ふたつ名の写楽絵!
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本題へはいるまえにふたつほど写楽絵にまつわるトピックスをごしょうかいしておきたいとおもいます。
みなさんは写楽絵のなかにふたつのタイトルがついているものがあることをごぞんじでしょうか?
その作品のタイトルは『二代目小佐川常世の三郎妻・児島(二代目岩井喜代太郎の勾当内侍)』です。
写楽〈第3期〉にあたる細判・全身像の役者絵で、寛政6[1794]年11月に河原崎座で上演された常磐津『神楽月祝紅葉衣』の一場面をえがいています[図6参照]。
どうして歌舞伎役者の名前も役名もまったくことなるふたつのタイトルがついているのでしょう?
これは作品そのものではんだんするか、歌舞伎史(史実)からはんだんするかによって解釈がわかれるからなのです。
作品から解釈するとタイトルは『二代目小佐川常世の三郎妻・児島』になりますし、歌舞伎史的に解釈すると『二代目岩井喜代太郎の勾当内侍』となります。
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写楽〈第1期〉の『二代目小佐川常世の竹村定之進妻・桜木』と『二代目岩井喜代太郎の鷺坂左内妻・藤波と坂東善次の鷲塚官太夫妻・小笹』を〈第3期〉の『二代目小佐川常世の三郎妻・児島(二代目岩井喜代太郎の勾当内侍)』とみくらべてください[図7参照]。
もんだいの作品にえがかれてるのは、二代目岩井喜代太郎ではなく、二代目小佐川常世であることがわかります。
しかし、おおくの画集や図録では『二代目小佐川常世の三郎妻・児島』ではなく『二代目岩井喜代太郎の勾当内侍』と表記されています。
作品だけではんだんすると、えがかれているのは二代目小佐川常世ですが、歌舞伎史の見地からすると、この作品に二代目小佐川常世がいるのはおかしいと云うおかしな話になるのです。
もんだいの作品は常磐津『神楽月祝紅葉衣』をえがいた3連作の1枚です。
『四代目岩井半四郎の兼好妹・千早』『二代目市川高麗蔵の新田義貞』そしてもんだいの作品へとつづきます。
演目から解釈すると、この場面にえがかれているのは二代目小佐川常世のえんじた三郎の妻「児島」ではなく「勾当内侍」でなければなりません。
わたしも諸資料をひっくりかえしてみましたが、たしかに演目から解釈すると、このばめんにえがかれるのは「勾当内侍」のはずです。
そのため、えがかれた役者の顔も紋も「二代目小佐川常世」とわかっている上で、この作品のタイトルを『二代目岩井喜代太郎の勾当内侍』とごりおしする研究者がいるのです。
迷惑なことに、そうごりおしするのは、絵画や美術史の専門教育をうけた人ではなく、あくまで歌舞伎史あがりの研究者です。
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まず現段階でわたしたちがみとめなければならないのは、写楽がかきまちがえたと云うことです。ほんらい「二代目岩井喜代太郎」でなければならないところを「二代目小佐川常世」にかきまちがえてしまったのです。
しかし、そもそも役者絵に歌舞伎の記録や史料と云う意図はありません。いまで云うアイドルの安価な〈キャラクター・グッズ〉でしかなかったのです。じっさいの舞台をみないでえがくこともあったと云いますから、なおさら記録としての価値はとぼしくなります。
そして、ちょっとかんがえればわかりそうなものですが、当時の人々がもんだいの浮世絵を「二代目岩井喜代太郎」の役者絵としてみたり買ったりすることは、ぜったいにありえないのです。
よしんば、いま、目のまえに市川海老蔵と市川愛之助の役者絵があるとします。かれらのえんじている役が「暫」であったり「スパイダーマン」であったり「麦わらのルフィ」であれば、えんじている役者を問うことなく〈キャラクター・グッズ〉として買うこともあるかとおもいます。
しかし、それいがいは市川海老蔵や市川愛之助であるかどうかを重視するはずです。
つまり、もんだいの作品は当時の人々にとって、えがかれた顔や紋から「二代目小佐川常世」の役者絵だったのです。
そのため、総合的に解釈すると、ふたつのタイトルはどちらもただしくないことになります。えがかれているのは「二代目小佐川常世」でも「三郎の妻・児島」ではありえません。
すなわち、作品に即してただしいタイトルをつけるのであれば『二代目小佐川常世の勾当内侍』が適当でしょう。
史実としてはありえないかもしれませんが、やはり絵画は「えがかれている内容」そのもので解釈すべきです。
すくなくとも、絵のなかの「二代目小佐川常世」は「勾当内侍」をえんじているのですから。