確認と結果
叔母さんの作ったパッチワークのベッドカバー。窓にかかった茶色のカーテン。山ほどの本。
クリスの部屋は持ち主が帰る前も今も同じ。清潔で薬草みたいな清涼感のある匂いがする。
何故知って居るかというと、寂しくなると時々勝手に入って・・・今思い出しても恥ずかしい。
迷いなく部屋に踏み入ったリサはベッドの端に腰掛けさせられた。
自分の前にクリスが跪くようにしてリサの目を覗き込む。逃げられない位置だ。
「リサ。」
「何?」
へろへろ笑って誤魔化してみる。
「君は怒るべきだ。ヨシュアとの婚約が口約束だと言っても、周りの人間は知ってる。この界隈に婚約者のいる女の子に手を出す不届き者は居ないし、君は一八だろう?今から他の人を探すって言ってもこの狭い土地柄だと難しい。婚約してから今までの間に他の人を探す機会を失ったんだよ?」
優しいクリスは諭すようにリサの肩に両手を添え、きちんと目を見て話してくれる。青い目がじっと真剣に見つめてくるので、リサはだんだん頬が熱くなる気がしてきた。頭を振ってまずはクリスに解って貰おうと不器用に言葉を紡ぐ。
「怒った。」
「なに?」
「『なあ、リサ。俺好きな子できた。ごめんお前と結婚できねぇ』って二人の時に言うから」
「あいつ・・・。」
また、クリスの目が剣呑になる。嫌だな。
リサはクリスの肩に置かれた手にこてんと自分の頬を乗せる。
クリスの肩が揺れて、すっと両方の肩から手が離れた。
あれ?怒ってはいないけど目を逸らされた。
「おじさんの前でも言えたら、結婚してやらないでやる。って返した。ヨシュアもう殴られたみたいな顔してて可笑しかったし。まだ言えてないみたい。あ、おじさんにだけじゃなく彼女にもね。馬鹿だよね。」
気付いたアンジェリカが何回かヨシュアに注意してくれた。リサに不誠実だと、ミーシアに迷惑をかけると。アンは意外と面倒見がいい。
「クリスに似たのかな。」
話を自分で逸らしそうになって戻す。
でも、ヨシュアは振られるのが怖くて言えないみたい。
そんなことをクリスに淡々と話す。
眉根を下げたクリスがリサの前で座り込んだ。
「どうしてリサはそんなに他人事みたいかなぁ。悔しいとか、悲しいとか。・・・ヨシュアとリサは仲良かったろ?」
「う~ん。仲良い?仲良しの婚約者の初恋が微笑ましくてちょっとうらやましくはあるかな。」
良いな、って思う。一生懸命好きなアピールをするヨシュア。必死で馬鹿で可愛い。
「・・・それだけ?」
呆れた、とクリスのため息。心配して損したとぶつぶつ言われても。
「だって、あんまり悲しくない。ずっと一緒に居た大事な友達だけど別に好きな子が出来たからって居なくなるわけじゃないし。」
普通は婚約者の心変わりに傷心の図なんだろう。でも。
「・・・クリスが居なくなった時の方が辛かった。」
こっちの方が切実に文句を言いたい。
「婚約の話も断ったからって怒らないのに、だんだん余所余所しくなるし・・。」
クリスがはっと顔を上げた。
あ、っと口を塞いだがクリスはちゃんと聞いていたようだ。愚痴なんてみっともなかった。
「リサ。断ったって誰から聞いたのかな?」
立ち上がったクリスはリサの横に腰掛けた。
子供に悪戯を白状させるように頷いて、どうぞ言ってと促される。覗き込まれて目を逸らして下を向く。
「母さんが・・クリスには断られたんでしょうって父さんに言って、父さんがそうだって。それから、母さんが、クリスは遠くに行って偉い人になるから、私は似合わないって。」
正確性は既にないが、そういう意味合いだったと記憶している。
妙に緊張して、膝の上でぎゅっと握られた自分の手が視界に映る。
「正しくは断って無いんだけど?」
え?っと見上げると薄く笑って困った顔のクリス。
「リサ?たとえば、僕が断らずにいたらどうした?」
「どう?って、・・・どうだろう?」
首を捻る。だいたい、そこがリサがアンに怒られる所だ。色々考えるのが面倒になると放り投げる。ぽーんと。そして、まあいいかと・・・。リサは口が軽くなった。
「嫌だった?」
「まさか!私はクリス大好きだから嬉しいよ。」
本当だと言う為に目を見ればクリスは嬉しそうに笑ってくれた。
「ヨシュアの時は嬉しかった?」
「ヨシュア?・・別に。」
特に感慨はなく?
「ヨシュアに好きな子が出来ても悲しくないんだよね?」
「そう!ちょっと悔しい!」
「・・・好き、だから・・?」
違う違うと顔の前でさっきまで握っていた手を挙げて振る。
「自分だけ好きな子と一緒に居られるってズルくない?私は全然クリスとも話せないのに!」
ちょっと力んでしまった。ヨシュアひとりで恋に浮かれてズルいぞって・・・あれ?
