〈第3期〉のムチャぶりと〈第4期〉の凋落(ちょうらく)!〈1〉
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写楽〈第3期〉は寛政6[1794]年11月と閏11月の歌舞伎や相撲をえがいています。
11月は顔見世狂言です。〈写楽工房〉は3つの芝居小屋の顔見世狂言を間判・細判あわせて55枚(河原崎座16枚、都座18枚、桐座21枚)もえがいています。
そして閏11月が河原崎座3枚、相撲絵が4枚。この年の10月19日になくなった二代目市川門之助追善絵2枚も〈第3期〉とかんがえられます。〈第2期〉をはるかに上まわる64枚も出板していることになります。枚数だけならとんでもないサード・インパクトです。
〈第3期〉の役者絵からは複数人のエセ写楽たちがえがいていることをごまかすためにおおくの作品に背景をえがいています。
役者と顔見世狂言の詳細な演目がきまるのがいつなのかはわかりませんが、制作準備期間が〈第1期〉よりもみじかいであろうことはそうぞうにかたくありません。
まして、じっさいの舞台をみてえがく「中見」だったら、なおたいへんです。
初日に3つの劇場をまわれたとして(ふつうなら3日で3つの劇場をまわるでしょう。初演日はいずれも11月1日でした)10日までに55枚制作するとなると、彫りや摺りに5日かかるとして、1日に13~14枚はえがかねばなりません。
有名な役者しかえがかない豊国や春英などとはちがい、有名無名の役者をえがきまくる写楽です。だれをえがくのか、どのばめんをえがくのかかんがえるだけでもたいへんですし、表情やポーズをえがきなおすこともあるでしょう。
〈第1期〉で28枚、〈第2期〉には14枚しかえがいていない本物の写楽に、この芸当は不可能です。
浅野秀剛氏の調査によると、11月の顔見世狂言をえがいた55枚と云う枚数は、寛政6年に写楽いがいの浮世絵師たちがえがいた役者絵の「総数」に近似するそうです。
歌舞伎は低迷期だったこともあり、役者絵の発行枚数はそれほどおおくなかったそうですが、写楽人気に便乗するかたちで、ほかの浮世絵師たちも例年いじょうに役者絵を手がけたと云います。
しかし、写楽絵は〈第2期〉までに66枚でています。つまり写楽は〈第3期〉までに寛政6年に写楽いがいの浮世絵師たちがえがいた役者絵の「総数」のおよそ2倍の枚数をえがいていることになります。
これでもまだ、本物の写楽(斎藤十郎兵衛)がすべてひとりでえがいたとおもえるでしょうか?




