写楽と能面〈1〉
1
本業が能役者だった斎藤十郎兵衛こと東洲斎写楽の絵からは能面のエッセンスをみいだすことができます。
もっとも、とくちょうてきなのは、目のまわりにクッキリと墨をいれるえがきかたです。これを〈目張り〉と云います。さらに、りんかく線をあえてうす墨(灰色)にすることで、表情をひきたたせています。
写楽絵におけるツリ目は、ふつうにえがいた目の中心を支点として上下に回転させるようにズラしてえがかれており[図2参照]、このとくちょうも能面のそれと一致します。
じつのところ、こう云う目のえがきかたをした浮世絵師は写楽いがいだれもいません。
また、目の配置や、ひたいやほお骨などの量感を意識した彫刻的なりんかくのえがきかたにも能面の造形感覚がかいまみえます。
写楽絵の目の配置はすばらしいの一言につきます。第1期『中山富三郎の宮城野』における目と口の小ささとその配置は、プロでもたやすくまねできないほど絶妙です。
エセ写楽(代作者)の手による〈第3期〉『「近江屋錦車」中山富三郎のさざなみ辰五郎女房おひさ』とみくらべていただければ、その差は一目瞭然です。
『「近江屋錦車」中山富三郎のさざなみ辰五郎女房おひさ』は、目と口の大きさと配置のバランスがしぜんです。目張りもよわいですし、くちびるのかたちはまったくちがいます。
ぜんたいてきに面長なのが〈第1期〉の写楽絵のとくちょうですが、それもありません。ようするに、ふつうなのです。みやすくてよい絵ではありますが、写楽のこまやかさとアクに欠けます。
本物の写楽なら、両目は小さく目張りもハッキリさせ、位置的にはもうすこし上、さらに外がわへはなしてえがいたはずです。
口ももっと小さく、位置的には鼻にちかづけてえがき、鼻の大きさとあごの長さを強調したでしょう[図3参照]。
〈第1期〉の写楽絵は「モデルの顔のとくちょう」を意識してえがいていますが〈第3期〉の写楽絵は「写楽絵のとくちょう」を意識してえがいている、と云うちがいがあります。後者にはモデルにたいする意識がありません。
2
写楽が能の面打ち(能面づくり)をしたかどうかはさだかではありませんが、能面をスケッチした経験はあったはずです。そうでなければ、あのデフォルメはできないとおもいます。
ヨリ目でツリ目の能面「小飛出」「大童子」「舌出慈童」。
タレ目で目の間隔がすこしはなれている「蛙」「東江」。
きょくたんに目の配置がズラされ誇張された「祐善」「白(伯)蔵王」などの能面と写楽絵をみくらべてほしいとおもいます。
おもしろいのは写楽絵に女面のような目がえがかれていないことです。あくまで歌舞伎役者が男だからでしょう。写楽はとにかく「こだわる人」なのです。そのことは追々わかります。
写楽は能面のスケッチのみならず、人物デッサンの経験もあったかとおもわれます。似顔の名手であったことはうたがいようもありません。