「8時だョ!!全員集合」
私はよく同年輩の方に、「子供のころドリフ見てましたか?」と聞く。多くの人が見ているのだが、「親が見せてくれなかった」という人もいてかわいそうである。「8時だョ!!全員集合!!」を見ていなかった人は、確実に損をしていると思う。そのぐらい私にとっては、重要な存在だった。私の少年時代においてファミコンの次に重要なもの、それがドリフである。
Z高校は京都でも指折りの進学校として名が高いが、その校長先生にお話をお伺いした時も、「先生、先生がお子さんをお育てのころ、お子さんにドリフ見せていましたか?」と聞いた。ご記憶の方が多いと思うが、志村けんが半ケツを出したり、カトちゃんがストリップの真似をするので、PTAなどからは嫌われていた番組である。だが、さすがZ高校校長、この質問に直ちに「イヤー、あのいかりや長介ってのは天才だね!!」と即答。うんうん、わかっていらっしゃる。
だが、そもそも私は、1976年生まれだから、物心がつき始める80年代には「全員集合!!」は落ち目の時期だったはずである。現にこの番組の最高視聴率の記録が50.5%ということが強調されるが、これは1973年4月7日に記録されたもので、1981年に『俺たちひょうきん族』がフジテレビで同時間帯に始まり、80年代には視聴率を抜きつ抜かれつしていた。だから、私も姉と二人して、「おい、ねえちん(私は姉をそう呼ぶ)、今日はどっち見る?」と相談しあって決めていた。父親と母親といえば「まったくあれは面白いよねえ」と一緒になって笑っていたくらいだから、私と姉で決めるのである。姉は私の3歳上で、頭がよかった。少年時代、文化的なことはおおむね姉から教わっていたのである。だから、だいたい姉が「チャンネル権」を握っていたし、姉の目に狂いはなかったので私もそれに従っていた。
それにしても驚くのは、1970年から80年代にかけてのコメディアンの錚々たる顔ぶれである。「全員集合!!」が始まった1969年、放送時間の土曜午後八時は、激戦区だった。フジテレビの「コント55号の世界は笑う」、日本テレビの「巨泉・前武のゲバゲバ90分!」があり、前者は特に視聴率30%近くを誇っていた。だが、いかりや長介は臆することなく、目の前の観客を笑わせることに専念、15%くらいの視聴率を獲得する。だが、TBSの居作昌果プロデューサーは満足せず、なおも強気に出る。当時のトップスターをコントに組み込んだのだ。すると、番組はなおも大当たりし、1971年には視聴率が50%に達する。こうなると、「全員集合!!」に出演するということにトップスターたちもうまみを見出して来たのであろう、当時活躍していた者でゲスト出演していない者はいない。最多出演の小柳ルミ子に至っては95回、次いで西城秀樹73回、沢田研二68回、特別出演で三船敏郎、若山富三郎、菅原文太、加山雄三らも出演している。ドリフは、巨泉、欽ちゃんという強敵に打ち勝って自らの地位を不動にしたのである。