〈写楽工房〉プロジェクト!〈2〉
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ひとくくりに〈第1期〉〈第2期〉などと云われますが、その28枚、38枚にもとうぜんえがいたじゅんばんがあります。
たとえば〈第1期〉『中島和田右衛門のぼうだら長左衛門と中村此蔵の船宿かな川やの権』にえがかれた中村此蔵は、写楽絵のとくちょうでもある能面的デフォルメにとぼしい大首絵です。
おそらくこれは〈第1期〉28枚のなかでも、中村此蔵をはやい時期にデッサンしたからだとおもいます。似絵(似顔絵)をえがくのがうまかった斉藤十郎兵衛が、能面やほかの役者絵を参考に写楽様式をねりあげてゆくさいしょの段階、すなわち、素の斉藤十郎兵衛のタッチにちかいのではないかと。
斉藤十郎兵衛は〈第2期〉で、大判いがいにも細判で単身の全身像をえがいています。〈第1期〉や〈第2期〉大判にえがいていない役者のお手本もいくつかひつようだったからです。
〈写楽工房〉のエセ写楽(写楽の代作者)たちは〈第2期〉で〈第1期〉をこえる枚数をえがかねばなりません。斉藤十郎兵衛の大判をもとにエセ写楽のえがいた大判がしあがるとすぐに、その作品をもとにニセモノをえがいていたようです。
斉藤十郎兵衛が細判の制作へはいるころには、エセ写楽のえがいた大判をお手本にした2~3のニセモノができあがっていたとおもわれます。
そして、斉藤十郎兵衛はニセモノを参考に、のこりの細判をえがいたとかんがえられます。ニセモノを参考に本物をえがくと云うのはどうにもおかしな話ですが、そうかんがえるとつじつまがあうのです。
〈第2期〉の大判と細判では、ほとんど人物の大きさはかわりません。それでも着物の紋様や小物や役者紋が精緻にえがかれている上に色数もおおくつかわれています。
もちろん、大判だからていねいにえがいたと云うこともありますが、本職の浮世絵師ではない斉藤十郎兵衛に細部の簡略化と云う概念がなかったのだとおもいます。
斉藤十郎兵衛はニセモノにあわせて「ちょうネクタイ柄巻」をひし形のられつに簡略化し、柄頭の金具も2本線から1本線に省略しています。
そして、おもしろいことに(あるいは、とうぜんのことながら)本物の写楽こと斉藤十郎兵衛はお手本をえがくと云うこといがい、まったく〈写楽工房〉にかかわった形跡がありません。
たとえば、総監督とか制作総指揮とか作画監督とかスーパーバイザーみたいなかたちで〈写楽工房〉の絵師たちをまとめあげてもよさそうなものですが、なにもしていないのです。
よしんば、本物の写楽が〈写楽工房〉にかかわっていたとしても〈第2期〉大判で『二代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川』いがいのニセモノのおおざっぱな構図を指定した、ていどのことだとおもいます。
〈写楽工房〉のエセ写楽たちが「ちょうネクタイ柄巻」の意味にも気づいていないように、顔をあわせて作画の指示をした形跡がみられません。それくらい複数のエセ写楽たちのえがく細部には差異があります。
〈写楽工房〉のエセ写楽たちは写楽本人からなんの指示もなく、写楽本人のえがいた大判とエセ写楽のえがいた大判と細判、さらに写楽本人がニセモノの細判を参考にえがいた細判をお手本にしたものですから、どうしても細部の描写に統一感がなくなります。
よしんば、写楽本人が〈第2期〉をすべてひとりでえがいていたとしたら、そう云った細部にあきらかな差異があらわれるはずがありません。
役者の顔をえがきわける必然性こそあれ、刀の装飾やさげ緒の線の強弱などをえがきわける必然性などないのです。云いかえれば、もっとも惰性でえがいているぶぶんだからこそ、エセ写楽たちのクセがでてしまっているのです。




