中で、私は会食中。
その中で強制的に始まろうとしている、まさかの2人きりの食事会……。