〈写楽工房〉プロジェクト!〈1〉
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それでは、なぜ写楽〈第2期〉の38枚中24枚がニセモノなのでしょう?
おそらく〈第2期〉出板の企画段階から〈写楽工房〉プロジェクトは発動していたとおもわれます。むしろ、写楽〈第2期〉は〈写楽工房〉プロジェクトありきの企画だったと云えるでしょう。
〈写楽工房〉プロジェクトとは、東洲斎写楽(斎藤十郎兵衛)の画風をマネした複数の絵師(代作者)による、写楽公認(ただし無関与)の「写楽風役者絵」制作工房のことです。
〈第1期〉の東洲斎写楽は斎藤十郎兵衛ですが〈第2期〉以降は東洲斎写楽を名のる複数人のチームによる写楽風役者絵の大量生産体制へ移行しました。あくまで写楽公認なので、贋作にかぎりなくちかいグレーではありますが、盗作ではありません。
もっとも、それは耕書堂内部での公認であり、世間一般にはあくまで東洲斎写楽と云う絵師がひとりでえがいているようにおもわせなければなりません。そのため、写楽公認とは云え、ひみつのニセモノ集団であることにかわりはないのです。
いったいどうしてこんなことになったのでしょうか?
ふつうの浮世絵師の1年分(?)の労力をもってとりくまれたであろう限定特別企画『曾我祭』写楽プロジェクトは大成功をおさめました。大衆も〈第2期〉をきたいしたでしょうし、とうぜん耕書堂・蔦屋重三郎も〈第2期〉を企画します。
しかし、本業はプロの能役者であり、プロの浮世絵師を凌駕する質と量の作品を短期間(?)でえがきあげた東洲斎写楽こと斎藤十郎兵衛に〈第1期〉の枚数をこえる〈第2期〉38枚をひとりでをかきあげる余力があったとはかんがえられません。
「ちょうネクタイ柄巻」ひとつとってもわかるように、本物の写楽はとにかく作品にたいするこだわりのつよい人です。
かれにあるのは、浮世絵師としての野心や自己顕示欲ではなく、あくまで自分がなっとくできるだけの完成度をほこる作品がえがけるかどうかの一点につきます。売れる売れないは二のつぎなのです。
とうぜん、本物の写楽(斎藤十郎兵衛)は蔦屋重三郎の企画する〈第2期〉をことわったはずです。あくまで作品の質にこだわり、枚数をぎせいにしてでも〈第2期〉をえがいてほしいとたのまれれば、本物の写楽も首をたてにふったかもしれません。
しかし、蔦屋重三郎はきっすいの商人です。ハデ好きの勝負師です。写楽〈第2期〉は、大衆の予想のななめ上ゆくものでなければダメだとかんがえたはずです。セカンド・インパクトがファースト・インパクトをこえるためには質量ともにけずれないと。
そこで蔦屋重三郎は斎藤十郎兵衛に〈写楽工房〉プロジェクトをもちかけました。複数の絵師に写楽風役者絵をえがかせて大量生産させたい、と。東洲斎写楽と云うペンネーム(画号)におもいいれのない斎藤十郎兵衛はそれを承諾します。
斎藤十郎兵衛に浮世絵師・東洲斎写楽としての矜持があれば〈写楽工房〉プロジェクトにのるはずがありません。
クセがつよいと云うことは、マネしやすいと云うことです。とは云え〈第1期〉はすべて大首絵です。大首絵だけをお手本にニセモノを大量生産すれば、すぐにネタがつきるのもみえています。
そのため蔦屋重三郎は斉藤十郎兵衛に全身像のお手本を数枚えがいてほしいとおねがいしました。全身像のお手本があれば、大首絵よりもさまざまなバリエーションをかくことができます。
さらにニセモノのなかに本物がまぎれこんでいれば、ニセモノがうたがわれにくくなるのもあきらかです(じっさい、げんざいまでうたがわれてこなかったわけですし)。
斉藤十郎兵衛は蔦屋重三郎の要求をのみました。そこでかれは〈第1期〉とはくらべものにならないほどすくないお手本をえがきました。




