写楽と能面〈2〉
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写楽が人の顔を彫刻(立体)的にとらえていたことは鼻のえがきかたをみてもわかります(わたしは北小路健氏の説で知りましたが、昭和10年ごろからすでに一部で指摘されていたそうです)。
写楽いがいの浮世絵師は、鼻の線を鼻梁から鼻の穴の下まで(あるいは鼻の穴と)つなげてえがいているのですが、写楽のえがく鼻の線はもっと手前でとぎれます[図4参照]。
鼻梁こそ顔の中心からでているものの、鼻のあたまには彫刻(立体)的な意識がはたらいているため、このようなえがききかたになるのです。
写楽絵からえいきょうをうけた勝川春英の作品に似た鼻のえがきかたを散見することができるものの、それいがいでこのような鼻のえがきかたをした浮世絵師はいません。
浮世絵版画で目や鼻の彫りかたを詳細に指定した絵手紙をのこしている北斎ですら、このような鼻のえがきかたはしていません。
この鼻のえがきかたこそ、写楽が本職の浮世絵師ではなかったことをものがたっています。
そして、〈第2期〉以降、エセ写楽(代作者)の手による写楽作品では、この鼻の描写がアヤシくなります。また、似せてえがいたところで、その意味するところをりかいしていなければ、線もカタチもあいまいにならざるをえません。
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かこには写楽絵の耳や手のえがきかたをみて「喜多川歌麿に似ている」などとした説もありましたが、浮世絵をえがいたことのない人が浮世絵をえがくにあたって有名な浮世絵師の作品を参考にするのはとうぜんと云えましょう(そもそも浮世絵いがい「大首絵」と云うジャンルはありません)。
ふだん顔しかえがいていない人が浮世絵をえがかねばならなくなったばあい、いわゆる「マンガ絵」としての魅力をもつ勝川派の役者絵よりも、より「写実的」であった歌麿を参考とするにちがいありません。
そのせいか、当時からちまたでは写楽の正体として歌麿の名がささやかれていたふしがあります。歌麿が暗に写楽を批判している文章ものこされています。
韜晦ではなく本音でしょう。女性の肌の質感表現にこだわった歌麿のもつあそび心と、カタチにこだわった写楽のもつあそび心とでは感性がことなります。
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「ぜんたいてきに面長なのが〈第1期〉の写楽絵のとくちょうでもある」とかきましたが、これもかれに能面のスケッチや人物デッサンの経験があったであろう推論をみちびきだす材料のひとつです。
写楽が惰性で面長にえがいていないことは、絶妙なバランス感覚とみなぎる緊張感からもあきらかです。
素人の絵やマンガ絵をみればわかりますが、きほんてきに人の顔は面長にきちんとえがくほうがむずかしいのです。歌川豊国や勝川春英にもそれだけの技量はありません。
そう云ったことからも写楽が浮世絵師あがりでないことがわかるのです。