〈写楽工房〉と葛飾北斎〈1〉
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〈第2期〉都座7月分の細判で写楽の真作なのが下記の8枚です。二代目瀬川富三郎と三代目沢村宗十郎いがいは〈第1~2期〉の大判にえがかれていません。
『都座楽屋頭取口上之図』(大判)
『三代目沢村宗十郎の名護屋山三と三代目瀬川菊之丞の傾城かつらぎ(シワ菊之丞)』(大判)
『市川富右衛門の亥の熊門兵衛』(細判)
『大谷徳次の物草太郎』(細判)
『二代目坂東三津五郎の百姓・深草治郎作』(細判)
『山科四郎十郎の名護屋山三左衛門』(細判)
『二代目瀬川富三郎の傾城・遠山と市川栗蔵の東山義若丸』(細判)
『三代目沢村宗十郎の名護屋山三』(細判)
本物の写楽こと斎藤十郎兵衛は〈第2期〉都座7月分の『三代目沢村宗十郎の名護屋山三と三代目瀬川菊之丞の傾城かつらぎ(シワ菊之丞)』(大判)と『三代目沢村宗十郎の名護屋山三』(細判)をえがいています。
〈第1期〉でひとえまぶただった三代目沢村宗十郎を〈第2期〉からふたえまぶたにかきあらためているくらいなので、写楽こと斎藤十郎兵衛は三代目沢村宗十郎をひいきにしていたのかもしれません(沢村宗十郎からのクレームによってかきあらためたかのうせいもありますが)。
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〈写楽工房〉にはさいしょから大判のニセモノをまかされた絵師がいました。さらに〈第3期〉いこうも、チビッコなんちゃって力士の大童山を単体でえがいた2枚(大判)、武者絵2枚(間判)、二代目市川門之助追善絵2枚(間判)もまかされています。
かれの名は叢春朗。……のちの葛飾北斎その人です。
じつのところ、素人でも一見すれば、写楽の「武者絵」がいずれも北斎の作品であることはあきらかです。
武者絵『大童山の鬼退治』や二代目市川門之助追善絵『二代目市川門之助』にえがかれている鬼のすがたはだれがどうみても北斎のタッチです。
写楽本人のお手本がある役者絵はどうしても写楽へ似せねばなりませんが、まったくお手本のない「武者絵」では似せようにも似せられません。
そこで武者絵には北斎の個性がだだもれてしまったのです。
まず構図のクセが写楽とはまったくことなります。武者絵では画面の対角線を意識していると云うより、カミナリのようなジグザグのながれをもたせています。
武者絵『紅葉狩』では、鬼女の目線と角を左ななめ上にむかわせ、平維茂のピンとつっぱった左足で対角線のながれを意識的にくずしていることがわかります。
武者絵として迫力をだそうとしているのはわかりますが、人物も大きくえがきすぎです。
本物の写楽なら人物をもう1~2まわり小さくえがいて、鬼女のふりあげた腕の着物のそでをがめんにおさめたはずですし、鬼女のもつ紅白の棒も、もうすこし画面の対角線にあわせてスマートな構図をつくりあげたはずです。
また、能役者の写楽がえがいたものであれば、ここでこそ鬼女の表情に「能面」を活かしてもよいはずなのに、それもありません。
平維茂と鬼女の小鼻の上によりそうようにかさなるほおのシワは、のちの北斎作品に顕著となる「二重小鼻」の嚆矢です。