「ふぇ!」
混乱して変な悲鳴が口から出た。
クリスが突然リサの手を握って来たのだ。
いつものふんわりした手繋ぎじゃなく、ぎゅって強く。指を絡めて。
「リサ。」
予想外な耳元で名前を呼ばれて、身体を離そうとしたらがっしり肩を掴まれていた。
「それ、どういう意味?」
クリスと眼を合わせる。
真顔だった。視線が怖くて固まる。
「意、味?」
意味なんて・・・何も考えず口走って・・。
混乱するリサに、クリスは今度はいつもどおり優しく笑みを浮かべて、肩に置いた手で頭を撫でてくれた。
ほっとする。
「大丈夫。」
クリスの大丈夫は魔法みたいにリサの心を解した。
クリスに居なくなって欲しくなかった。
凄く寂しい。
悲しくて、勝手に何処かへいくクリスに怒りが湧いた。
取り留めなく導かれ話す。
偶には帰ってきて。
忘れないで。
私も賢かったら一緒に行きたかったなぁ。
つらつら愚痴を言うのをクリスは怒らずに聞いて、それから改まった声で確認して来た。
「僕は特別って思っていい?」
「と・・特、別・・・?」
特別?当然!クリスは特別。だって、いつも私の味方をしてくれて、優しくて、賢くて自慢の・・・心では思っていても、リサは直ぐに頷けなかった。クリスの青い目の奥が熱を持ってリサを見る。居た堪れない。頼ってばかりのリサにウンザリしているのかもしれない。
視線を下げたリサにクリスが驚愕の質問をした。
「ヨシュアとはキスした?」
「げっ!」
唐突になんてことを聞くんだ!思わず逃げ腰になり身じろぎしたら、絡まる指先に力が籠る。
「いいいいいい、言うぅ?そういうのっ?!義兄に報告義務ある?!」
「まだ、兄じゃない。」
微笑まれたが、視線は怖いままだ。
「し、してない!って、する必要性も感じないんだけどっ?!どうしてクリス、そんな、変なこと聞くかな!」
クリスは少し手を緩めてにっこり今度は嬉しそうに笑った。
「エスコートも無し、色恋の雰囲気も無し、無し無しなままなし崩し的に結婚するんだなって、思ってたぐらいでっ!」
私、何言い訳じみた事をいってるんだろう自分。
「ヨシュアとキスしたくなかった?」
いや、だからー!何回も乙女にそんな事聞くなぁ~!!
「き、気持ち悪い事言うなんてクリスらしくないよっ!」
手を振り解いたら腰に手が回されていた。
あれぇ?
「気持ち悪いのか・・。」
感慨深げに言わないで欲しい。半笑いなのもどうよ?
良く考えてみれば自分も軽率だ。ヨシュアとキスなど気持ち悪いと思っていたことを、今、クリスに問われて初めて気付いた。クリス以上に自分が駄目だと気付く。
こんな風じゃ結婚なんて一生無理では?
「もしかして、私、嫁行けない?」
「どうして、そういう結論に?」
不思議そうに聞かれる。
「だって、ヨシュアとじゃ気持ち悪いんだよ?誰ともキス出来ないとなると、一生独身で寂しい老後が約束されてしまったも同然!じゃない?」
リサがクリスを見たら複雑そうな顔の後、噴き出された。失礼な!
クリスの瞳が穏やかに細められる。ほっとしたリサはクリスとの距離が縮まった事に気付いてない。
「試そうか。ホントに気持ち悪いかどうか。」
「試す?」
「大丈夫。怖くないから。」
「怖くないって言われると余計怖くなるって知ってる?クリス。」
困惑気味に目を覗いても彼は微笑んだまま。
クリスの手がリサの後頭部を支えた。なぜならリサの背はゆっくりと後ろに倒れていくから。
「クリス?」
背中が柔らかく沈む。
「クリス、わた、し、眠くない・・よ?」
そこだけ本の置かれていない空間を思い出す。そうだ。自分たちはクリスの寝台に座っていたんだった。
「こうしたら逃げられないよね」
「に、逃げないっ、よ?」
笑みの形の口から笑い声が漏れる。リサがクリスといて逃げたいなんて思ったことは未だかつてない・・・が、・・今はちょっと逃げたい。
ずっと視線をそらさずにいた青い色に濃い影が出来て、それなのに視線は強くて、リサは目を伏せる。
「リサ。」
今まで以上に優しい声で呼ばれた気がして目を伏せたまま「うっ」とリサは唸った。顔が熱いのできっと真っ赤だ
柔らかい感触が唇にあたる。
本気でしたぁ~!!と思った。
「嫌?」
心細げに聞かれて、反射的に「ヤじゃない」と答えた
答えたら、一回で終わらなくてまた口が塞がれた。
「うにゃあ~!!」
という意味不明な悲鳴を上げてリサがクリスを振り払うまで、クリスはリサの上に乗っかっていた
重くはなかったけど。
「ごめん。ちょっと・・・リサが可愛くて」
「意味わかんないっ!!」
その日の内にリサの婚約者はヨシュアからクリスに替わった・・・。
その上、替わって半年も経たないうちに嫁になって王都に向かう事になるなんて、リサは想像もしていなかった。
完結。別視点あり。