激戦
しかし、ドリフが全盛期にあった70年代、それ以外のお笑いが不毛だったのでは決してない。やすし・きよしの全盛期もこのころだし、欽ちゃんも「欽ドン!」「欽どこ」と続けてヒットを飛ばす。やすし・きよしの「しゃべくり漫才」な流れをくむB&Bが受けはじめ、紳助・竜介、ツービートがこの形式を取り入れて1970年代後半から評価される。これが1980年代前半のMANZAIブームを巻き起こす。なお、タモリが看板芸ともいえる「四か国語マージャン」をテレビ上で披露したのは1976年、私の生まれた年である。
このような群雄割拠の中で「全員集合!!」は勢いを失っていき、1985年に打ち切りとなる。だから、私が見ていた「全員集合!!」は勢いを失った「全員集合!!」だったことになる。それで私たち姉弟は「ひょうきん族」とどっちを見るかで頭を悩ませていたわけだ。しかし、私の少年時代を顧みて「全員集合!!」に勢いがなかった感じは全くしない。番組の終わりに「いい湯だな」をパロった歌が流れ、それに合わせて、加トちゃんが「歯みがけよ!」と言っているのを聞いてから歯を磨き、今でも食後には必ず歯を磨いている。そのため、人生の中で虫歯で歯医者に行ったことは、ごく軽症の虫歯が小学生時代にあったきりである。のちにこれがスポンサーの練り歯磨き製造会社を意識したものだとわかり「加トちゃんにしてやられた!」の思いがした。
いつも笑わせてもらったなあ、が今の印象である。
結局、「全員集合!!」に引導を渡したのは、「ひょうきん族」だということになるが、この番組出演者が今でも現役であることや、今の漫才はボケと突っ込みというツービートを踏襲したものから一歩も出ていないこと、コントもコント55号の形式から出ていないことなどからして、80年代半ばには日本のテレビのお笑いは、すでに長さんら、笑いの巨人たちの手によって完成されてしまっていたのではあるまいか?
全員集合に至っては、番組形式からしてが大がかりすぎ、相当に体を張って入念に準備しないとできず、それでいて毎週こなすというのだから、もはやできる者がいない。もっともやったところで「ドリフの二番煎じ」の誹りは免れまい。だから、いま、はやりのお笑い芸人が出てもどうしても既視感がしてしまう。少年時代の熱狂的な楽しみを覚えないのである。